天狗山の幽霊伝説に巻き込まれた都会のOL恐怖体験記

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天狗山の幽霊伝説

白い着物の女と天狗山に潜む新たな怪談

深夜、東京のオフィス街で残業を終えた女性、佐伯美咲(さえき みさき)は、心身ともに疲れ果てていた。
「はぁ……またこんな時間まで残業か。帰ったらすぐ寝たい……」
独り言をつぶやきながら駅へ向かう足取りは重かった。だが、その夜、彼女の運命は思いもよらぬ方向へと傾いていくことになる。

オフィスの片隅、使われなくなった棚を整理していた時、古びた冊子を見つけたのだ。茶色に変色した紙には「天狗山の幽霊伝説」と題された文字が滲んでいた。美咲は何気なくページをめくり、そこに記された話に心を奪われた。山奥の村で、白い着物の女が夜ごと現れるという伝説。

「ふーん、こういうのって田舎ならではの怪談ってやつかな……」
と苦笑しながらも、どこか妙に気になって仕方がなかった。

——

週末、美咲はなぜかその山へ向かうことにした。心のどこかで「非日常を味わいたい」という衝動があったのかもしれない。仕事に追われる毎日の中で、怖い話に触れることで現実を忘れたかったのだ。

バスに揺られ、田舎の駅に到着すると、空気はひんやりとして澄んでいた。人影もまばらで、どこか時間が止まったような感覚が漂っている。

駅前の小さな旅館に泊まることにした美咲に、女将が問いかける。
「お嬢さん、一人で天狗山に行くつもりですか?」
「ええ、ちょっと観光がてらに……」
女将は目を細め、低い声で言った。
「あの山には近づかない方がいい。夜になると、白い着物の女の幽霊が現れるって昔から言われています」

美咲は苦笑して答えた。
「大丈夫ですよ。幽霊なんて信じてませんから」
だが、心のどこかに引っかかるものがあった。

その夜、旅館の部屋から山を眺めていた美咲は、月明かりに照らされた稜線に人影を見た。白く揺れる着物のようなもの。瞬きをした次の瞬間にはもう消えていたが、確かに“何か”がいたと感じた。

——

翌日、美咲は天狗山へと足を踏み入れた。山道は苔むした石畳が続き、鳥居や古びた祠が点在していた。やがて彼女は石碑の前で立ち止まった。
「此処に眠る女、決して山を越えることなかれ」
かろうじて読める文字。意味を測りかねながらも背筋がぞくりと震えた。

森の奥から鈴の音が微かに響く。
「……え? 誰かいるの?」
振り返っても誰もいない。だが音は確実に近づいてくる。次の瞬間、目の前に白い着物の女が立っていた。

長い黒髪、虚ろな瞳、土の匂いを纏った気配。
「ひっ……!」
美咲が後ずさると、女はか細い声で囁いた。
「……助けて」

驚きと恐怖の中で、美咲は震える声を出す。
「あなたは……誰?」
女は涙を流しながら答えた。
「私は……村に裏切られ、ここで殺されたの。天狗に嫁ぐはずだったのに……」

その言葉とともに女は消え、残されたのは湿った冷気と胸に残る哀しみだった。

——

旅館に戻った美咲は女将に尋ねた。
「あの山に、本当に女の幽霊が出るんですか?」
女将は深刻な顔で頷いた。
「ええ、昔、村の娘が天狗に捧げられるはずでしたが、村人たちは彼女を騙して山奥に閉じ込め、殺したと伝わっています。それ以来、怨霊が彷徨っているのです」

美咲はあの幽霊の声を思い出した。「助けて……」。それは怨念というよりも救いを求める声に聞こえた。

——

その夜、美咲は眠れずにいた。窓の外からまた鈴の音が聞こえる。導かれるように彼女は山へ向かった。月明かりの中、幽霊の女が再び現れた。

「私は……自由になりたい」
美咲は息を呑みながら問う。
「どうすればあなたを救えるの?」
女は森の奥の祠を指差した。
「裏切った者たちの名が刻まれている……それを壊して」

美咲は恐怖を押し殺して祠へと向かった。石板には古びた文字で数人の名前が刻まれている。その瞬間、突風が吹き、異様な気配が漂った。

「壊してはならぬ……」

振り返ると、巨大な天狗の影が現れた。赤黒い顔、鋭い目、異様に長い鼻。
「この山の秩序を乱すな」
美咲は叫んだ。
「でも、彼女は苦しんでいる! このままじゃ……」

天狗の眼光は鋭く、女の幽霊の瞳は哀しみに満ちていた。どちらを信じるべきか、美咲は決断を迫られる。

「お願い……助けて……」
「愚か者、その女に騙されるな!」

声が交錯する中、美咲は意を決して石板を叩き割った。

——

耳をつんざく悲鳴。女は笑みを浮かべて消えた。
「ありがとう……これでようやく……」

だが次の瞬間、天狗が怒声を上げる。
「愚か者! その女は真実を偽っていた!」

大地が裂け、美咲の身体が闇へと飲み込まれていく。最後に聞こえたのは、女の哄笑だった。

——

翌朝、村人たちが山を見上げると、祠は崩れ落ち、石碑も跡形もなく消えていた。美咲の行方を知る者はいなかった。

やがて村では新たな噂が広まった。
「夜の天狗山には、白い着物の女と見知らぬ都会の女の幽霊が並んで立っている」と。

人々は怯えながらもその話を口にする。観光客が減り、村はさらに寂れていった。だが一部の者はこうも囁く。

「都会の女は、あの幽霊に引き込まれて新たな呪縛の一部となったのだ」と。

ある老僧は美咲の名を口にし、こう語った。
「その娘は選択を誤った。だが誰も彼女を責められぬ。なぜなら“助けを求める声”は、人の心を最も揺さぶるものだからだ」

——

数年後、再び天狗山に訪れた旅行者が語った。夜明け前、森の奥でスーツ姿の女が立っていたと。
「顔は見えなかったけど……泣きながらこっちを見ていた。隣には白い着物の女がいて、二人同時に微笑んだんだ」

それ以来、天狗山の幽霊伝説には新たな一節が加わった。
「天狗山には二人の女の霊が並び立ち、迷い込んだ者を選び取る」と。

今もなお、その山に足を踏み入れた者は帰ってこないと囁かれている。

終わり。

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