ツチノコのおかげで、大きな口を持つ幽霊の呪いを解くことができた
箱根で蘇る大口女の怨霊とツチノコの奇跡
神奈川県の箱根町。霧が深く立ちこめる山々の奥に、古びた神社がひっそりと佇んでいた。
その神社には、地元の人々の間で長い間囁かれてきた恐ろしい噂があった。
——夜な夜な現れる「大きな口の幽霊」。封印を破った者は、口を奪われる——。
箱根高校に通う女子高生、美美子(みみこ)は、都会的で好奇心旺盛な性格だった。彼女は心霊現象や都市伝説が好きで、週末になると友人の遥(はるか)と共に“心霊スポット探索”を楽しんでいた。
「次はさ、あの『大口女の神社』に行ってみようよ!」
美美子が放課後のカフェで無邪気に言ったとき、遥はすぐに顔をしかめた。
「やめようよ、美美子。あそこは本当にヤバいって言われてるじゃん。村の人が行方不明になったって噂もあるんだよ。青木ヶ原樹海に消えた考古学者たちの謎と死の真相を思い出すじゃない」
「そんなの信じてたら何もできないって。ねえ、ちょっと見に行くだけ。写真撮ってすぐ帰ろ」
遥はため息をついたが、結局は美美子の勢いに負けて同行することになった。
◇◇◇
週末の昼過ぎ、二人は箱根の山道を登り始めた。霧が濃く、まるで誰かに見張られているような感覚が二人を包み込んでいた。
鳥居は苔むし、石段には落ち葉が積もっている。神社の境内には、誰のものとも分からない古い草履が一足だけ落ちていた。
「……ねぇ、美美子、帰ろうよ。ここ、空気が重い」
「平気平気。すぐ終わるって」
本殿の前に、奇妙な石の壺が置かれていた。高さは膝ほど。表面には読めない古代文字が刻まれていた。
壺の上には小さな木札が掛けられ、「封印壺 触れるな」と書かれている。
「これが噂のやつかな……?」
美美子はスマホを構え、カメラを向けた。
「ダメ!やめなよ、美美子!」
「大丈夫だって、ちょっとだけ……」
その瞬間——壺の底がヒビ割れ、黒い煙が噴き出した。
冷たい風が吹き抜け、鳥の声が止まる。遥の叫びが霧の中に消えた。
煙の中から、低く湿った声が聞こえた。
『見たな……封を破ったのは……誰だ……』
姿を現したのは、赤黒い和服を纏った女の幽霊。
その顔は美しかったが、口が耳を越えて頬まで裂けており、さらに裂け続けていた。口の奥は闇そのもので、覗き込むと吸い込まれそうになる。
『お前の口……貰う……』
遥が悲鳴を上げて逃げ出し、美美子も転びながら山道を駆け下りた。
だが、背後から「カタカタ……カタカタ……」という歯の鳴る音が追いかけてくる。
それはまるで、何かが笑っているようだった。
◇◇◇
その夜。
美美子の家の窓の外に、人影が立っていた。
カーテン越しに見えるその影は、異様に長い髪を揺らしている。
「……誰?」
そっとカーテンを開けると、そこには裂けた口の女が立っていた。
『わたしの口を……返せ……』
女はそう言って消えた。美美子は恐怖で声も出せず、震えながら朝を迎えた。
次の日、学校でも異変は続いた。
教室の窓ガラスに、何度拭いても「クチ」と書かれた文字が浮かぶ。
トイレの鏡には、自分の顔が映り、口が裂けていく幻影が見えた。
「やばいよ美美子……それ本物だって……」
遥が震えながら言った。
「……どうすればいいの……?」
◇◇◇
放課後、美美子は町外れに住む除霊師・神原を訪ねた。
神原は髭を蓄えた老齢の男で、静かな声で言った。
「その神社に封じられていたのは“大口女”という怨霊だ。かつてこの地の巫女であり、口を裂かれて殺されたと伝わる。封印を壊した者は、彼女の“口”を返さねばならぬ。地蔵の微笑と少女の罪―子どもを嘲った報いの恐怖のように、過去の罪は必ず報いをもたらすのだ」
「そんな……私、ただ壺を触っただけなのに……」
神原は経文を唱え始め、線香の煙が部屋を満たす。だが、突然風が吹き荒れ、障子が破れた。
『返せぇぇぇぇぇぇぇ!!』
女の声が響き渡る中、床の下から小さな鳴き声がした。
「ギュルル……」
そこに現れたのは、小さくてずんぐりした蛇のような生き物。丸い体に短い尻尾、クリクリした目。伝説の“ツチノコ”だった。
『ミミコ……われはツチノコ。山の守り神なり。汝の呪いを解くため、ここに現れた。』
