オフィスと自宅に現れる怨霊恐怖の実話風ホラー
会社と自宅を襲う女の怨霊と恐怖の連鎖
熊野あかりは25歳、東京の小さな広告代理店で働く女性だった。彼女は几帳面で真面目な性格だが、最近になって体調不良や不眠に悩まされていた。原因はよく分からなかったが、オフィスでも自宅でも、背後に誰かが立っているような視線を感じるのだ。
「また…気のせいだよね」
彼女はモニターを見つめながら自分に言い聞かせた。深夜残業のオフィスには彼女しかいないはずだった。しかし、コピー機の横から紙をめくるような音がした。
「……誰か残ってる?」
声をかけても返事はない。だが、書類棚の影から長い黒髪が床に垂れているのが見えた。心臓が凍りつく。あかりが目を逸らすと、それはすぐに消えた。
翌朝、同僚の佐藤に昨夜の出来事を話すと、彼は眉をひそめて囁いた。
「ここ、昔から変なんだよ。十年前、このオフィスで働いてた女性社員が急に亡くなったんだ。過労死って言われてるけど、本当は違うって噂もあってさ」
「違うって…どういう意味?」
「彼女、自宅に帰っても同じ影を見たって言ってたらしいんだよ。死ぬ直前まで」
あかりは息を呑んだ。まさに自分と同じだった。
その夜、自宅のアパートに帰ったあかりは、バスルームの鏡に映る自分の背後に女の姿を見た。目は虚ろで、顔には深い傷跡が刻まれていた。彼女は振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「やめて…お願い…」
震える声でつぶやいたが、シャワーカーテンが突然音を立てて揺れた。冷たい風が浴室を通り抜けた瞬間、低い女の声が耳元で囁いた。
「返して…」
あかりは恐怖で叫び、バスルームを飛び出した。
次の日、会社を休んだあかりは神社へ向かった。巫女に相談すると、巫女は深刻な顔をして答えた。
「その声、『返して』と言ったのですね? きっと何かを奪われた女性の怨霊です。オフィスと自宅、両方で現れるのは珍しい…彼女は強く執着している」
「どうすれば…」
「祓うことはできますが、彼女が何を求めているのかを突き止めなければ根本的には解決できません」
あかりはオフィスに戻り、過去の記録を調べた。その女性の名前は「西田美咲」。亡くなる直前、彼女は大きなプロジェクトで功績を残したが、その成果を上司が自分のものにしたという噂が残っていた。
「奪われた…って、まさか」
あかりは震えた。怨霊は自分の成果を奪われた怒りと悔しさを抱えたまま死んだのだ。
その夜、オフィスに一人残ったあかりは机の上に西田美咲の名前を刻んだメモを置き、声を出した。
「あなたのことを忘れない。あなたの努力は、もう誰にも奪わせない」
すると、窓に映った女の影がゆっくりと振り向いた。血の涙を流しながら、その姿は少しずつ薄れていった。
「ありがとう…」
最後の言葉を残して影は消えた。
しかし、安堵も束の間だった。その翌日、自宅に戻ったあかりは、再び鏡に女の姿を見た。だが、今回は西田美咲ではなかった。知らない顔の、別の女が立っていたのだ。
「次は…あなたの番」
その声とともに電気がすべて消え、あかりの叫び声が夜のアパートに響いた。物語はまだ終わっていなかった。
彼女は気づいてしまった。この怨霊は一人ではない。オフィスと自宅、そして彼女の人生そのものに、次々と新しい影が現れ始めていたのだ。
「どうして…私なの?」
その問いに答える者は、まだいなかった。恐怖の連鎖は、終わりを告げる気配を見せなかった。
その後、あかりは毎晩のように違う女の怨霊に悩まされた。ある夜は髪の毛が抜け落ちる音とともに枕元に立つ女、またある夜はオフィスのトイレの個室で肩越しに覗く顔…。
「やめて…お願い、もう限界…!」
叫んでも、怨霊は離れなかった。
彼女は再び神社を訪れ、巫女にすがりついた。
「どうして私ばかり…怨霊は消えたはずなのに…!」
巫女は重く首を振った。
「あなたは、すでに境界を越えてしまったのです。一度でも怨霊と深く関わってしまうと、彼女たちは仲間を呼び寄せます。あなたの存在そのものが、今や“標”になってしまった」
「標…?」
「彼女たちが集まる灯火のようなもの。あなたが恐怖に囚われれば囚われるほど、その光は強くなり、怨霊を引き寄せてしまうのです」
あかりは絶望的な気持ちになった。逃げ場はなかった。
ある晩、彼女は意を決して怨霊に向き合おうとした。自宅の部屋の中央に正座し、電気を消した。
「出てきて…私はもう逃げない」
すると、壁の四方から女の呻き声が響いた。次々と姿を現す女たち。顔のない者、首の折れた者、血に濡れた者。
「返して…奪われたものを…」
「私を見て…忘れないで…」
声が重なり、空気が震えた。あかりは震えながらも叫んだ。
「私はあなたたちを忘れない! あなたたちの苦しみも…存在も…!」
すると、一瞬、部屋の中に静けさが戻った。怨霊たちは消えたように見えた。だが、鏡の中にはひとりの女だけが残っていた。その顔は――あかり自身だった。
「あなたももうこちら側」
鏡の中の自分が微笑み、血の涙を流した。
あかりの悲鳴は、やがて途絶えた。翌朝、同僚の佐藤が彼女の部屋を訪ねたが、中には誰もいなかった。ただ鏡の中に、青白い顔のあかりが立っているのを見たと言う。
会社では今も夜遅くまで残業する社員が、背後に視線を感じるという噂を口にしている。誰も理由を知らない。ただ「返して」という声が時折聞こえるだけだった。
こうして、熊野あかりは怨霊に取り込まれ、オフィスと自宅を行き来する新たな存在となったのだった。恐怖の連鎖は、止まることを知らなかった…。
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