部屋の木製戸棚に宿る付喪神の恐怖と高校生ミサの悲劇
付喪神に取り憑かれた戸棚が導く女子高生ミサの怪異体験
ミサは東京郊外に住む17歳の女子高生だった。長い黒髪をひとつに束ね、明るく人懐っこい性格で、クラスでは人気者だ。放課後は友達とカフェで過ごすのが日課で、悩みといえば少し成績が落ちてきたことくらいだった。だが、その夏、彼女の日常は静かに、しかし確実に崩れ始めていった。
ある日、九州の田舎に住む祖母から電話がかかってきた。
「ミサ、久しぶりね。お願いがあるの。」
「おばあちゃん? どうしたの?」
「古い戸棚を引き取ってもらえないかしら。おばあちゃん、もうすぐ家を出るの。どうしても捨てられないのよ。」
「戸棚? そんなの、どうするの?」
「大切なものなの。粗末に扱ってはいけないよ。昔から“魂が宿っている”と言われてきたんだから。」
ミサは笑いをこらえながら答えた。「なにそれ、まさか付喪神とか言うやつ?」
祖母は小さくため息をついた。「冗談で言っていると思うかもしれないけれど、本当なのよ。あの戸棚は、人の心を映すんだよ。」
その声には、いつになく重みがあった。
結局ミサは断れず、数日後、その木製の戸棚が宅配便で届いた。
段ボールを開けた瞬間、カビと古木の混じった独特の臭いが鼻を突いた。
「……うわ、なんか気味悪い。」
戸棚は膝の高さほどで、表面には細かい彫刻が施されていた。花の模様なのか、人の顔なのか、判別がつかない曖昧な形が浮き上がっている。引き戸の部分には小さな手形のような染みがあり、見る角度によっては赤黒く光った。
「古いってレベルじゃないな……。まあ、物置代わりにでもするか。」
ミサは軽い気持ちで部屋の隅に置いた。祖母の忠告など、そのときは頭の片隅にも残っていなかった。
最初の数日は何も起こらなかった。ミサは戸棚を便利な収納として使い始め、文房具やヘアアクセサリー、そして使い古した化粧品を放り込んだ。やがて、面倒になってゴミまで突っ込むようになった。
「どうせ誰も見ないし、いいでしょ。」
その夜、最初の異変が起きた。
———
夜中の2時。
“カタン……”
何かが倒れるような音でミサは目を覚ました。部屋の中は静まり返り、外の街灯の明かりが薄暗く差し込んでいた。
「……ネズミ?」
起き上がり、音のした方向を見ると、それは戸棚の方だった。
“カタ……カタ……カタカタ……”
まるで誰かが中から扉を叩いているようだった。
恐る恐る近づき、スマホのライトを照らして戸を開けると、中には捨てたはずの空き缶が転がっていた。だが、その缶がまるで“誰かに動かされた”ような位置に変わっている。
「……気のせい、だよね。」
無理に笑ってベッドに戻った。だが、背後で再び“カタン……”と音が鳴った瞬間、ミサの心臓は凍りついた。
その夜から、ミサは毎晩のように音を聞くようになった。
“トン……トン……トン……”
それは規則的で、まるで“ノック”のように。
次第に音は強くなり、ある晩には扉が勝手に開いた。中から冷たい風が流れ出し、スマホのライトが一瞬チカチカと点滅した。
「やめて……やめてよっ!」
ミサは泣きながら布団に潜り込んだ。
だが翌朝、戸棚の中を確認すると、昨日捨てたはずの空のジュース缶が綺麗に並べられていた。まるで誰かが“片付けた”かのように。
———
数日後。
ミサは学校でも落ち着きを失っていた。授業中もどこか上の空で、黒板を見つめる目は焦点が合っていない。
「ねえミサ、ほんと大丈夫? 最近変だよ?」
親友のアヤが心配そうに覗き込んだ。
「なんか、夜になると……誰かに見られてる気がするんだ。」
「え? まさか幽霊とか言わないでよ?」
ミサは乾いた笑いを浮かべた。「まさか。でも……戸棚が勝手に動くの。」
アヤはゾッとした顔で言った。「それ……お祓いとかした方がいいよ。」
その夜、ミサは祖母に電話をかけた。
