古い部屋の遺跡で目覚めた恐怖と祖母の秘密
古い部屋の遺跡に隠された祖母の呪い
会社員として東京で働いていた美咲(みさき)は、ある日一本の電話を受けた。
「美咲さん……お祖母様が昨夜亡くなられました」
その言葉は彼女の心を冷たく締めつけた。幼い頃、夏休みごとに訪れていた祖母の家。しかし社会人になってからは一度も帰らず、最後に会ったのはもう十年以上前のことだった。
週末、美咲は重い気持ちを抱えながら故郷の村へと向かった。山奥にあるその村は、駅からさらに車で一時間ほど離れた場所にあり、空気は冷たく澄んでいた。車窓から見える景色は懐かしくもあり、どこか胸騒ぎを覚えるものだった。
村に着くと、古びた木造の家がぽつんと立っていた。祖母の家だ。
玄関の引き戸を開けると、長い廊下と畳の匂いが一気に押し寄せる。懐かしさと同時に、どこか違和感を覚える。
「……こんなに暗かったっけ?」
窓から差し込む光は薄く、昼間だというのに家の奥は闇に沈んでいる。
葬儀の準備や役所への届け出など、村人たちと慌ただしく過ごすうちに日が暮れた。夜、ひとりで祖母の家に戻ると、静けさがより一層不気味さを増していた。
仏壇には線香の煙がゆらめき、どこかで床板の軋む音がする。美咲は胸騒ぎを感じながら、荷物を置き、祖母の部屋へ向かった。
祖母の遺品を整理しようと思ったのだ。障子を開けると、古い箪笥と仏壇がある和室。だが部屋の奥、畳の一角が妙に盛り上がっているのに気づいた。
「……何だろう、これ」
畳をめくると、そこには古い木の蓋があった。鉄の取っ手を引くと、ギイィ……と鈍い音を立てて開いた。中には地下へ続く狭い階段。埃とカビの匂いが鼻を突いた。
心臓が早鐘を打つ。だが美咲は、なぜか吸い込まれるようにその暗闇へと足を踏み入れてしまった。
階段を降りると、そこには「部屋」と呼ぶにはあまりに奇妙な空間が広がっていた。石の壁に囲まれ、古びた掛け軸や家具の残骸が並んでいる。まるで長い時を経た遺跡のようだった。
「こんな地下部屋……子供の頃は見たことなかった」
懐中電灯の光を頼りに奥へ進むと、床に置かれた木箱を見つけた。箱の上には白布がかけられ、墨で「開けるな」と書かれていた。
「……お祖母ちゃん?」
美咲は手を伸ばしかけたが、背後で何かが動く音がして振り返った。誰もいないはずの空間に、人影が見えた気がした。
「気のせい……だよね」
だが耳元で小さな囁き声が聞こえた。
「……開けてはいけない……」
美咲は息を呑み、背筋に冷たい汗が流れる。
勇気を振り絞り、箱を開けてみると、中には古い日記帳が入っていた。表紙はボロボロで、墨のにじんだ字で「澄江(すみえ)」と記されている。澄江は祖母の名前だった。
ページをめくると、震える文字でこう書かれていた。
「……この部屋は祟りの地。祖先が封じたものが眠っている。決して目を合わせてはならない」
その瞬間、石壁にかかった古い鏡が音もなくひび割れた。
「きゃっ!」
美咲が振り返ると、割れた鏡の中に、白い着物を着た長髪の女が映っていた。しかし振り返った現実の空間には誰もいない。
「……お祖母ちゃん、何を隠してたの……?」
その時、背後から声がした。
「美咲……どうして来てしまったの」
振り返ると、そこには亡くなったはずの祖母が立っていた。顔は優しい笑みを浮かべているが、その目は真っ黒に濁っていた。
「お、お祖母ちゃん……?」
「ここは開けてはならぬ部屋……代々、女が守ってきた場所なのよ」
「どういうこと……?」
「次は……お前が守る番だ」
そう言うと、祖母の姿はふっと闇に溶けた。
