タチ:深夜の監視に現れる幽霊と消えた少女の謎
タチの呪いと幽霊の真実を追う女子高校生の恐怖体験
秋の終わり、夜風が冷たく吹き抜ける頃。
高校二年生のイノウエとナナコは、同じクラスの友人ミサキの家に泊まりに行くことになった。
「ねえイノウエ、本当にここで合ってる? 山の中に入ってから、ずっと人の気配がないよ……」
ナナコが不安そうに辺りを見回した。
「うん。ミサキが送ってくれた地図、ここだよ。『少し古い家だけど安心して』って言ってたし。」
イノウエは笑って答えたが、その声にはどこか緊張があった。
三人は同じ高校に通う仲良しグループで、期末試験のあとに「お疲れ会」をしようと話していた。ミサキの実家は阿蘇山の麓にあり、少し古い日本家屋だったが、週末を過ごすには十分だった。
道はどんどん細くなり、森の木々が夜空を覆っていく。虫の声も風の音も消え、代わりに自分たちの足音だけが響いた。
「ねぇ……なんか、空気が重いね。」
ナナコの声がかすかに震えた。
「うん。でも、もう少しだよ。」
そう言った矢先、暗闇の中にぽつんと明かりが見えた。山の奥にある木造の二階建て。そこがミサキの家だった。
玄関に着くと、灯りが一つだけ点いていた。扉の前には手書きのメモが貼られている。
『ようこそ。二階の部屋を使ってね。夜は外を見ないで。――ミサキ』
「なにこれ、外を見ないでって……どういう意味?」
「わかんないけど、ミサキらしい冗談かもね。」
二人は笑い合いながら靴を脱ぎ、家の中へ入った。けれど、その笑いはすぐに消えた。
――ひんやりとした空気。
まるで人が長い間住んでいないような、重たい静けさ。
「ねぇイノウエ……本当にここに誰かいるの?」
「うん……多分。」
廊下の壁には古びた写真がかけられ、どの写真にも白黒の制服を着た学生たちが写っていた。その中の一枚――そこに、ミサキによく似た少女がいた。だが、日付を見ると「昭和43年」と書かれていた。
「ミサキ……じゃないよね? まさか。」
「似てるだけ……だと思う。」
イノウエは無理に笑おうとしたが、背筋を冷たいものが走った。
そのとき、廊下の奥から音がした。
「コツ……コツ……コツ……」
足音。しかも、規則的に。まるで誰かが見回りをしているような。
「ミサキ? いるの?」
イノウエが声をかける。だが、返事はない。
ただ、足音だけが階段のほうへ遠ざかっていった。
二人は恐る恐る二階へ上がる。階段の途中で、風が吹き抜けた。どこからか、鈴のような音が聞こえる。
二階の部屋の前に、古い名札がかかっていた。『見張り部屋』。
「なにこれ……?」
ナナコが名札を指でなぞると、ドアがゆっくりと開いた。中には机と壊れたランプ、そして日記帳が一冊。
イノウエがページをめくると、震える文字が並んでいた。
『タチは夜に来る。外を見たら終わり。見つめられた者は、次の見張りになる。』
「タチ……?」
「あのメモに書いてあった名前……夜の監視人……。」
不安を抱えたまま、二人は眠りにつこうとした。だが、その夜。
「コツ……コツ……」
外からまた、足音が聞こえた。
そして、窓の外を何かが横切った。
「い、今、見た! 誰か歩いてた!」
ナナコが叫ぶ。
「見ちゃダメ!!」
イノウエが彼女を引き寄せるが、その瞬間、耳元で囁く声がした。
「見ないで。」
振り向くと――そこにミサキが立っていた。
「ミ、ミサキ!? いつ帰ってきたの!?」
「……お願い、静かにして。タチに気づかれる。」
「タチって、何? 監視って何なの? 私たち、怖いんだよ!」
「夜の見回りをする幽霊。昔、この家に住んでいた警備員が、嵐の夜に……」
ミサキは言葉を切った。
「……死んだの。」
「どうして?」
「外の異変を見に行ったんだって。雷に打たれて、そのまま……でも、魂は今も“見張り”を続けている。」
