阿蘇村と阿蘇山に潜む幽霊の恐怖と若い営業女性凛の悲劇的な最期

Table of Contents
阿蘇村と阿蘇山の幽霊に悩まされる

阿蘇山の霊に呼ばれた凛が体験する恐ろしい出張の物語

熊本県の阿蘇山の麓にひっそりと佇む村――阿蘇村。地図にはほとんど載っておらず、観光客も滅多に訪れない。
東京から来た若い営業ウーマン・凛(りん)は、偶然この村の古い旅館と契約を取るために派遣された。だが、その出張が彼女の人生を根本から変えてしまうことになるとは、誰も予想していなかった。

「凛ちゃん、阿蘇村って聞いたことある?」
出発前、同僚の真美が不安そうに言った。
「あそこ、昔から変な噂があるのよ。“夜になると山が人を呼ぶ”とか、“死者の鈴が鳴る”とか」
「やめてよ、そういう話。私、ホラー苦手なんだから」
凛は冗談めかして笑ったが、内心では奇妙な胸騒ぎを感じていた。

営業の車で阿蘇へ向かう途中、ナビが急に故障し、道を外れて山道へ入ってしまった。木々の隙間から、白い霧が流れ込む。
やがて、古びた鳥居が現れた。風が吹くたびに、鈴の音が小さく響く。
「……誰か、いるの?」
返事はなかった。だが、霧の中で確かに人影が動いた。

旅館に着いたのは日暮れ時。木造の建物で、どこか時間が止まっているような静けさだった。
受付の老婆が凛をじっと見つめた。
「あなた……外で、鳥居を見ましたね?」
「え? ええ、たまたま通って……」
老婆の表情が険しくなった。
「今夜は絶対に外へ出てはいけません。山があなたを覚えています」
「……どういう意味ですか?」
「阿蘇山の霊は、一度見られると、その人を忘れないんですよ」

その夜、凛は眠れなかった。
窓の外では風が吹いていないのに、鈴の音だけが規則的に響く。やがて、その音が部屋の中から聞こえるようになった。
「……まさか……」
振り向くと、部屋の隅に白い影が立っていた。長い髪、白い着物、顔はぼんやりとしている。
「だれ……?」
影は動かず、ただ鈴の音だけが近づいてきた。凛は悲鳴を上げ、布団にもぐり込んだ。

翌朝、凛は村の商店へ営業に向かった。
「昨夜は眠れませんでした。変な音がして……」
店主の老夫婦は顔を見合わせた。
「それは“山の夜”だったかもしれません」
「山の夜?」
「阿蘇山の霊が村を歩く夜ですよ。見ると、次は呼ばれます」

凛は笑って受け流そうとしたが、体の奥に冷たいものが流れ込む感覚があった。
「呼ばれるって……どこに?」
「山の中です。あの世とこの世の境目に」

その日の夕方、村の年寄りたちが神社で何かを祈っているのを見かけた。祭壇の上には焦げた木札が置かれ、『阿蘇山御霊封』と書かれている。凛が覗き込もうとすると、老人の一人が低い声で言った。
「見るな。その名前が書かれたら、二度と帰れんぞ」

夜、再び夢を見た。霧の中、白い女が立っている。
「あなた、なぜ来たの?」
「私は仕事で……契約のために……」
「ここは契約してはいけない場所。山がそれを嫌う」
女の声は悲しみに満ちていたが、どこか怒りのようなものも混じっていた。
「あなたも、あの火の中で焼かれたの?」と凛が問うと、女はゆっくりと頷いた。
「あの噴火の夜、誰も助けてくれなかった。私たちは祈りながら、山と共に死んだの」

凛は目を覚ました。体が冷たい汗で濡れている。
部屋の鏡を見た瞬間、凛は息を呑んだ。
鏡の中で、自分の肩越しに白い女が立っていたのだ。
「や……やめて……」
凛が叫ぶと、女の顔がゆっくりと近づいた。
焦げた頬、黒い瞳。
「あなたの名前、もう書かれたのよ」

翌朝、凛は旅館を飛び出した。車に乗り、村を離れようとしたが、道がどこまでも同じ風景を繰り返す。
「……出口がない……?」
焦りながら進むと、再びあの鳥居の前に出た。
風もないのに鈴が鳴り、霧の中から女の声がした。
「凛……帰りましょう」
「いやっ、いやよ!」

凛は車を発進させた。バックミラーを見ると、後部座席に白い女が座っている。
「逃げても無駄。山はもうあなたを受け入れた」
「やめてぇぇぇ!」
車がカーブを曲がる瞬間、白い影が凛に覆いかぶさった。
視界が真っ白に弾け、次の瞬間――。

凛は病院のベッドで目を覚ました。
「奇跡的ですよ。あなた、阿蘇山の林道で倒れていたんです」
警察官が言った。
「……誰か、他にいませんでしたか?」
「いいえ。あなた一人でした」
だが、凛の手には黒い木札が握られていた。『阿蘇山御霊封 凛』。

東京に戻っても、鈴の音は止まらなかった。
夜になると、部屋の鏡の中に白い影が映る。
同僚の真美が心配して訪ねてきた。
「凛、大丈夫? 最近顔色悪いよ」
「ねぇ真美……鈴の音、聞こえない?」
「え? 何も聞こえないけど……」
その瞬間、鏡の中で白い女が微笑んだ。
凛は叫び声を上げ、鏡を割った。

翌日、凛は再び阿蘇村へ向かった。
「もう終わらせなきゃ……」
霧の立ち込める山道を歩き、あの鳥居の前に立つ。
「出てきて……あなたの望みは何?」
静寂の中、鈴の音が答えた。
「弔いを……」
凛は涙を流し、木札を地面に置いた。
「あなたのために祈る。だから、私を許して……」

突然、風が吹き荒れ、霧が晴れた。
白い女がゆっくりと現れ、微笑んだ。
「ありがとう……これで、山に帰れる」
そう言って消えていった。凛は安堵の息をついた――その瞬間、地面が揺れた。
「地震……?」
大地が裂け、黒い煙が吹き上がる。
「嘘……まさか噴火!?」
凛は必死に走った。しかし背後から、鈴の音が響いた。
「まだ終わってない」

地面に転倒し、振り向くと、女の顔が再び現れていた。
「あなたも、ここで眠りなさい」
「嫌……私は生きたい!」
「なら、私の代わりに……山を見張って」
女は凛の額に手を当てた。冷たい光が走り、世界が闇に包まれた。

――数日後。
阿蘇山の近くで、女性の車が放置されているのが見つかった。
運転席には誰もいなかったが、助手席に白い着物の一部と焦げた木札が残されていた。
『阿蘇山御霊封 凛』。

それ以来、阿蘇村では夜になると鈴の音が響くという。
霧の中で誰かの名を呼ぶ声が聞こえる。
「凛……帰ろう……」

そして、阿蘇山を訪れた者の中には、彼女の姿を見たという人もいる。
白いスーツに黒い髪の女性。営業用の名札を胸につけ、霧の中を歩く姿。
その瞳はどこか寂しげで、手には黒い木札を握っている。

「あなたも……呼ばれたの?」
そう囁かれたら、決して振り向いてはいけない。振り向けば、あなたの名前も“阿蘇山御霊封”に刻まれるのだから。

霧が深くなる夜、阿蘇山の鈴の音が止むことはない。
それは、今も山のどこかで――凛が誰かを呼んでいる証なのかもしれない。

静かな風が吹くたびに、鳥居の鈴が微かに揺れる。
そして、その音に導かれる者がまたひとり、霧の中へと消えていくのだった。

コメントを投稿