夜中に動くカレンダーと新婚主婦が見た白い女の怨念
高級マンションで起きた深夜の怪異と消えた女性の真実
井上(いのうえ)は、新婚生活を始めたばかりの若い主婦だった。
結婚を機に、夫・健一(けんいち)とともに、都内でも比較的静かな住宅街に建つ高級マンションへ引っ越してきた。
築年数は古いが、リノベーションが施され、外観も内装も洗練されている。
大きな窓から差し込む朝の光、夜になれば遠くに見える街の灯り。
井上はその部屋に足を踏み入れた瞬間、「ここなら幸せになれる」と直感した。
井上は近所でも有名な美しい女性だった。
白く滑らかな肌、均整の取れた身体、女性らしい曲線。
薄手のワンピースを着て歩くだけで、男たちの視線が自然と集まる。
エレベーターの中、コンビニ、近所の商店街――どこに行っても、密やかな憧れの目を向けられていた。
だが彼女自身はそれに無自覚で、ただ家庭を大切にする普通の主婦でありたいと願っていた。
「ねえ健一、本当に夢みたい」
引っ越し初日の夜、段ボールがまだ片付いていないリビングで井上は微笑んだ。
「君が気に入ってくれて良かったよ。この部屋」
健一は少し照れたように笑った。
二人はソファに並んで座り、これから始まる新しい生活に胸を躍らせていた。
数日後、生活も落ち着き始めた頃、井上はリビングの白い壁にカレンダーを掛けた。
季節の風景が印刷された、ごく普通の紙のカレンダー。
「ここなら毎日目に入るし、予定も書き込みやすいわね」
そう呟きながら、画鋲を壁に押し込んだ。
そのとき、壁の奥から微かに鈍い音がしたような気がしたが、井上は気にも留めなかった。
その夜は、静かで穏やかな夜だった。
窓の外から聞こえるのは、遠くを走る車の音だけ。
井上は夫の隣で安心しきった表情で眠りについた。
――翌朝。
キッチンで朝食の準備をしていた井上は、ふと壁を見て言葉を失った。
「……え?」
そこには、昨日リビングに掛けたはずのカレンダーがあった。
キッチンの白い壁に、まるで最初からそこにあったかのように、整然と掛けられている。
「健一?」
寝室に向かって声を掛けると、眠そうな健一が顔を出した。
「どうしたの?」
「カレンダー、移動させた?」
健一は眉をひそめ、首を横に振った。
「いや、触ってないよ。君じゃないの?」
井上は一瞬考え込み、すぐに笑ってみせた。
「そうよね。私が無意識に動かしたのかも」
そう自分に言い聞かせ、その日はそれ以上追及しなかった。
だが、その違和感は日を追うごとに大きくなっていく。まるで父の靴が増えていく―消えていく娘の恐怖体験のように、日常の中の小さな異変が、確実に恐怖へと変わっていった。
翌朝、カレンダーは物置部屋の壁に掛かっていた。
さらに次の日には寝室、また次の日には浴室の外壁。
どの日も、井上が眠っている間に、誰かが丁寧に移動させているようだった。
「……おかしい」
井上の胸に、言いようのない不安が広がった。
「健一、やっぱり何か変よ」
「だから俺じゃないって言ってるだろ」
健一の声にも、次第に苛立ちが混じり始めた。
二人の間に、目に見えない溝が生まれ始めていた。
その夜、井上は奇妙な夢を見た。
薄暗い部屋の中、白い服を着た女が壁の前に立っている。
長い黒髪が顔を覆い、表情は見えない。
女は何も言わず、ただ壁を指差していた。
「……ここ……」
目を覚ますと、冷たい汗がシーツを濡らしていた。
心臓が激しく鼓動を打っている。
翌朝、カレンダーは浴室の壁に掛かっていた。
夢の中で女が立っていた、まさにその場所だった。
「……偶然、よね」
震える手でカレンダーを外しながら、井上は必死に理性を保とうとした。
その夜、トイレに起きた井上は、廊下の奥に人影を見た。
白い――女。
ゆっくりとこちらを振り向く。
虚ろな目、青白い顔。使われていないはずの空間に突然現れる異変は、使っていない部屋の電気と消えた家系の禁忌を連想させるほど、不自然で不気味だった。
「……きゃああああ!」
悲鳴と同時に、女の姿は霧のように消えた。
健一が飛び起き、井上を抱きしめた。
「もう無理だ……誰かに相談しよう」
数日後、霊感があると評判の年配の女性が部屋を訪れた。
女性は無言で部屋を一周し、カレンダーが掛けられていた壁の前で立ち止まった。
「……ここに、閉じ込められた魂があります」
管理会社と警察が入り、壁を調査すると、コンクリートの中から白骨化した遺体が発見された。
それは、数年前にこのマンションで失踪した若い女性だった。
恋人によって殺害され、壁の中に隠されていたのだ。
犯人は逮捕され、事件は解決した。
その夜、井上の前に白い女が現れた。
今度は穏やかな笑みを浮かべていた。
「……ありがとう……」
女はそう呟き、静かに消えていった。
それ以来、カレンダーが動くことはなかった。
井上は今も、そのカレンダーを見るたびに思い出す。
夜中に動いたそれが、救いを求める魂の叫びだったことを――。

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