忘れられた童話の館に潜む恐怖と女性の運命の物語

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忘れられた童話の館

日本の山奥に佇む忘れられた童話の館の怪奇譚

山間の小さな村の外れに、誰も近づこうとしない古びた洋館があった。その屋敷は「童話の館」と呼ばれ、かつて子供たちに物語を読み聞かせるために建てられた場所だと言われていた。しかし、いつしか村人たちの口からはその名が消え、屋敷は「忘れられた童話の館」と呼ばれるようになった。

主人公の名は美咲。東京で出版社に勤める彼女は、新たな企画のために「失われた童話」を探し歩いていた。都会での仕事は多忙で、日々に疲れ切っていた美咲にとって、この取材はただの仕事以上の意味を持っていた。彼女は自分の人生を変える何かを求めていたのだ。

ある日、古書店の老人から「忘れられた童話の館」に古い原稿が残っていると聞かされ、興味本位と一抹の期待を抱いてその場所を訪れることにした。老人は去り際に不気味な言葉を残した。

「気をつけなさい。童話は子供を楽しませるものではなく、人を閉じ込めるものかもしれんぞ……」

美咲は半信半疑で笑ったが、内心では妙なざわめきを覚えていた。

山道を抜け、夕暮れの光の中に現れたその館は、まるで時間が止まっているかのように佇んでいた。壁は苔に覆われ、窓はひび割れ、門は錆びついている。それでも館の扉は、彼女が手をかけると驚くほど軽く開いた。

「……本当にここに童話の原稿が?」

美咲は不安を胸に、軋む床を踏みしめながら館に足を踏み入れた。

中は埃と黴の匂いで満ちていた。薄暗い廊下の壁には、子供向けの絵が描かれた額縁が並んでいたが、そのほとんどが色褪せ、時に目の部分だけが黒く塗り潰されていた。

奥の部屋に足を進めると、そこには一冊の古びた本が机の上に置かれていた。まるで彼女を待っていたかのように。

「……童話集?」

表紙には「忘れられた童話」とだけ書かれていた。

ページをめくると、子供向けのはずの物語はどれも不気味で血なまぐさい内容だった。お姫様が王子を毒殺する話、村人が次々と行方不明になる話、そして最後の物語は「館に入った者は物語の登場人物となる」という内容だった。

その瞬間、背後で扉が音を立てて閉まった。

「誰……?」

美咲は振り返ったが、そこには誰もいない。館の空気が急に冷たくなり、窓の外には黒い影がうごめいているのが見えた。

——カタリ。

本のページが勝手にめくれた。

「次の登場人物……美咲」

震える文字が紙に浮かび上がった。

「ふざけないで……!」

彼女は本を閉じようとしたが、表紙はまるで鉄のように固く閉じなかった。必死に机から離れようとしたその時、壁にかけられた額縁の絵が一斉に笑い声を上げた。

「おかえりなさい……」

声が重なり合い、廊下からは子供たちの足音が響いた。

美咲は慌てて廊下を駆け抜け、階段を上ろうとしたが、階段の上から白いドレスを着た少女がこちらを覗き込んでいた。

「もう遅いのよ、お姉さん」

その顔は無表情だったが、瞳だけが異様に赤く光っていた。

「あなたも童話の一部になるの」

美咲は背筋を凍らせながら後ずさりした。すると床板が崩れ、彼女は地下へと落ちてしまった。

そこは広い図書室のようだった。壁一面に古い本が積み上げられ、その中央に鏡が立てかけられていた。

「……これは……?」

近づいて覗き込むと、鏡には美咲の姿ではなく、童話の登場人物たちが映し出されていた。血まみれの王子、顔を失った少女、笑いながら刃物を持つ子供たち……そして最後に映ったのは、美咲自身だった。

「いや……いや!」

鏡の中の美咲は、ゆっくりとこちらに手を伸ばした。

その瞬間、背後から囁き声が聞こえた。

「最後の物語は、あなたが書くのよ」

振り返ると、机の上に再び童話の本が置かれていた。今度は白紙のページが開かれている。ペンが勝手に動き出し、美咲の手を掴んで文字を書かせた。

「美咲は館から逃げられなかった」

「……やめて……お願い……」

必死に抵抗するが、手は止まらない。涙でにじむ視界の中で、書き終えた文字が光を放ち、全てが闇に飲み込まれた。

——しかし、そこで終わりではなかった。

美咲が目を覚ますと、館の中庭に立っていた。月明かりが降り注ぎ、枯れた噴水が不気味な影を落としていた。彼女の手には先ほどの童話の本が握られており、そのページにはまだ白紙が続いていた。

「……まだ終わっていない……?」

背後から声がした。

「選びなさい。あなたが物語を進めるのか、それとも物語に飲まれるのか」

振り向くと、そこには先ほどの赤い瞳の少女が立っていた。だが今度は彼女の背後に、無数の影がうごめいていた。

「わたしたちはここでずっと待っているの。新しい物語、新しい犠牲者を」

美咲は恐怖に震えながらも問い返した。

「どうすれば……解放されるの?」

少女は小さく笑った。

「あなたが最後の章を書き上げればいい。でも、その章が終わる時、あなたは……物語そのものになる」

選択肢はなかった。美咲は震える手で白紙に言葉を書き始めた。

しかしその文字は彼女の意思に反して勝手に並び、やがて「裏切り」「犠牲」「永遠」という言葉ばかりが紙を埋め尽くしていった。

「やめて……わたしは……」

涙がこぼれる中、少女の囁きが重く響いた。

「もう戻れないのよ。あなたは選ばれたのだから」

その瞬間、中庭の噴水から黒い水が溢れ出し、影が蠢いて美咲を取り囲んだ。

「いやあああああ!」

彼女の叫びは夜の闇に溶け、やがて全ては静寂に包まれた。

翌日、村人が館の前を通りかかった時、窓の奥に女性の姿が見えたという。彼女は助けを求めるように手を伸ばしていたが、気づいた時にはすでに消えていた。

それ以来、館に近づいた者は同じ夢を見るようになった。

——「童話の館に足を踏み入れたら、あなたの人生は物語に書き換えられる」——

そう語り継がれ、誰も館に近づかなくなった。

だが、今もなお机の上の本は、新たな登場人物を待ち続けている……。

そしてその最後のページには、まだ書かれていない一文が残されている。

——「次に館を訪れるのは、あなた」——

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