幽霊の濡れ女に出会った女子高生が清流で消えた真実

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幽霊の濡れ女に出会った

日本の田舎の川に潜む濡れ女と沈められた少女の恐怖

 あの夏の日のことを、私は今でもはっきりと思い出せない。思い出そうとすると、涼やかな水音と、髪の毛が水に張り付くような感触だけが、脳の奥で絡み合う。私の名前は結衣(ユイ)。日本の地方都市にある高校に通う、どこにでもいる普通の女子高校生だった。

  その日、私は友達数人と一緒に、クラスメイトの美咲(ミサキ)の実家がある田舎へ遊びに行った。以前、別の友人の村で友達の村で目覚めたがしゃどくろの呪いと三夜の恐という不気味な体験談を聞いたことがあったが、そのときはまさか自分も似たような怪異に巻き込まれるとは思ってもいなかった。山に囲まれ、古い家屋が点在するその村には、観光地でもないのに、なぜか心が落ち着く清らかな川が流れていた。


「ねえユイ、この川すっごくきれいでしょ?」
「うん……東京の川とは全然違うね」

 美咲は誇らしげにそう言って、川辺に靴を脱いで降りた。水は驚くほど透明で、川底の小石や揺れる水草までくっきりと見えた。流れも緩やかで、膝下ほどの浅さしかない。

「ここ、昔から事故とかないの?」
「ないない。子どものころから遊んでるけど、誰も溺れたりしてないよ」

 そう聞いて、私たちは安心しきっていた。夏の太陽は強かったけれど、川辺を渡る風は涼しく、笑い声が山に反響していた。

 私は水に足を浸しながら、スマートフォンで写真を撮っていた。そのとき、川沿いに生えている一本の柳の枝が、やけに低く垂れているのに気づいた。葉の奥が暗く、何かが潜んでいるように見えたのだ。

「ユイ、写真撮るならこっちも撮ってよー」
 友達の声に応えて、私は一歩前に出た。だがその瞬間、濡れた石に足を取られ、体が大きく傾いた。

「あっ……!」

 私はとっさに手を伸ばし、柳の枝に掴まった。枝は思ったより細く、ミシリと嫌な音を立てた。

「ユイ!?大丈夫!?」

 友達の声が聞こえた気がする。だが次の瞬間、枝は私の体重に耐えきれず、折れた。視界が反転し、冷たい水が一気に全身を包み込んだ。

 川は浅いはずだった。足を伸ばせば立てるはずなのに、なぜか体は沈み続けた。水は澄んでいるのに、視界が急に暗くなり、耳鳴りがした。

「……息が……」

 口を開けた瞬間、水が喉に流れ込んだ。苦しい。もがこうとしても、体が鉛のように重い。水面が遠ざかり、光が揺らめく。

 不思議だったのは、誰の声も聞こえなかったことだ。さっきまで騒いでいた友達の笑い声も、悲鳴も、何も聞こえない。ただ、水の中で自分の心臓の音だけが、異様に大きく響いていた。

 そのときだった。

 視界の端に、黒い影が動いた。長い髪が水中でゆらゆらと漂い、異様なほど白い顔が、こちらを覗き込んでいる。目は細く、口元は不自然に引き伸ばされていた。

「……だれ……?」

 声にならない声が、頭の中で響いた。影はゆっくりと近づき、私の腕に触れた。冷たい。氷のように冷たい指だった。

 次の瞬間、体が引き上げられる感覚がした。だがそれは、優しい救助とは程遠かった。まるで獲物を捕まえる蛇のように、強く、逃げ場を与えない力だった。

 意識が遠のく直前、私は見た。

 その女の下半身が、長くうねる蛇の胴体であることを。

 ――濡れ女。

 日本の古い伝承で、水辺に現れる女の妖怪。美しい女の姿で人を惑わし、油断した人間を水に引きずり込むという存在。

 私の知識は、そこまでで途切れた。

 次に目を開けたとき、私は川岸に倒れていた。夕方の空は赤く染まり、蝉の声が遠くで鳴いている。体はびしょ濡れで、喉が焼けるように痛んだ。

「……ユイ?」

 聞き慣れた声がして、私は顔を上げた。美咲と、他の友達全員が、青ざめた顔で私を見下ろしていた。

「どこ行ってたの!?ずっと探してたんだよ!」
「川も、森も、全部探したのに……」

 私は混乱した。

「え……?私、川に落ちて……」
「落ちたのは見たけど、すぐに姿が見えなくなったの。溺れたと思って、みんなで必死に探したけど、どこにもいなかった」

 私は自分の体を見た。確かに濡れている。だが、不思議なことに、怪我は一つもなかった。

「誰かに……助けられた気がする」
「誰かって?」

 私は言葉に詰まった。あの女の姿を、どう説明すればいいのかわからなかった。

「……長い髪の、女の人」

 その瞬間、美咲の表情が一変した。

「……ユイ、それ以上言わないほうがいい」

「え?」

「この川……昔から、濡れ女が出るって噂があるの。似たような話で、丸岡城の呪いとお静の怨霊に囚われた女子高生の恐怖っていう怖い体験談もあるって聞いたことある?」


 空気が一気に冷えた気がした。

「子どもを助けたって話もあるけど、その後必ず、誰かが行方不明になるって……」

 私は背筋に寒気を覚えた。

「じゃあ、私を助けたの?」
「……それとも、最初からユイを沈めたのかも」

 誰かが、冗談めかしてそう言った。だが、誰も笑わなかった。

 その夜、私は美咲の家に泊まった。布団に入っても眠れず、川の水音が耳から離れなかった。

 夜中、喉が渇いて目を覚ましたとき、窓の外で水の滴る音がした。

 ぽた……ぽた……。

 恐る恐る障子を開けると、月明かりの下、庭の井戸のそばに、誰かが立っていた。

 長い髪。白い顔。濡れた着物。

 その女は、ゆっくりとこちらを向いた。口元が、あのときと同じように、不自然に歪んでいた。

「……まだ、息をしているのね」

 低く、湿った声が、確かに私の耳に届いた。

 私は声も出せず、その場に立ち尽くした。

「助けたのか、沈めたのか……それを決めるのは、あなた自身」

 女の下半身が、闇の中で、ゆっくりと蛇の形を描いた。

 次の瞬間、井戸の水面が大きく揺れ、女の姿は消えた。

 翌朝、私は何事もなかったかのように目を覚ました。だが、喉の奥には、今も水の冷たさが残っている。

 あの日以来、私は水辺に近づくと、必ず視線を感じるようになった。澄んだ水の底に、長い影が揺れているのが、見える気がするのだ。

 あれは、私を救った幽霊だったのか。
 それとも、次に沈めるために、命を返しただけなのか。

 答えは、まだ、水の中にある。

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