ミサキは俯き、震えながら続けた。
「私も……呼ばれたの。三日前、外から誰かが呼んで……気づいたら、この家に閉じ込められてた。」
「え……じゃあ、ミサキって……」
「私はもう、生きてないの。」
二人は凍りついたようにその場に立ち尽くした。
ミサキの頬には涙が流れていたが、その滴は床に落ちる前に霧のように消えた。
「お願い……タチに見つかる前に、逃げて。」
その言葉を最後に、ミサキの姿は消えた。
翌朝。
イノウエとナナコは村へ降り、地元の古い神社で事情を話した。
神主の老人は静かに頷いた。
「あの家には“タチ”が棲んでおる。もとは夜勤の守衛だった男だが、ある事件を境に狂ってしまい、自分の娘を……」
「え? 娘を……?」
「殺してしまったんじゃ。娘はその夜、赤いリボンをつけて外を見ていたそうだ。タチはその姿を見て『侵入者』と思ったんだ。」
イノウエの心臓が強く跳ねた。
――赤いリボン。ミサキがいつも髪に結んでいた色。
ナナコが震える声で言った。
「まさか……ミサキは、その……」
「血のつながりはなくとも、“形見”を受け継いだ者は狙われる。タチにとって、赤いリボンは侵入者の印なんじゃ。」
イノウエとナナコは顔を見合わせた。ミサキは助けようとしていたのか、それとも――。
その夜、再び二人は家に戻った。
玄関の扉を開けると、空気が重く淀んでいた。
ランプがひとりでに灯り、廊下の奥に影が見えた。
「タチ……来た……!」
足音が階段を上る。「コツ……コツ……コツ……」
イノウエは震えながら呟いた。
「逃げよう、ナナコ!」
「でも、ミサキが!」
二人は二階の部屋に駆け込んだ。外では風が唸り、屋根が軋んでいた。
その時、机の上の日記が勝手に開いた。ページには新しい文字が浮かび上がる。
『タチは、見られることを恐れている。彼を“監視”した者は、解放される。』
イノウエは息をのんだ。
「つまり……タチを見れば、ミサキを助けられる?」
ナナコは青ざめた顔で首を振った。
「でも、それって……タチに見られる前に、私たちが見ないと……!」
「行くしかない。」
イノウエは窓を開け放った。赤い月の光が差し込み、庭の影が動いた。
そこにいた。
軍服を着た男。血のように赤い目をして、ゆっくりと顔を上げた。
「タチ……!」
イノウエが叫んだ瞬間、男の目が彼女を捉えた。
耳の奥で何かが壊れるような音がした。
ナナコがイノウエに駆け寄る。
「イノウエ! だめ、目を閉じて!」
「……大丈夫。見えた……彼の顔、悲しそうだった。」
その瞬間、光が弾けるように家全体が震えた。
タチの姿は消え、静寂が戻る。
ミサキの声が遠くから聞こえた。
「ありがとう……これで、やっと……終われる……」
そして朝が来た。
家の中にはナナコだけが倒れていた。イノウエの姿はどこにもなかった。
警察が来た時、机の上に一枚の紙が残されていた。
『夜は外を見ないで。――イノウエとナナコ』
それ以来、あの家の周りでは、夜になると二つの足音が響く。
「タチ……タチ……タチ……」
村人たちは口を閉ざす。
なぜなら、最近あの家の窓に三つの影が見えるからだ。
真ん中にミサキ、その左右にイノウエとナナコ。三人は並んで、外を見張っている。
まるで、次の“監視者”を待っているかのように。
風が吹くたび、少女たちの囁きが森を渡る。
「見ないで……お願い。もう誰も、“タチ”に見つからないで……」
そして今も、阿蘇山の麓にあるその家の前を通る者は決して夜に顔を上げない。
なぜなら、窓の中で微笑む制服姿の三人が、じっとこちらを見つめているからだ。
――夜の監視は、終わらない。
「タチ……タチ……タチ……」
その足音だけが、永遠に静寂を破り続けている。

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