閉めたはずの仏壇が夜中に開く恐怖体験と祖母の声の怪談
会社員ナナコが見た仏壇の怪異と夜中に開く扉
七月の蒸し暑い夜、会社員の七子(ナナコ)は、疲れきった体を引きずるようにして東京の古いアパートへ帰ってきた。
その日も残業だった。窓の外には生ぬるい風が吹き、遠くで電車の走る音が低く響いている。七子は革靴を脱ぎ、玄関にバッグを置きながら小さくため息をついた。
「……またこんな時間か。」
彼女は独り言のように呟いた。部屋は静まり返っている。二年前に祖母が亡くなってから、この部屋には七子一人しか住んでいない。
もともとこの部屋は祖母の家だった。古い木造の建物で、壁も床も少し軋む。都会のアパートなのに、どこか田舎の家のような匂いが残っている。
部屋の奥には、小さな仏壇が置かれていた。祖母が大事にしていた仏壇だ。
七子は普段、そこにあまり近づかない。
だが、毎朝出勤する前に必ず手を合わせる習慣だけは続けていた。祖母が亡くなる前、「仏壇だけは閉めておきなさい」と何度も言っていたからだ。七子は当時その意味が分からなかったが、後になってから、毎晩増える箸と白い女の影に怯える新婚夫婦の恐怖体験のような話を思い出し、家の中で起きる異変には理由があるのかもしれないと感じ始めていた。
「仏壇はね……ちゃんと閉めておくのよ。夜は特に。」
祖母の声が、ふと頭の中でよみがえった。
七子は少し眉をひそめた。
「なんでそんなこと言ってたんだろ……」
そう呟きながら、ふと視線を仏壇に向けた。
その瞬間、七子の体が固まった。
仏壇の扉が、開いていた。
「……え?」
七子はゆっくり近づいた。
仏壇の中には祖父母の写真、古い位牌、線香立てが並んでいる。そしてその両側の木の扉が、まるで誰かが今さっき触ったかのように半分ほど開いていた。
「……閉めたよね。」
七子は確かに覚えていた。朝、手を合わせたあと、きちんと仏壇を閉めたのだ。
毎日同じ動作だから間違えるはずがない。
彼女は少し考えたあと、肩をすくめた。
「……疲れてるのかな。」
そう言って、仏壇の扉を閉めた。
カタン。
静かな音が部屋に響いた。
その夜、七子はすぐに眠った。
だが——
真夜中。
カタ…
小さな音で目が覚めた。
七子は目を開けた。
部屋は暗い。時計を見ると午前二時。
「……今の音?」
彼女はベッドの上で体を起こした。
カタ……
また音がした。
それは、仏壇の方向からだった。
七子はゆっくりと顔を向けた。
暗闇の中で、仏壇の扉が——
ゆっくりと開いていた。
ギ……
まるで誰かが内側から押しているかのように。
七子の喉がひゅっと鳴った。
「……嘘……でしょ……」
彼女は立ち上がった。
だが、そのとき。
仏壇の奥から、声がした。
「……ナナコ。」
七子は凍りついた。
それは祖母の声だった。七子の脳裏には、眠っているはずの母の声と新居に潜む怨霊の真相という怪談が一瞬よぎった。眠っているはずの人間の声が聞こえるなどあり得ないはずなのに、今まさに同じような出来事が目の前で起きていたからだ。
「ナナコ……開けて……」
「やめて……」
七子は震えながら首を振った。
「おばあちゃん、死んだでしょ……」
声は止まらない。
「ナナコ……仏壇……閉めないで……」
七子は恐怖で動けなかった。
しかしその瞬間、声が突然変わった。
低い、知らない声になった。
「……やっと、開いた。」
七子の背筋に冷たい汗が流れた。
仏壇の中の暗闇が、ゆっくりと揺れた。
そこには——
祖母ではない何かが、いた。
黒い影のようなものが、仏壇の奥から這い出ようとしている。
「ナナコ……ありがとう。」
声は祖母の声に戻っていた。
しかしその言葉は、どこかおかしかった。
「……私じゃないのよ。」
「え……?」
七子は震えながら聞いた。
「仏壇の中にいるのは……私じゃない。」
次の瞬間。
仏壇の扉が勢いよく開いた。
バンッ。
黒い手が、仏壇の奥から伸びてきた。
七子は叫んだ。
「いやあああ!!!」
だがそのとき——
背後から、祖母の声が聞こえた。
「振り向くな。」
七子は凍りついた。
祖母の声は、はっきりと耳元で囁いた。
「振り向いたら……あの中に入れられる。」
七子は震えながら前を見続けた。
仏壇の中の影が、少しずつ外へ出てくる。
「ナナコ……ナナコ……」
その声は、だんだん七子の声に似てきていた。
「私が……ナナコになる。」
七子の心臓が止まりそうになった。
そのとき祖母の声が言った。
「走りなさい。」
七子は玄関へ走った。
後ろから、床を這う音が追いかけてくる。
ズル……ズル……
「待って……ナナコ……」
その声は、もう完全に七子自身の声だった。
玄関のドアを開けた瞬間、七子は外へ飛び出した。
だが、背後から祖母の最後の声が聞こえた。
「仏壇は……閉めなさい。」
次の日。
警察がアパートに来た。
七子は部屋で見つかった。
仏壇の前で座ったまま。
仏壇は、きちんと閉まっていた。
しかし——
七子の顔は、笑っていた。
そして彼女は、静かに呟いた。
「……次は、誰が開けてくれるの?」
その声は、七子の声ではなかった。

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