美咲は恐怖で足がすくんだが、なぜか胸の奥に奇妙な確信が芽生えた。この部屋、この遺跡のような空間は、ただの秘密ではない。何かが封じられている。そしてそれを継ぐのは、自分なのだと。
突然、壁の奥から複数の手が伸びてきた。蒼白で骨のような手が、美咲の足首を掴んだ。
「いやっ! 離して!」
必死にもがくと、日記帳が床に落ち、開かれたページに新しい文字が浮かび上がった。
「――守れ。さもなくば全てが呑まれる」
美咲は震える手でそのページを握りしめ、叫んだ。
「私は……守る! お祖母ちゃんがしたように!」
すると手は一斉に消え、部屋は静まり返った。ただし鏡の中だけには、あの白い着物の女が残っていた。彼女はゆっくりと口を開いた。
「……また一人、囚われた」
次の瞬間、懐中電灯が消え、完全な闇が美咲を包んだ。
――しかし、それで終わりではなかった。
翌朝、目を覚ますと、美咲は畳の上に横たわっていた。昨日の出来事は夢だったのかと一瞬思ったが、手にはあの日記帳が握られていた。ページには昨夜自分が読んだものに加え、新たな言葉が現れていた。
「美咲……あなたは選ばれた」
心臓がどくどくと脈打つ。夢ではなかった。鏡の女も、祖母の言葉も、全て現実だったのだ。
その後も数日、祖母の家に滞在するうちに、美咲は不思議な現象に遭遇するようになった。夜になると廊下に人の影が揺らめき、誰もいない部屋から足音が聞こえる。ふと見ると、仏壇の蝋燭が勝手に灯り、鏡の中に知らない顔が浮かんでいることもあった。
「この家は……生きてるみたい」
村の古老に相談すると、老人は重々しく頷いた。
「あの家には昔から秘密がある。お前の祖母も、その母も、代々女があの“部屋”を守ってきたんじゃ」
「守るって……一体何を?」
「言えん。言った者は皆、口を閉ざしたまま死んでいった。だが一つだけ確かなことはある……外へ漏らしてはならんものが、あの遺跡には眠っておる」
老人の声は震えていた。それを聞いた美咲は、自分の運命から逃げられないことを悟った。
その夜、再び地下の部屋へ降りた。割れた鏡の前に立つと、白い着物の女が現れた。
「あなたは……誰?」
「私はここに囚われた者。この家を守り続けた者の成れの果て」
「まさか……お祖母ちゃんも?」
女は答えず、ただ哀しげに微笑んだ。
鏡越しに見える女の顔は、確かに祖母の面影を宿していた。
「美咲……逃げなさい。今ならまだ間に合う」
「でも私は……守らなきゃ」
「守ることは囚われること。自由を失い、永遠にここに縛られるのよ」
その言葉に、美咲の心は揺れた。だが鏡の奥からまた別の声が重なった。
「――封を解けば、村は滅びる」
同時に壁が震え、床の奥から低い唸り声が響いた。まるで何かが目を覚まそうとしているかのようだった。
「これは……私が選ぶしかないの?」
鏡の中の女は静かに頷いた。
その瞬間、美咲は理解した。
守るか、解き放つか。どちらを選んでも、自分の運命は変わらないのだと。
翌朝、村人が家を訪ねると、祖母の部屋は整然としていた。だが、畳の下に続く地下への蓋は固く閉ざされ、誰も開けることはできなかったという。美咲の姿もまた、どこにも見当たらなかった。
ただ一つ、仏壇の前に置かれた古い日記の表紙には、新しい名前が墨で記されていた。
「美咲」
その字は、震えながらも確かに生きていた。
そして村人たちは静かに悟った。
――古い部屋の遺跡は、次の守り手を選んだのだ。
それ以来、祖母の家には誰も近づかなくなった。
ただ夜な夜な、廊下の奥から若い女の声が聞こえるという。
「……守らなきゃ……守らなきゃ……」
その声は、今もなお村の闇に溶け続けている。

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