真夜中に絵画が動き出した恐怖の一軒家【怖い話】

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真夜中に動く呪いの絵画が飾られた一軒家

不動産会社「ライフホームズ」に勤める由美(ゆみ)は、連日の猛暑と忙しさに追われ、心身ともに疲弊していた。そんなある日、上司から急な辞令が下る。郊外の静かな住宅街にある、売り出し予定の2階建て一軒家の現状確認と大掃除。本来そこを担当していた先輩女性社員の佐藤が、突如として原因不明の高熱で倒れ、緊急入院したためだった。由美は、同僚の陽香(はるか)、芽衣(めい)、そして唯一の男性社員である健二(けんじ)と共に、現地へと向かうことになった。

「なんでわざわざ3日間も泊まり込みで掃除しなきゃいけないのよ。会社もケチらずに、近くのビジネスホテルでも手配してくれればいいのに」
ミニバンを運転する健二の隣で、助手席の陽香が不満を漏らす。後部座席に座る芽衣も「本当に。早く終わらせて帰りたいよね。ここ、なんか不気味な噂とかないの?」と同意した。

健二はバックミラー越しに由美たちを見て、少し声を潜めながら話し始めた。 「いや、実はな……この家、一度は買い手が決まりかけたんだ。でも、内覧を兼ねてここに2日間試泊した購入希望者が、3日目の朝に突然、顔を真っ青にして契約をキャンセルしたらしいんだ。何があったのかは一切話さず、違約金まで払って逃げるように去っていった。その出来事は、毎晩閉まらないドアと怪奇現象が続く借家の恐怖を思い出させるような話として、近所でも密かに語られていた。だから、会社としても実際に3日間泊まり込んで、家の中に不具合がないか、本当に生活できる状態かを確かめる必要があるんだよ。だから俺たちの泊まり込み清掃が決まったんだ」

車内は一瞬にして重苦しい静寂に包まれた。由美は胸の奥に冷たい不穏なものが広がるのを感じた。前任者である佐藤の突然の病気と、購入希望者の不自然なキャンセル。ただの偶然とは思えなかった。

到着した一軒家は、鬱蒼とした雑木林に隣接する、築三十年ほどの古びた日本家屋だった。外見は一見普通の住宅だが、どことなく家全体が沈んでいるような、湿った陰気な空気をまとっている。健二が鍵を開けて中に入ると、長年閉め切られていた特有の埃っぽい空気が鼻を突いた。

居間に入った瞬間、由美の足が凍りついたように止まった。正面の壁に、異様な存在感を放つ大きな額縁入りの絵画が掛けられていたのだ。

それは、月明かりすらない漆黒の闇夜に、一本の巨大な枯れ木が佇んでいる絵だった。枝はまるで、苦悶に満ちて天に助けを求める人間の手の指のように、複雑にねじ曲がり、狂おしく伸びている。背景の黒は、ただの絵の具とは思えないほど深く吸い込まれそうで、見ているだけで頭の芯がジクジクと痛むような、底知れぬ悪意を感じる絵だった。

「うわ、何これ……すごく気持ち悪い絵。なんでこんなの飾ったままにしてるの?」
芽衣が顔をしかめて一歩身を引いた。
「前の住人の残置物だろう。売り出す前に、こんな不気味なものは撤去しておこう」
健二の提案で、彼は絵を壁から外し、廊下の突き当たりにある頑丈な物置へと運び込んだ。扉を閉め、念のために鍵をかけた。それから全員で手分けして居間やキッチンの片付けを行い、その日は何事もなく更けていった。しかし、由美の脳裏からは、あの絵に描かれた不気味な枯れ木の姿がどうしても離れなかった。夢の中にまで、あの枝が自分を追いかけてくるような錯覚を覚えた。

翌朝、2日目のこと。由美が目を覚まし、顔を洗うために居間を通った時だった。由美の全身の血が逆流したような衝撃が走った。

居間の壁。昨日、確かに取り外して物置に鍵をかけて隠したはずのあの場所に、漆黒の闇に佇む枯れ木の絵画が、何事もなかったかのように堂々と掛け直されていたのだ。

「え……? なんで……? 嘘でしょ?」
由美の悲鳴に近い震え声を聞きつけて、健二、陽香、芽衣が慌てて居間に飛び込んできた。

「どうしたの、由美!……って、ええっ!? なんであの絵がそこにあるの!?」
陽香が目を丸くして叫んだ。芽衣も顔を青ざめさせて健二を睨みつけた。
「健二君、まさか夜中に戻したの? 悪ふざけなら本当に怒るよ!」
「ば、馬鹿言うな! 俺は朝まで泥のように眠ってた。おい、物置の鍵は……」
健二が自分のポケットから鍵を取り出す。鍵は確かに彼が持ったままだった。一同は恐る恐る廊下の物置へと向かった。鍵を開けて中を確認するが、当然あるべき絵画の姿はどこにもない。鍵をかけたはずの閉鎖空間から、絵画だけが消え、居間の壁に戻っていたのだ。窓もすべて施錠されており、外部からの侵入の形跡もない。

