福島の旧家で毎朝家族が消える怪異の恐怖体験
福島県の郊外にある古い町――。
その町には、山々に囲まれた静かな住宅街が広がっていた。春になれば桜が咲き、夏には祭りの太鼓が夜空に響く、ごく普通の町だった。
だが、その町には古くから語られている奇妙な噂があった。
「夜中に数を数える声が聞こえたら、翌朝には誰かが消える」
そんな都市伝説を、誰も本気にはしていなかった。
主人公の結衣(ゆい)は、その町に住む高校二年生だった。
長い黒髪に透き通るような白い肌、そして整った顔立ちから、学校では男子生徒たちの憧れの存在だった。だが本人はそれを気にする様子もなく、常に落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
結衣には、他人に言えない秘密があった。
彼女は幼い頃から“見える”人間だったのだ。
霊、怨念、妖怪――。普通の人間には見えない存在を、結衣は自然と感じ取ることができた。
しかし彼女は、それを怖いと思ったことがなかった。
むしろ、幼少期から何度も怪異に遭遇し、時には祓い、時には会話すらしてきた。
そのため彼女は、どんな心霊話を聞いても顔色ひとつ変えなかった。
ある雨の日だった。
担任教師が教室へ入ってきた。
「今日は転校生を紹介する」
教室がざわつく。
ドアが開き、一人の少女が静かに入ってきた。
黒髪を肩まで伸ばし、どこか田舎っぽい雰囲気を持つ少女だった。
「三枝美冴(みさえ)です。よろしくお願いします」
声は小さく、どこか怯えているようだった。
クラスメイトたちはすぐに興味を失ったが、結衣だけは違った。
彼女は美冴の後ろに、黒い影のようなものを見ていた。
(……憑いてる)
だが、その影は普通の霊ではなかった。
形が定まっていない。
まるで巨大な口だけが闇に浮かんでいるような、不気味な存在だった。
放課後。
結衣は校舎裏で美冴に声をかけた。
「転校してきたばかりで大変でしょ?」
「……う、うん。でも、みんな優しくて安心した」
「福島には慣れてる?」
「まだ全然……。前は山奥の村に住んでたから」
美冴はそう言って、少し笑った。
だがその瞬間、結衣は彼女の影がゆっくりと揺れたのを見逃さなかった。
数日後。
結衣は同じクラスの女子四人――奈々、彩音、真由、美咲と一緒に、美冴の家へ遊びに行くことになった。
「転校祝いしようって話になったの!」
奈々が笑いながら言う。
「美冴ちゃんの家、すっごい大きいらしいよ!」
美冴の家は、町外れの古い屋敷だった。
巨大な門、古びた瓦屋根、そして広い庭。
まるで時代劇に出てくる旧家のようだった。
「うわぁ……」
彩音が声を漏らす。
「本当に大きい……」
玄関から出てきたのは、美冴の母親だった。
「いらっしゃい。美冴の友達ね」
優しそうな女性だった。
その後ろには祖父、祖母、叔父、叔母、小さな弟までいた。
大人数の大家族。
「結衣ちゃん、どうしたの?」
真由が不思議そうに聞く。
結衣は答えなかった。
なぜなら、彼女だけが気づいていたからだ。
この家には“異常な数”の霊がいる。
廊下の隅。
天井裏。
庭の井戸の近く。
あらゆる場所に、黒い影が這っていた。
だが、家族たちは平然としている。
まるで見えていないかのように。
その日の夜。
帰宅した結衣は、ふと気づいた。
美冴の家にいた家族の人数が曖昧になっている。
「……何人いた?」
結衣は記憶力が良い。
一度見た人数を忘れることなどない。
だが、まるで夜に響く食器音と消された記憶の恐怖体験のように、どうしても一人思い出せなかった。
翌週。
