天狗の影と森の守護者に迷い込んだ記者の恐怖物語

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天狗, 幽霊のような生き物と森の守護者

天狗の伝説と行方不明事件に潜む森の真実

西名奈々子、28歳。東京の地方新聞社で働く若き女性記者である。彼女は幼い頃から正義感が強く、困っている人を放っておけない性格だった。そんな彼女の元に舞い込んだのは、山間の村で起きた行方不明事件の取材依頼だった。

行方不明になったのは、村に住む七歳の少年。家族と共に山菜採りに出かけ、そのまま森で姿を消したのだという。警察や村人たちが捜索を続けていたが、少年の行方は杳として知れなかった。

「西名さん、本当に取材に行くんですか? あの森は昔から“天狗の森”って呼ばれていて、誰も近づかないんですよ。」
同僚の佐伯が心配そうに声をかける。

奈々子は迷いなく頷いた。
「放っておけないわ。子供が行方不明になっているのよ。記者として真実を追うのは当然だし、何よりも人として……助けられるなら助けたい。」

その決意に押されるように、数人の取材班と村の捜索隊に同行する形で、奈々子は森へと足を踏み入れた。

### 森の不気味な静けさ

森に入ると、空気は急にひんやりとし、昼間にも関わらず薄暗かった。木々は異様にねじれ、枝はまるで人間の腕のように空を掴んでいる。

「なんだか……息苦しいですね。」
カメラマンの斉藤がぼそりと呟いた。

奈々子も同感だった。だが口には出さなかった。雰囲気に呑まれてはならないと思ったからだ。

その時、村人の一人が低い声で言った。
「気をつけろ……この森には天狗が棲む。子供をさらうとも言われている。」

「迷信でしょう?」奈々子は笑おうとしたが、笑みはこわばった。森の奥から、冷たい風と共に奇妙な囁きが流れてきたからだ。

「出て行け……」

確かに耳に届いたその声に、背筋が凍った。

### 孤立

「奈々子さん! こっちです!」
突然、誰かの声がした。仲間が呼んでいるのだと思い、慌てて駆け出した。だが、気づいた時には周囲の景色が変わっていた。

木々は見たこともないほど密集し、足元には落ち葉が厚く積もっている。振り返っても仲間の姿はない。

「……嘘でしょ?」
心臓が早鐘を打つ。

携帯電話を取り出しても、圏外。無線も反応がない。完全に一人、取り残されてしまった。

そして、その瞬間から奇怪な現象が次々と起こり始めた。

### 一日目:赤い影

太陽が沈み始めた頃、木々の間を赤い影が横切った。長い鼻、鋭い目、そして背中に広がる黒い翼。

「……天狗?」
奈々子は震えた。だがすぐに自分に言い聞かせる。
「見間違いよ……きっと、疲れているんだわ。」

しかし次の瞬間、耳元で低い声が囁いた。
「出て行け……出て行け……」

奈々子は叫び声をあげて走り出した。だが走っても走っても同じ景色が続き、出口は見えなかった。

夜になると、不気味な太鼓の音が響いた。
「ドン……ドン……ドン……」
そのリズムに合わせ、赤い影が現れては消える。

「やめて……お願い、やめて!」
声は森に吸い込まれ、返事はなかった。

### 二日目:幻影

空腹と疲労で意識が曖昧になる中、奈々子は奇妙な夢を見た。
子供の泣き声が森の奥から聞こえる。

「助けて……」

必死に声の方へ走ると、目の前に天狗が現れた。
「返せ! あの子を返せ!」
だが天狗は答えず、ただじっと奈々子を見つめた。

目が覚めると、地面に鳥の爪のような足跡が無数に刻まれていた。

夕方、再び声が聞こえた。
「奈々子……こっちだよ……」

振り向くと、行方不明の少年の姿が木の間に立っていた。
「ここにいるよ……助けて……」

涙がこぼれそうになる。しかし、近づこうとすると影は霧のように消え、その背後に天狗が立っていた。
「……惑わされるな」
低く響く声。まるで警告のようだった。

### 三日目:真実

限界を迎え、奈々子は木の根元に座り込み、震える声で問いかけた。
「あなたは何? どうして私を追い回すの?」

天狗が姿を現した。赤い顔に長い鼻、鋭い目。しかしその瞳には怒りではなく、深い悲しみが宿っていた。

「子は……ここにはいない。」

「え……?」

「行方不明の子供は森に迷い込んだのではない。人の手によって連れ去られた。」

奈々子の目が見開かれた。
「そんな……じゃあ、今までの幻影は……?」

「お前を惑わせたのは、人の心に潜む恐怖だ。私はそれを見せただけ。そして……真実を伝えるために。」

奈々子は震えながらも理解した。天狗は彼女を脅かしていたのではない。警告していたのだ。

「なぜ、そんなことを?」

「森を守るのが我らの役目だ。しかし、お前は森を荒らす者ではなかった。必死に子を探すお前の心が……私を動かした。」

その言葉を最後に、天狗の姿は霧のように消えた。

### 森を抜けて

夜明け、森の出口が突然目の前に現れた。奈々子は光に導かれるように歩みを進めた。

村に戻った彼女は、すぐに警察へ真実を伝えた。子供は森ではなく、人間の手で連れ去られたのだと。

数日後、少年は無事に保護され、犯人も逮捕された。村人たちは驚きと共に奈々子へ感謝を伝えた。

だが奈々子は、事件が解決したことよりも、あの森で出会った存在のことが頭から離れなかった。

「天狗……本当に幻だったのかしら。」

ふと森を振り返ると、風に揺れる木々の音の中に、低い笑い声が混じっているような気がした。

### 後日談

東京に戻った奈々子は、この出来事を記事にまとめた。しかし、天狗については一言も触れなかった。証拠もなく、信じてもらえないだろうと思ったからだ。

だが記事の最後に、彼女はこう書いた。

「真実はいつも目に見えるものだけではない。恐怖の奥には、誰かが必死に伝えようとする声が隠れている。」

記事は大きな反響を呼び、村の事件は解決された。しかし奈々子の心には、あの三日間の記憶が深く刻まれたままだった。

彼女は今も時々夢を見る。霧深い森の中で、赤い顔の天狗が遠くからじっとこちらを見守っている夢を。

それは恐怖ではなく、不思議と温かい感覚を伴っていた。

天狗――幽霊のように恐れられながらも、森を守る静かな守護者。

奈々子にとって、彼は決して忘れられない存在となった。

そして彼女は誓う。
「恐怖の中に隠された真実を、これからも追い続ける」と。

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