「気味が悪すぎる。とにかくもう一度片付けよう。今度は前に重い家具を置いて物理的に塞ぐぞ」
健二はそう呟き、恐怖を隠すように絵画を物置へと戻し、その扉の前に重い木製のタンスを置き、びくともしないように塞いだ。

2日目の作業は、主に生い茂った外の庭の草刈りと外回りの片付けだった。外に出て鎌を動かしている時、由美の耳に、かすかな、濡れたような囁き声が聞こえた。

(由美……こっちへおいで……暗くて、とても静かだよ……)

「えっ?」
由美はハッとして振り返った。すぐ近くで黙々と草を刈っていた芽衣の方を見たが、彼女は何も気づいていない様子だ。
「芽衣、今私のこと呼んだ?」
「え? 呼んでないよ。熱中症じゃない? 水分取った方がいいよ」
「あ、うん。そうだね……」
空耳だろうか。そう思って、由美はふと一軒家の2階を見上げた。その瞬間、心臓が跳ね上がった。
2階の和室の汚れた窓ガラス越しに、白い着物を着た髪の長い女が立ち、じっと由美を凝視していたのだ。女の顔は異様に白く、目元は虚無の洞窟のように黒く窪んでいる。由美が恐怖で息を呑み、目を瞬かせた次の瞬間、そこには誰もいなくなっていた。ただ、ガラスに張り付いたような湿った手の跡だけが残っていた。

「気のせい、気のせいよ。疲れているんだわ……」
由美は必死に自分に言い聞かせた。しかし、耳の奥で、不快なキリキリという耳鳴りが絶え間なく響き始めていた。

その夜の夕食時、由美は耐えかねて昼間の不気味な体験を皆に打ち明けた。
「あの、本当に気のせいかもしれないんだけど……2階の窓に、白い服を着た女の人がいたの。それに、私の名前を呼ぶ声も聞こえて……やっぱりこの家、何かおかしいよ」
しかし、陽香と芽衣は困ったような、冷ややかな顔を見合わせた。
「由美、やっぱり疲れが出てるんじゃない? 昨日の絵の件で神経質になりすぎだよ」
「そうだよ。この辺りは風が強いし、古い木造だから変な音が反響しやすいんだ。お化けなんて、この世にいるわけないだろ。明日は早く終わらせて、帰りに美味い肉でも食べに行こうぜ」
健二も明るく笑い飛ばした。誰も由美の言葉を信じようとはしなかった。ただ一人、由美だけが、家全体を包む底冷えするような悪寒と、見えない無数の視線に晒され続けていた。彼らの笑顔が、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。

深夜2時。 由美は、どこからか聞こえる『ベチャ、ベチャ……』という不気味な湿った音と、重い木が擦れるような軋み音で目を覚ました。まるで重い荷物を引きずるような、あるいは、何かが壁を這い回るような粘り気のある音。 喉が異常に渇き、恐る恐る布団から抜け出した由美は、暗闇の廊下を進み、居間へと向かった。 居間の前に立った瞬間、呼吸が完全に止まった。

居間の壁。そこには、再びあの絵画が戻っていた。だが、昼間とは決定的に違っていた。
絵画の中の『枯れ木』が、まるで生きているかのようにうごめき、その枝を額縁の外、現実の壁へと這い出させようとしていたのだ。さらに、絵の中心からは、じわじわと黒い泥のような液体が溢れ出し、床へと滴り落ちている。その黒い液体の海から、何人もの人間の青白い手が、救いを求めるように突き出ていた。

「いやああっ!!」
由美は恐怖のあまり、喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。我を忘れて寝室へと走り込み、眠っている3人を激しく揺さぶった。
「起きて! 健二君、陽香、芽衣! 起きてよ! あの絵が……絵が本当に動いてるの! 床が真っ黒になってる!」

3人は不機嫌そうに目をこすりながらも、由美のただならぬ、今にも発狂しそうな様子に渋々起き上がった。
「なんだよ、こんな夜中に……本当に勘弁してくれよ」
全員で居間へと戻った。しかし、そこで彼らが目にした光景に、全員が息を呑んだ。
そこに絵画はなかった。掛けられていた壁の場所には、ただぽっかりと、インクを流したような異様な漆黒の四角い『穴』が広がっていたのだ。その穴は、まるで光を全て吸い込んでいるかのようだった。

「あれ……? 絵がない……?」
陽香が怪訝そうに、その漆黒の穴に近づこうとした。その時、居間の空気が一瞬にして凍りついた。
由美は背筋を走る極限の悪寒を感じ、背後にいるはずの仲間に声をかけようと振り返った。
「みんな、これって……」

言葉が途切れた。
誰もいなかった。
さっきまで隣にいたはずの健二も、陽香も、芽衣も、一瞬にして消え去っていた。いや、消えたのは自分の方なのだと気づくのに時間はかからなかった。
周囲の光景が完全に変貌していた。場所は同じ居間のようだったが、天井は遥か高く、柱や壁はすべて真っ黒に腐り果てている。どこまでも続く無限の回廊が左右に伸び、畳は湿った泥のように冷たく沈み込んでいる。家全体が異常なほど広く、そして死のような静寂に包まれていた。
ここは、あの現実の家ではない。別の世界——あの『絵画の中の世界』に引きずり込まれたのだと、由美は直感した。壁にあった漆黒の穴は、この世界への入り口だったのだ。