再び美冴の家へ遊びに行くことになった。
「お邪魔します!」
だが結衣は、玄関に立った瞬間に違和感を覚えた。
祖父がいない。
「あれ? まるで父の席だけ冷たい家に潜む家族の恐怖真実みたいに、おじいちゃんは?」
何気なく尋ねる奈々。
すると美冴の母親は、少しだけ笑って言った。
「最初からいなかったわよ?」
空気が凍った。
結衣だけが、ぞくりと背筋を震わせた。
(嘘……先週いた……)
しかし他の四人は何の違和感も抱いていない。
「あれ、そうだっけ?」
「奈々、勘違いじゃない?」
結衣は黙っていた。
その時だった。
ギシ……。
二階から音がした。
結衣だけが反応する。
誰かがいる。
結衣は一人で階段を上がった。
廊下の奥。
閉ざされた襖。
その向こうから、小さな声が聞こえた。
「……お腹すいた」
結衣はゆっくり襖を開けた。
暗い部屋。
そして中央に、“それ”はいた。
全身が黒く溶けたような女。
顔には目も鼻もなく、巨大な口だけが裂けていた。
その口の周囲には、無数の人間の指がぶら下がっている。
「……また来たのか」
低い声だった。
普通の人間なら、その瞬間に発狂していただろう。
だが結衣は、静かにその怪物を見つめた。
「あなたが、この家族を食べてるの?」
怪物が笑った。
「食べなければ、この家は終わる」
その時、背後から声がした。
「見えちゃったんだね……」
振り向くと、美冴が立っていた。
涙を浮かべている。
「うちの家系には昔から呪いがあるの……」
美冴は語り始めた。
彼女の先祖は、かつて山奥の村で禁忌の儀式を行った。
飢饉の時代、生き残るために“山の神”へ生贄を捧げたのだ。
だがその神は、本当は神ではなかった。
人を喰らう化け物だった。
それ以来、一族は代々“何か”を差し出し続けている。
もし供物を絶やせば、一族全員が喰われる。
「でも最近……数が足りなくなって……」
美冴は震えていた。
「だから親戚も呼んで、一緒に暮らしてるの……」
結衣は理解した。
毎朝減る家族。
そして誰も、その消えた人間を思い出せない。
怪物が存在ごと喰っているのだ。
「次は誰なの?」
結衣が聞く。
美冴は泣きながら答えた。
「……たぶん、弟」
その瞬間。
怪物の口が大きく裂けた。
「今夜だ」
結衣は静かに息を吐いた。
そして、笑った。
「そっか。じゃあ、私が相手してあげる」
美冴が目を見開く。
「え……?」
怪物もまた、初めて戸惑ったように動きを止めた。
結衣は制服のポケットから、小さな鈴を取り出した。
チリン――。
その音が響いた瞬間、部屋中の空気が変わった。
黒い霧が逆流する。
怪物が苦しそうに呻いた。
「なぜだ……!」
結衣の瞳が赤く光る。
「あなた、知らないんだ」
彼女はゆっくり前へ歩き出した。
「私は昔から、こういうのを祓ってきたの」
美冴が震える。
「ゆ、結衣ちゃんって……何者なの……?」
結衣は振り返らずに言った。
「ただの人間だよ」
そして小さく付け加えた。
「少し、慣れてるだけ」
怪物が絶叫した。
部屋が揺れる。
天井から無数の黒い腕が伸びてきた。
だが結衣は微動だにしない。
彼女は鈴を鳴らしながら、低い声で呪文を唱え始めた。
その瞬間――。
怪物の身体が崩れ始めた。
「やめろ……!」
「千年かけて育てたのに……!」
結衣は静かに言った。
「もう終わり」
轟音。
そして黒い霧は、一瞬で消え去った。
静寂。
その場に残っていたのは、泣き崩れる美冴だけだった。
翌朝。
結衣たちは再び美冴の家を訪れた。
すると驚くべきことが起きていた。
消えたはずの家族の写真が戻っている。
祖父の写真も、叔父の写真も。
