家の池に現れた河童と怨霊の恐怖が告げる運命

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家の池に河童が現れる

池に現れた河童が守る女と怨霊の戦慄物語

橘あやめ、26歳。彼女は都内の広告代理店に勤める平凡な会社員だった。都会での仕事はストレスに満ち、残業に追われる毎日。そんな彼女にとって、週末に山あいの実家へ戻ることだけが心の安らぎだった。

その実家は祖母の代から続く古い日本家屋で、庭の奥には静かな池が広がっていた。子供の頃からその池には近づくなと祖母に厳しく言われていたが、その理由を誰も教えてはくれなかった。

ある夏の夜、あやめはふとした物音で目を覚ました。
「……水の音?」
耳を澄ませば、庭の方から水が跳ねる大きな音がする。魚にしてはあまりにも重々しい音。胸がざわつきながら窓を開けると、池のほとりに奇怪な影が立っていた。

それは背中に甲羅を背負い、頭に皿をのせた緑色の存在――河童だった。

「うそ……夢じゃないの?」

目を疑うあやめに、河童はじっと視線を向け、ゆっくり口を開いた。
「見つけた……」

その声は低く湿っていて、耳の奥に響くようだった。恐怖で声も出せず、あやめは窓を閉めて震えながら朝を待った。

だが、それは終わりではなかった。翌夜も、その次の夜も、河童は池に現れ、彼女を見つめ続けた。最初は悪霊に取り憑かれたのではないかと怯えたが、妙なことに河童は襲ってこなかった。

三日目の夜、ついにあやめは勇気を出して声をかけた。
「あなた、何者なの? どうして私の家に現れるの?」

池の水が不気味に波打ち、河童が姿を現した。
「……危ない。お前は狙われている」

「狙われている? 誰に?」

だが河童はそれ以上答えず、水中に沈んでしまった。

その夜、あやめは夢を見た。
家の廊下を歩く黒い影。その影は女の形をしており、長い髪を垂らして這いずるように動いていた。
「……返せぇ……私の命を返せぇ……」

うめき声が耳に響いた瞬間、あやめは叫び声を上げて目を覚ました。しかし、部屋の空気は夢の続きのように重苦しく、背後に気配を感じた。
恐る恐る振り返ると、誰もいなかった。だが窓の外を覗くと、河童が立っていた。真剣な眼差しでこちらを見つめていた。

翌日、あやめは町の古老を訪ね、事情を話した。
「池に河童が出るですって?」
老人は顔を曇らせ、深いため息をついた。
「橘の家に伝わる呪いを、あんたは知らんのか?」

あやめは首を振った。
「祖母からは池に近づくなと言われただけです」

老人はうなずき、重々しく語り始めた。
「あの池にはな、昔、身投げした女の怨念が眠っておる。愛した男に裏切られ、絶望の果てに池へ身を沈めたそうじゃ。その女はお前の祖先に深い恨みを抱いて死んだ。だから一族を狙っている」

あやめの心臓は早鐘のように鳴った。
「じゃあ、あの夢に出てきた女は……」

「そうだ。だが河童は、その怨霊を封じるために現れたのだろう。河童は災いをもたらす存在でもあるが、ときに人を守ることもある。お前は選ばれたのだ」

老人の言葉に納得はできなかったが、恐怖だけは確信に変わった。

その夜、恐ろしい出来事が起きた。

午前2時、寝室のドアが軋む音がして、あやめは飛び起きた。ドアの隙間から黒い髪が垂れ、白い顔が覗いた。
「……返せ……」

女の怨霊が四つん這いで部屋に入り込んでくる。目は虚ろで、皮膚は土気色に変色していた。あやめは布団に潜り込み、声を押し殺したが、冷たい指が布団をつかみ、引き剥がそうとする。

その瞬間、窓が破れ、河童が飛び込んできた。
「退けぇッ!」

河童の怒声と同時に、水の力が部屋いっぱいに広がり、怨霊は悲鳴を上げて後退した。
「お前は……まだ成仏できんのか……」

河童の言葉に、あやめは混乱しながらも叫んだ。
「あの女は誰なの!? どうして私を狙うの!?」

河童は一瞬黙り、やがて低い声で言った。
「それはお前の血筋に縛られた怨霊だ。祖母の代に、この池で死んだ女の魂。橘の家を憎み、今もお前を狙っている」

あやめの頭は真っ白になった。知らなかった家族の罪が、自分に降りかかっている。

それから数日間、怨霊の襲撃は繰り返された。毎晩のように現れる女に、河童はその都度立ち向かい、あやめを守った。河童の体は次第に傷つき、甲羅には亀裂が入り、皿の水も減っていた。

「どうしてそこまでして私を助けるの?」
あやめの問いに、河童はかすかに笑った。
「俺は池に縛られた存在だ。人を襲うべき運命だった。だが……お前を見ているうちに、忘れていたはずの心を思い出した。俺はもう災いにはなれぬ」

その言葉に、あやめの胸は締め付けられた。

やがて決戦の夜が訪れる。

その夜、怨霊はこれまでにない力を持って現れた。家中の障子が一斉に破れ、畳が血のように赤黒く染まった。
「お前を……地獄へ引きずり込む……!」

怨霊の叫びと共に、冷気が部屋を支配する。あやめは震え、涙を流しながら河童にすがった。

河童は一歩前に進み、決意を宿した目で怨霊を睨みつけた。
「これで終わりにする!」

河童と怨霊がぶつかり合い、家全体が揺れるほどの霊気が爆発した。怨霊の爪が河童の甲羅を裂き、血のような水が飛び散る。だが河童は怯まず、怨霊を抱きしめて叫んだ。
「お前の苦しみは俺が共に背負う!」

そのまま池へと飛び込み、二つの存在は水の底へ消えた。

池は激しく波立ち、やがて静寂を取り戻した。あやめは泣きながら池を覗き込んだが、河童も怨霊も姿を現さなかった。

翌日、古老が言った。
「河童は怨霊を連れていったのじゃろう。池の底で共に封じられたのだ」

それ以来、怨霊は現れなくなった。だが、あやめは今も池を見つめるたびに思う。

――あなたはまだ、そこにいるの?

月明かりに照らされた水面に広がる小さな波紋。それは、彼が今も彼女を守っている証なのかもしれなかった。

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