家族写真が少しずつ変わる―消えていく記憶と血縁の恐怖

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伝統的な日本家屋の中にいた女性が幽霊を見て怯えている様子。

故郷の家に残された家族写真が歪める真実

 都内の高層ビルが立ち並ぶオフィス街で働く祐奈(ゆな)は、二十代後半の独身女性だった。長い黒髪を肩口で整え、清潔感のある服装を好む彼女は、職場でも取引先でも「感じのいい女性」として知られている。仕事は真面目で、多少の残業や理不尽な要求にも表情を崩さず対応する。その姿は一見すると強く、自立した都会の女性そのものだった。しかし、誰もいない夜のワンルームに帰ると、祐奈は決まって胸の奥にぽっかりと空いた穴のような孤独を感じていた。

 ある蒸し暑い夕方、祐奈が郵便受けを開けると、一通の封書が目に留まった。見慣れない古風な字体で書かれた宛名。差出人を見た瞬間、祐奈の心臓がわずかに跳ねた。故郷の親戚一同からだった。中には、祖母の命日に合わせた家族会の案内が丁寧な言葉で綴られていた。

「……今さら、家族会なんて」

 祐奈は小さく呟き、封書をテーブルに置いた。故郷は山々に囲まれた地方の小さな村で、子どもの頃を最後に、ほとんど足を運んでいない場所だ。決定的に嫌な思い出があるわけではない。ただ、思い返そうとすると、靄がかかったように記憶が曖昧になり、胸の奥がざわつく。楽しかったはずの記憶に、なぜか影が差すのだ。

 数分悩んだ末、祐奈は封書をもう一度開いた。文章の最後に添えられた一文が、なぜか強く心に引っかかった。

「皆、祐奈に会いたがっています」

 その言葉を読んだ瞬間、断るという選択肢が、自然と頭から消えていた。理由は分からない。ただ、帰らなければならないという感覚だけが、胸に静かに広がっていった。

 数日後、祐奈は有給を取り、故郷へ向かうことにした。新幹線から在来線、さらにバスを乗り継ぐ長い道のり。車窓から見える景色は、コンクリートの街並みから、次第に深い緑と霧に包まれた山道へと変わっていく。

「……時間が、巻き戻っていくみたい」

 バスの揺れに身を任せながら、祐奈は幼い頃の断片的な記憶を辿ろうとした。しかし、思い出そうとすればするほど、頭の奥がじんと痛む。

 村に到着すると、湿った土と古い木の匂いが鼻をついた。空気は静かで、蝉の声だけがやけに大きく響いている。祐奈の実家は、村の奥まった場所に建つ古い木造家屋だった。

「祐奈ちゃん!」

 玄関を開けるなり、叔母や叔父、従姉妹たちが次々と姿を現し、笑顔で祐奈を迎えた。その様子は温かく、どこにでもある親戚の再会の光景だった。

「久しぶりだね」「都会の暮らしはどう?」

「相変わらず仕事ばかりですけど、元気にしてます」

 祐奈は笑顔で答えながらも、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。誰かが、ほんの一瞬だけ彼女を値踏みするように見つめる視線。しかし視線の主を探そうとすると、皆すでに別の話題で盛り上がっている。

 夕食は大広間で取られ、豪勢とは言えないが、懐かしい郷土料理が並んだ。笑い声が響き、酒も進み、場は和やかだった。それでも祐奈は、誰もが微妙に同じ話を繰り返していることに気づいた。まるで、決められた台本をなぞるように。

 夜になり、祐奈は二階の客間へ案内された。古い廊下を歩くたび、床板がぎしりと鳴る。部屋に入ると、畳の匂いとともに、壁一面に飾られた家族写真が目に入った。

「……こんなに、あったっけ」

 白黒の写真、色褪せた集合写真、比較的新しいものまで、大小さまざまな額が並んでいる。祐奈はその中の一枚に、無意識のうちに引き寄せられた。

「……私」

 幼い自分が写っている。しかし、記憶の中の立ち位置と微妙に違う。家族から少し距離を置き、まるで輪の外にいるようだった。

「気のせい、よね……」

  そう自分に言い聞かせ、その夜は布団に入った。しかし、なかなか眠れない。家のどこかで、木が軋む音、風の通る音が、必要以上に大きく感じられた。祐奈は、かつて夜中に動くカレンダーと新婚主婦が見た白い女の怨念という怪談を読んだときと、よく似た胸騒ぎを覚えていた。

 ――カタン。

 深夜、何かが落ちたような音で目が覚めた。心臓が早鐘のように鳴る。耳を澄ますと、誰かが廊下を歩くような気配もする。だが、声をかける勇気は出なかった。

 翌朝、祐奈は無意識のうちに写真へと目を向けた。そして、言葉を失った。

「……昨日と、違う」

 写真の中の自分の位置が、さらに端へとずれている。家族との距離が、明確に開いていた。

 朝食の席で、祐奈は恐る恐る切り出した。

「ねえ、この家の写真って……昔から、ああでしたっけ?」

 一瞬、空気が凍りついたように感じられた。しかしすぐに、叔父が笑って答える。

「何を言ってるんだい、祐奈ちゃん。写真は変わらないよ」

 その笑顔は柔らかいはずなのに、どこか作り物のようだった。祐奈の胸に、冷たい不安が広がる。

  その夜も、写真は変わった。今度は、従姉妹の一人の顔がぼやけ、輪郭が曖昧になっている。祐奈はふと、以前読んだ父の靴が増えていく―消えていく娘の恐怖体験という体験談を思い出した。何か“消える前兆”として異常な変化が積み重なっていく……そんな不穏な記憶が胸をよぎる。

「……消えかけてる?」

 嫌な予感は、翌朝に現実となった。従姉妹の姿が、家の中から消えていた。誰も彼女の不在を不思議に思わない。名前を出しても、怪訝そうな顔をされるだけだった。

「最初から、いなかったでしょう?」

 その言葉を聞いた瞬間、祐奈の背筋に氷のようなものが走った。

 夜、祐奈は納戸に忍び込み、古いアルバムを探し出した。埃をかぶった箱の中には、何冊もの家族アルバムが詰め込まれている。ページをめくるごとに、胸が締め付けられた。

「……減ってる」

 写真の人数が、年代を追うごとに減っている。知らない顔、見覚えのある顔、そして消えていく存在。最後のページに写っていたのは、祐奈一人だけだった。

 背後から、懐かしい声がした。

「祐奈……」

 振り返ると、亡くなったはずの祖母が立っていた。

「この家はね、忘却を許さないの」

「忘れ、る……?」

「家族に忘れられた者は、記憶の中に閉じ込められる。そして写真になる」

 祖母の身体は、ゆっくりと写真の中へ溶け込んでいく。

「あなたも、もうすぐこちら側よ」

 祐奈は叫び声を上げ、必死で家を飛び出した。夜明け前の山道を、息が切れるまで走り続けた。

 ――数日後。

 祐奈は都会の自室に戻っていた。日常は何事もなかったかのように進んでいる。しかし、棚の上に置かれた一枚の写真を見た瞬間、全身の血が凍りついた。

 そこには、見知らぬ家族の集合写真の端に立つ、自分の姿が写っていた。

 写真の中の祐奈は、今にも消えそうなほど、薄くなっていた。

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