私の家は古い墓地の上に建つ恐怖体験記
静かな村に潜む墓地の呪いと怪異の物語
三十歳の私は、都内の小さな会社で事務員として働いていた。毎日同じように繰り返される通勤電車、書類整理、上司の愚痴。そんな退屈な日々が永遠に続くと思っていたが、ある日突然、運命が変わった。
「しばらく地方の支社で働いてほしい」
上司は笑みを浮かべてそう言った。断れる雰囲気ではなかった。けれど、その代わりに「住む場所は用意してある」とも言った。会社が所有している古い家を、無料で貸してくれるというのだ。
それを聞いた時、少し心が躍った。都会の狭いアパートではなく、一軒家に住めるなんて。新しい環境で自分をリセットできるかもしれない。そう思ったのだ。
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その家は、山あいの小さな村の外れにあった。最寄りの駅からバスで一時間、さらに徒歩で十五分。途中、田畑と林ばかりで、人の気配はほとんどなかった。
初めてその家を見た時、私は言葉を失った。
瓦屋根の二階建て、築五十年以上は経っているであろう古びた木造住宅。外壁はひび割れ、雨戸は錆びついていた。庭には雑草が生い茂り、石灯籠のようなものが半分土に埋もれている。
「……不気味、かも」
そう呟いたが、同時に妙な魅力も感じていた。人が住んでいないのに、どこか「待っていた」と言われているような気がしたのだ。
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村の人々は親切だった。商店の老婆も、郵便配達の青年も、皆笑顔で挨拶をしてくれる。ただ一つだけ気になることがあった。
「その家に住んでるの?」
そう聞かれると、必ず相手は急に黙り込む。目を逸らし、話題を変えるのだ。
「お嬢さん……夜は気をつけなさいよ」
八百屋の老人がそう呟いた時、背中に冷たいものが走った。
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最初の異変は、一週間目の夜だった。
眠りにつこうとした時、台所から「ぎぃ……ぎぃ……」と床を踏む音がした。ネズミかと思ったが、翌朝、床には濡れた裸足の足跡が残っていた。子供のもののように小さい足跡だった。
さらに数日後、居間の鏡に映る自分の背後に黒い影が立っていた。振り返っても誰もいない。恐怖で喉が詰まった。
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眠れぬ夜が続き、私は村の図書館でこの土地について調べた。そして見つけてしまった。
――かつてこの村の外れには大きな墓地があり、昭和の初めに整理され、上に民家が建てられた。
心臓が跳ねた。やはり、あの家は……。
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決定的な夜が訪れたのは、二週間目のことだった。
午前二時、居間からすすり泣きと子供の笑い声がした。勇気を振り絞って覗いた瞬間、畳の上に無数の人影が現れた。血まみれの顔、骨だけの手、焼けただれた体……。
その中心に白い着物の女が立っていた。髪は乱れ、顔は青白く、黒い瞳が私を射抜く。
「返して……」
女は畳を指差した。そこには黒く焦げた木札が埋め込まれていた。
「ここは……私たちの場所……返して……」
次の瞬間、畳が崩れ、無数の手が私を掴んだ。冷たい指先が足を引きずり込む。私は必死に叫んだ。
「やめて! 離して!」
気づけば居間は元通り。だが、畳には確かに木札が見えていた。
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私は村の古老を訪ねた。老婆は私の話を聞き、震える声で言った。
「昔、この村は飢饉で多くの人が死んだ。墓地に死体を積むしかなかった。後に整地され、家が建てられたが、霊は眠れなかった」
老婆はさらに警告した。
「夜な夜な泣き声を聞いても決して応えてはならない。姿を見ても、目を合わせてはならない」
しかし私は、すでに女と目を合わせ、声を聞いてしまっていた。
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その晩から、現象は悪化した。
天井から血が滴り落ち、廊下の端に子供が立ち尽くす。襖が勝手に開き、誰もいない部屋から笑い声がする。私は恐怖で食事も眠りも取れなくなった。
ついには玄関の鍵も窓も開かなくなった。外に出られない。家そのものが私を閉じ込めている。
「……助けて……」
泣き崩れた時、耳元で囁きがした。
「代わりに……お前が残ればいい」
振り向くと、白い着物の女が立っていた。顔は裂け、目は真っ黒に染まり、骨のような手が私の肩を掴む。
「いやあああああ!」
私は絶叫し、意識を失った。
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朝、目を覚ますと玄関の鍵は開いていた。私は急いで荷物を持ち出し、村を去った。二度と戻らないと心に誓った。
だが――。
都会に戻っても、夜ごと夢にあの女が現れる。枕元で囁くのだ。
「返して……返して……」
そしてある夜、夢から覚めると部屋の隅に黒い木札が落ちていた。
それを拾った瞬間、背後で畳を叩く音が響いた。ここはマンションの六階なのに。
私は気づいてしまった。逃げ出したはずなのに、あの家の呪いは私を追いかけてきているのだ。
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それ以来、私は鏡を直視できなくなった。必ず背後に誰かが立っているからだ。電車の窓にも、夜のオフィスのガラスにも。
「返して……」
その声は日ごとに大きくなり、私の生活を侵食していく。
もしかすると、あの家に戻らなければならないのかもしれない。霊たちに「返す」ために。
しかし「返す」とは何を意味するのか。命か、魂か、あるいは私自身の存在か。
答えはまだ分からない。だが一つだけ確かなことがある。
私の家は――今もなお、古い墓地の上に建っているのだから。
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