「おばあちゃん……やっぱり、あの戸棚おかしいよ。」
「ミサ、粗末にしてないでしょうね?」
「ちょっとゴミ入れたりしたけど……」
電話の向こうで、祖母が息を呑む音がした。
「すぐにお祓いを受けなさい! その戸棚には、“女の怨念”が宿っているの!」
「女の……?」
「昔、その戸棚を持っていた奉公人の女性がいたの。主人に裏切られて、自ら命を絶ったのよ。その時、血が戸棚に染み込み……以来、彼女の魂がそこに宿ったと言われてる。」
「……嘘でしょ……?」
「粗末に扱えば、怒りを買う。謝るんだ、ミサ。」
———
その夜、ミサは祖母の言葉を信じて戸棚の前に座った。
「……ごめんなさい。大事にしなきゃいけなかったのに。」
手を合わせて何度も謝ったが、空気はどんどん冷たくなり、吐息が白く見えた。
“ギィィィ……”
戸棚の扉が、ひとりでに開いた。
中から白い手が伸び、ミサの頬に触れた。
「……どうして、汚したの……?」
震える声と共に、白い着物の女が這い出してきた。
長い髪が床を引きずり、顔は青白く、目は黒い穴のように虚ろだった。
「あなたも……あの人と同じなのね……」
ミサは叫び声を上げ、部屋の隅へ逃げた。だが、体が動かない。まるで見えない手に押さえつけられているようだった。
女はゆっくりと顔を近づけ、囁いた。
「あなたの心、見せて……」
ミサの意識が遠のく。目の前が真っ白になった。
———
翌朝、ミサは床で倒れていた。時計を見ると朝の6時。だが、戸棚の中は空っぽだった。入れていたゴミも、化粧品も、何もかもが消えていた。
代わりに、中には一枚の古い紙が置かれていた。墨でこう書かれている。
「見つけた……」
———
それから数日、ミサは学校を休んだ。祖母はすぐに神主を呼び、遠隔でお祓いを行ってくれた。線香の香りが部屋中に漂い、女の霊も少しずつ消えたように思えた。
だが、ミサは夜になると夢を見るようになった。夢の中で、あの白い女が微笑みながら戸棚の前に立っている。
「ありがとう、ミサ。あなたが新しい“私”になるの。」
その言葉に、ミサは叫びながら目を覚ます。だが、夢だと思っていたのに、手のひらには黒い墨の跡が残っていた。
———
秋が訪れるころ、ミサは少しずつ元の生活に戻りつつあった。だが、部屋の中の戸棚だけは捨てられなかった。どんなに離そうとしても、心のどこかで“見られている”気がしてならない。
アヤが久しぶりに遊びに来たとき、戸棚を見て眉をひそめた。
「ねえ、これ……動いた? 昨日見たときより左に寄ってない?」
ミサは笑ってごまかした。「気のせいだよ。」
「……ほんとに? なんか、誰か立ってるみたい。」
その言葉に空気が凍った。二人の目の前で、戸棚の扉がゆっくりと“ギィィ……”と開いた。
奥から、白い布が垂れ下がり、そして——女の笑い声が響いた。
“ふふふ……また、見つけた……”
アヤは悲鳴を上げて逃げ出した。ミサは震えながら戸棚の前に座り込み、ただ呟いた。
「……ごめんなさい。でも、もう離れられないの。」
その瞬間、戸棚の木目が淡く光り、部屋の空気が静まり返った。
——数日後。
ミサの部屋を訪れた母親は、彼女がいなくなっていることに気づいた。ベッドの上には、制服とスマホがきちんと畳まれて置かれている。
戸棚の中には、一輪の花と、ミサが使っていた鏡が入っていた。鏡には、白い着物の女と並んで微笑むミサの姿が映っていた。
———
以来、その戸棚を開けた者は誰もいない。だが、夜になると、どこからともなく“カタ……カタカタ……”という音が響くという。
まるで誰かが、中から扉を叩いているかのように。
そして、その音に耳を澄ませる者の夢には、必ず一人の少女が現れる。
長い黒髪の少女が、静かに微笑みながら囁く。
「……次は、あなたの番よ。」
——完——

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