だが誰も、彼らが消えていたことを覚えていない。
「不思議だねぇ」
美冴の母親が笑う。
「最近、悪い夢を見なくなったの」
結衣は何も言わなかった。
帰り道。
奈々が笑いながら言う。
「でもさ、結衣って全然怖がらないよね!」
彩音も頷く。
「普通、あんな古い屋敷なら怖いって!」
結衣は夕暮れ空を見上げた。
「怖いものなんて、そんなに多くないよ」
彼女の脳裏には、幼い頃から遭遇してきた無数の怪異が浮かんでいた。
首のない女。
山で笑う子供。
血だらけの神社。
だが、それら全てを結衣は乗り越えてきた。
そして彼女は小さく呟いた。
「本当に怖いのは、人間の欲望だから」
その時だった。
スマホが震えた。
知らない番号からのメッセージ。
『次の依頼があります。至急、青森へ来てください』
結衣は目を細めた。
そして静かに笑った。
「……またか」
夕闇の中。
結衣は一人、歩き出した。
彼女の背後では、まるで何かを恐れるように、町中の霊たちが道を開けていた。
誰も知らない。
学校で人気者の美少女・結衣が、日本各地の怪異を密かに祓い続ける“本物”であることを。
そして今夜もまた、どこかで新たな呪いが人を待っている。
だが、その呪いより恐ろしい存在があるとするなら――。
それは、微笑みながら怪異へ近づいていく結衣自身なのかもしれなかった。
その日の夜――。
結衣は眠れなかった。
窓の外では冷たい雨が降り続き、時折、風が家の壁を叩いていた。
午前三時十三分。
ふと、結衣は目を開けた。
……誰かが数を数えている。
「ひとり……ふたり……さんにん……」
女の声だった。
低く、湿った声。
まるで喉に血が詰まっているような、不気味な囁き。
結衣はゆっくり起き上がった。
窓の外を見る。
誰もいない。
だが声だけが近づいてくる。
「ろくにん……しちにん……」
結衣の部屋の前で止まった。
ギィ……。
廊下が軋む。
誰かが立っている。
普通の人間なら、恐怖で布団を被っていただろう。
だが結衣は静かに部屋のドアを開けた。
暗い廊下。
そしてそこに、“女”がいた。
髪が異様に長く、顔は見えない。
着物は泥と血で汚れていた。
女は指を折りながら、ゆっくり数を数えている。
「……じゅうににん」
女の首が、ゆっくりと結衣の方へ回った。
骨が砕けるような音を立てながら。
その瞬間、普通の霊ではないと理解できた。
これは“呪いそのもの”だ。
女の髪の隙間から、大きく裂けた口が見えた。
そこには無数の歯が並んでいる。
「次は……お前か?」
結衣は無表情のまま答えた。
「違うよ」
次の瞬間。
女の背後に、巨大な黒い影が現れた。
まるで家そのものが生きているように、壁から無数の腕が這い出してくる。
結衣は小さく息を吐いた。
「なるほど……本体はそっちなんだ」
女が絶叫した。
鼓膜が裂けそうなほどの叫び声。
その瞬間、結衣の部屋の電気がすべて消えた。
窓ガラスが震え、天井から黒い液体が滴り落ちる。
そして、女の身体が異様に伸び始めた。
首が天井まで伸び、腕が蜘蛛のように曲がる。
顔の皮膚が裂け、中から別の顔が現れた。
「見えるのか……!」
「なぜ見える……!」
結衣は静かに微笑んだ。
「昔から見えてるから」
その時。
女が一瞬で結衣の目の前まで迫った。
腐った臭い。
血の臭い。
無数の人間の呻き声。
普通の人間なら、その場で発狂していた。
だが結衣は、女の額に指を当てた。
「うるさい」
バチン――。
青白い光が弾けた。
女の身体が吹き飛び、廊下の壁に叩きつけられる。
その瞬間。
結衣の脳裏に、ある映像が流れ込んできた。