「みんな!? どこなの!? 嘘でしょ……助けて! 誰かいないの!?」
由美の叫び声は、虚しく暗闇に吸い込まれていく。由美は本能的な恐怖に突き動かされ、暗闇の回廊を走り出した。どこまで走っても角を曲がっても、元の場所に戻ってくる。出口など最初から存在しないのだ。
背後から『シャタ、シャタ……』と、濡れた皮膚が腐った畳を這うような音が聞こえ始めた。
恐る恐る振り返ると、そこにはあの白い着物の女がいた。首が異様な角度に折れ曲がり、関節をギチギチと不快な音を立てて鳴らしながら、猛烈な速度で四つん這いになって追ってくる。その目は血走っており、爛々と輝いている。
さらに女の背後からは、顔の潰れた男、手足のない赤ん坊、無数の影のような異形の亡者たちが、壁や天井の隙間から這い出してきて、由美を捕らえようと大群となって押し寄せてきた。

「来ないで! 嫌ぁぁぁっ!」
必死に逃げる由美の前に、巨大な広間が現れた。その中央にそびえ立っていたのは、あの絵画に描かれていた、巨大な『枯れ木』だった。
しかし、近くで見ると、それは植物などではなかった。木の幹や枝は、何百、何千もの人間の死体が絡み合い、融合して形成された、おぞましい『人肉の塔』だったのだ。その死体たちの顔には、かつてこの家を訪れ、消えていった者たちの苦悶の表情が浮かんでいた。そしてその中には、入院したはずの佐藤の顔もあった。
枝の先端にある、人間の手のような形の指先が、一斉に由美を指差した。

(新しい贄が来た……)
(もう逃げられない……)
(一緒になろう……温かいよ……)

無数の死体の口が、一斉にそう囁いた。その声は、昼間に聞いたあの囁き声そのものだった。
逃げようとした由美の足元から、黒い木の根が蛇のように伸び、彼女の足首を硬く締め付けた。そのまま地面に引きずり倒され、じわじわと枯れ木の幹へと引き寄せられていく。
「離して! 誰か、助けて! 健二君! 陽香! 芽衣!」
由美は涙と鼻水に塗れながら叫び、爪が剥がれて血が滲むのも構わずに腐った床を掻きむしった。しかし、その体は容赦なく肉の幹へと取り込まれていく。 枯れ木の表面から、ドロドロとした黒い樹液が溢れ、由美の体を包み込んでいく。感覚が徐々に麻痺し、骨がメキメキと音を立てて砕け、木の一部となって再構築されていく。強烈な痛みの後、意識が深い、深い奈落の底へと落ちていった。

「由美! 由美、しっかりして! 目を開けて!」

遠くで、誰かの泣き叫ぶ声が響いている。
現実世界。売り出し中の一軒家の2階寝室。
3日目の朝、陽香が目を覚ましたとき、由美は布団の中で冷たくなり、口から微かに泡を吹いて倒れていた。体温は異常に低く、呼吸はかろうじてあるものの、どれだけ揺さぶっても、叫んでも、光を当てても、彼女はピクリとも動かなかった。
急行した救急車のけたたましいサイレンが、静かな郊外の住宅街に響き渡る。

搬送された大病院の集中治療室で、医師は困惑と疲労の入り混じった表情で健二たちに告げた。
「身体的な怪我や毒物の形跡、脳の器質的な障害は一切見られません。脳波は確かに動いているのですが、まるで……患者自身の『意識』や『魂』が、ここではない遥か遠い闇の底に閉じ込められてしまっているかのような状態です。医学的には昏睡状態ですが、彼女がいつ目を覚ますのか、あるいは二度とこの世界に戻ってこないのか、誰にも分かりません」

陽香と芽衣は、機械音だけが虚しく響く病室で、由美の手を握り締めながら泣き崩れた。
健二は震える手で頭を抱え、あの家に残してきた荷物のことを考えていた。警察の検証が行われた際、居間には何の不審な点もなかったという。そして、物置の中に厳重に鍵をかけ、重いタンスで塞いで保管されていたはずの、あの『不気味な枯れ木の絵画』は、どこをどう探しても、跡形もなく消え去っていたそうだ。

暗闇。
月明かりのない、永遠に明けない夜。
果てしない静寂が支配する世界の中に、一本の巨大な枯れ木が静かに立っている。
そのおぞましい幹の表面に、新しく刻まれた顔があった。
それは、恐怖に顔を歪め、二度と戻らない現実世界を思って、両目から黒い血の涙を流し続ける、由美の顔だった。
彼女の魂は、今もあの暗闇の中を彷徨い、終わりのない亡者たちの群れから、ただ泣き叫びながら逃げ惑っている。
永遠に解けることのない、真夜中に動く絵画の呪縛の中で。いつ、目覚めるとも知れぬまま——。

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