「ツチノコ……?本当に……いたの?」
神原は驚き、御札を構えた。
「こいつも霊だ!危険だ、退け!」
「違うの!この子は私を守ろうとしてる!」
ツチノコの体が金色に光り始めた。
『我を信じよ。悪しき口を封じるには、“声の贄”が必要だ。』
「声の贄……?」
『汝の声を一度、差し出せ。さすれば、奴は口を奪えぬ。』
美美子は恐怖と迷いの中で頷いた。
ツチノコは美美子の喉に触れ、光が広がった。
一瞬にして声が出なくなる。
その時、再び大口女が姿を現した。
『声を奪えば……口を奪えぬと思ったか……?甘いな……!』
女は裂けた口を広げ、舌のような黒い影を放った。
ツチノコがそれを受け止め、光の壁を作る。
『退け、闇の者よ!』
だが女は笑った。
『ツチノコよ、お前も封じられていた存在だろう?光が弱まっているぞ……』
ツチノコの体に黒い線が走り、苦しげにうめいた。
美美子は声が出ないまま、涙を流した。
「やめて……ツチノコをいじめないで……!」
心の中で叫んだ瞬間、ツチノコの体が再び輝きを増した。
『ミミコ……その心の声、我に届いた……』
ツチノコは金色の光を爆発させ、部屋全体を包み込んだ。
大口女の叫び声が消え、黒い霧は霧散した。
◇◇◇
数分後、部屋は静まり返っていた。
ツチノコは力尽きたように床に横たわっていた。
『呪い……解けた……だが、われはもう……この姿を保てぬ……』
「ダメ……消えないで……あなたがいなかったら……私は……」
ツチノコは微笑むように光を放ち、美美子の胸に溶けていった。
その瞬間、美美子の声が戻り、部屋には清らかな風が吹き抜けた。
◇◇◇
それから数日が経った。
美美子は学校でも普通に過ごせるようになり、夜も安眠できるようになった。
しかし、時折耳元で優しい声がする。
『ミミコ……もう怖くない……わしはいつもそばにいる……』
彼女は笑って空を見上げた。春の空、箱根の山の向こうに、小さな丸い影が浮かんでいるように見えた。
◇◇◇
だが、物語はそこで終わらなかった。
ある晩、美美子の夢の中に、再びあの神社が現れた。
壺の割れた破片が動き出し、女の笑い声が聞こえた。
『ツチノコの力で封印を破るとは……面白い……次はお前の“心の口”をもらうわ……』
美美子は飛び起きた。胸の奥に、熱い痛みを感じた。
ツチノコの声が微かに響く。
『ミミコ……また封印が……解けかけておる……』
「そんな……どうすればいいの?」
『神社へ戻れ。封印をやり直さねばならぬ。だが、今度はおぬし一人で行くのだ。』
◇◇◇
夜の箱根。
満月が山を照らし、霧が舞う中、美美子は再び神社の前に立った。
壺の欠片は本殿の中央で光っていた。
彼女はツチノコの声に導かれ、両手を合わせた。
『封を結ぶには、恐れを手放すこと。おぬしの心の闇を、わしに見せよ。』
美美子は震える手で胸に手を当てた。過去の恐怖、罪悪感、孤独——すべてが心の中で溢れ出した。
その瞬間、ツチノコの光が再び現れ、美美子の背後に金の円陣が浮かんだ。
『我はツチノコ。山を護る光なり。闇の口よ、再び封じられよ!』
轟音と共に地面が揺れ、壺の欠片がひとつに戻る。
大口女の叫びが夜空に響き、やがて静寂が訪れた。
◇◇◇
夜明け。
美美子は倒れたままの姿で目を覚ました。神社の境内には、もう何の気配もない。
風が心地よく吹き抜け、桜の花びらが舞っていた。
彼女の手のひらには、小さな鱗のような金の欠片があった。ツチノコのものだった。
「ありがとう、ツチノコ……あなたがいたから、私は……」
彼女は涙を拭き、笑った。
山の奥から、「ギュルル……」という優しい鳴き声が聞こえた気がした。
箱根の山には今も、ツチノコと呼ばれる小さな守り神が棲むという。
そして、封印された大口女の神社は、静かに眠り続けている。
だが、月が赤く染まる夜——再び“口を求める声”が、風に混じって聞こえるという。
それを聞いた者は、決して振り返ってはいけない。
なぜなら、その背後には——
耳を超えて裂けた口が、笑っているのだから。

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