山奥の村。
雪。
飢えた人々。
そして、巨大な穴。
村人たちは子供を泣きながら穴へ落としていた。
穴の中には、“何か”がいた。
肉を噛み砕く音。
骨を飲み込む音。
『これで冬を越せる……』
村人たちは涙を流しながら祈っていた。
だが最後に、一人の巫女が叫んだ。
『この呪いは永遠に続く! 子孫は代々喰われ続けるだろう!』
そこで映像は終わった。
結衣は目を細めた。
「最悪な呪いだね」
その翌日。
学校では異変が起きていた。
奈々が青ざめた顔で言う。
「ねぇ……変な夢見なかった?」
彩音も震えていた。
「昨日、夜中に誰かが家の前で数を数えてたの……」
結衣は黙った。
もう呪いが伝染し始めている。
昼休み。
真由が突然泣き出した。
「嫌……嫌ぁぁぁ!!」
教室中が騒然となる。
真由は机の下を指差して震えていた。
「いる……いるよぉ……!」
だが誰にも見えない。
結衣だけが見ていた。
机の下に、“子供の顔”が並んでいる。
十人以上。
全員、眼球がない。
そして全員が同時に笑った。
『次は誰?』
教室の温度が急激に下がる。
窓ガラスに無数の手形が浮かび上がった。
その瞬間、真由が白目を剥いて倒れた。
放課後。
結衣は一人で美冴の家へ向かった。
雨が降っていた。
門の前には誰もいない。
だが屋敷の中から、大勢の話し声が聞こえる。
結衣は玄関を開けた。
その瞬間――。
腐臭が鼻を突いた。
床が赤黒い。
壁には爪痕。
そして廊下の奥から、“ぐちゃぐちゃ”という音が聞こえる。
結衣はゆっくり進んだ。
奥の部屋。
襖が半開きになっている。
そこには、美冴の叔父だったものがいた。
身体が半分食われている。
腹が裂け、内臓が畳の上に広がっていた。
だが、まだ生きていた。
「た……すけ……」
その瞬間。
天井から黒い女が落ちてきた。
ベチャァァッ!!
女は叔父の顔に噛みついた。
骨が砕ける音。
肉を引き裂く音。
血が天井まで飛び散る。
結衣の後ろで、美冴が泣き崩れた。
「もう嫌ぁぁぁ!!」
女がゆっくり振り向く。
口から人間の指が落ちた。
『お腹が空いた』
その瞬間、屋敷中から声が響いた。
『お腹が空いた』
『お腹が空いた』
『お腹が空いた』
壁から無数の顔が浮かび上がる。
消えた家族たちだった。
全員、目がなく、口だけが裂けていた。
美冴は絶叫した。
「やめてぇぇぇ!!」
だが結衣は静かだった。
「……なるほど」
彼女はゆっくり鈴を取り出した。
そして初めて、その目に殺気を宿した。
「そこまで人を喰ったなら、もう許さない」
チリン――。
鈴の音が響いた瞬間。
屋敷中の霊たちが悲鳴を上げた。
黒い女が後退する。
巨大な口が歪む。
『お前は……何者だ……』
結衣は静かに答えた。
「怪異退治専門」
次の瞬間。
結衣の背後に巨大な白い狐の幻影が現れた。
屋敷全体が揺れる。
『馬鹿な……!』
女が叫ぶ。
結衣は無数の札を宙へ放った。
札は炎となり、黒い女へ襲いかかる。
断末魔。
血のような黒い液体。
そして屋敷全体が絶叫した。
『いやぁぁぁぁぁぁ!!』
轟音と共に、呪いは崩壊した。
気づけば朝だった。
雨は止み、静かな光が屋敷を照らしている。
だが美冴は震えていた。
「ねぇ……結衣ちゃん……」
「何?」
「本当に人間……?」
結衣は少しだけ笑った。
「さあ?」
その笑顔を見た瞬間。
美冴は、生まれて初めて“怪物”に恐怖を感じた。
なぜなら。
あの呪いよりも、結衣の方が圧倒的に恐ろしかったからだ。

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