橋の下に沈む村で会社員が遭遇した恐怖の真実物語
水位が下がり現れた沈没村と怨霊の謎を追う女性の話
会社員の佐藤美咲(さとう みさき)は、東京都内の広告代理店で働く28歳の女性だった。毎日終電近くまで残業し、心身ともに疲れ切ったある金曜日の夜、彼女は気分転換のために小さな田舎町へ一泊旅行に出かけることを決めた。目的地は、都会から電車で三時間ほど離れた山間の町。そこには古い橋がかかる川があり、夏の夕暮れに眺める景色が美しいと旅行サイトに書かれていた。
翌日、町に着いた美咲は、駅前の案内板を見て「白鷺橋」という名の古い石橋へ向かった。川の水は清らかで、山の緑を映して輝いている。だが、その日だけは様子が違っていた。数日前の大雨の影響で上流のダムが放水を止めたらしく、水位が極端に下がっていたのだ。
橋の中央に立った美咲は、ふと川底に目を向けた。そして、息を呑んだ。川の底に、屋根瓦が連なる村の影が見えたのだ。
「……え? 村?」
石造りの家々、朽ちた鳥居、そして人影のような黒い影がゆらゆらと動いている。観光パンフレットにはそんなこと一言も書かれていなかった。
近くで釣りをしていた老人に、美咲は思わず声をかけた。
「あの……川の下に、村がありますよね?」
老人は竿を置き、ゆっくりとこちらを見た。
「見えちまったか……。あんた、今日はもう帰りな。ここはな、死んだ村だ」
老人は、それ以上語らず背を向けた。
不安になりながらも、美咲はスマートフォンで川底の村を撮影しようとした。だが、画面には何も映らない。あるのはただの濁った川底だけだった。
その瞬間、橋の下から声が聞こえた。
「……たすけて……」
耳元で囁かれたように鮮明な声だった。美咲は慌てて橋の欄干を離れ、後ずさった。心臓が早鐘のように打つ。
宿に戻る途中も、川底の村が頭から離れなかった。夜、宿の女将にそれとなく聞いてみると、女将は小さくため息をつき、語り出した。
「昔、この町の下流には小さな村があったの。でも、昭和三十年代の大雨で土砂崩れが起き、川が氾濫して村ごと流されてしまったのよ。生き残った人は一人もいなかったそうよ」
「じゃあ、あれは……」
「ええ、沈んだ村。普段は水に隠れて見えないけど、水位が下がると……あの世とこの世が少しだけ近くなるの」
女将の声は次第に小さくなり、視線は窓の外へ向けられた。そこには闇に沈む川と、かすかに橋の影が浮かんでいた。
その夜、美咲は何度も悪夢にうなされた。夢の中で、川底の村を歩いていた。朽ちた家々の間を白い着物の人々が無言で通り過ぎ、誰も顔が見えない。気づくと、美咲の足首に冷たい手が絡みついていた。
「……こっちへ……」
目を覚ましたとき、額には冷たい汗がにじんでいた。時計を見ると午前3時。窓の外から、またあの声が聞こえた。
翌朝、美咲は帰る予定だった。しかし、あの村の正体を確かめたいという衝動が抑えられなかった。再び白鷺橋へ向かうと、川底の村は昨日よりはっきりと見えていた。まるで水がさらに引いているかのようだった。
欄干にもたれたその瞬間、背後から声がした。
「あんた、あの村の人間に呼ばれてる」
振り向くと、昨日の老人が立っていた。
「呼ばれる……?」
「村の奴らはな、水に沈んでからずっと仲間を探してるんだ。自分たちと同じように、こっちの世界からあっちへ連れて行く仲間をな」
老人の目は濁っていて、まるで人間ではないように見えた。次の瞬間、美咲は足を滑らせた。
落ちる——そう思った瞬間、冷たい水ではなく、ぬかるんだ土の感触が足元に広がった。
目の前には、昨日橋の上から見た村が広がっていた。だが、そこには生々しい音と匂いがあった。湿った木材の匂い、遠くから聞こえる太鼓の音、そして——無数の足音。
「ようこそ、美咲さん」
振り向くと、村人たちが取り囲んでいた。白い顔、空洞のような目、口元だけが笑っている。
「ここはね、生きてる人も死んだ人も同じ場所なの。だから帰れないのよ」
その言葉を最後に、美咲の記憶は途切れた。
次に目を開けたとき、美咲は村の中央にある広場にいた。足元は湿った泥、空は鉛色で、昼間なのに光がない。村人たちは円を描くように並び、中央の古びた井戸を見つめている。
「これから儀式が始まるの」
隣に立つ女が囁いた。顔はやはり空洞のようで、目がなかった。
井戸の中から、泡立つような音とともに黒い水がせり上がってきた。その水面に、美咲自身の姿が映っている。しかし、それは笑っていた——現実の自分ではありえないほど、不気味な笑顔で。
「これは……何?」
「あんたの“こっち側”の姿よ」
その瞬間、村人たちが一斉に手を伸ばし、美咲を井戸の中へ押し込もうとした。冷たい水が口と鼻をふさぎ、息ができない。
必死にもがいたその時、ふいに誰かが腕を引いた。気づけば、美咲は再び橋の上に立っていた。
隣には、あの老人がいた。しかし、その姿は半透明で、風に溶けるように揺らめいている。
「行け。今のうちに」
老人の声はかすれ、そして次の瞬間、彼は霧のように消えた。
美咲は全力で宿に戻り、荷物も持たずに駅へと走った。電車に飛び乗り、町を離れるにつれて川や橋は見えなくなった。だが——
東京に戻った夜、自宅の窓の外からあの声が聞こえた。
「……こっちへ……」
窓を開けると、そこにはあり得ない光景があった。ビルの谷間に、川底の村が広がっていたのだ。
——美咲の逃げ場は、もうどこにもなかった。

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