赤い座布団に現れる座敷童子の微笑み
座敷童子の微笑
青森県の山奥にある小さな村、「霧生村(きりゅうむら)」は、地図にも載らないほどの寂れた集落だった。
東京から移住してきた大学生の由佳(ゆか)は、卒業論文のためにこの村を訪れ、古い民俗学に関する調査を進めていた。
「この家、空き家だって言ってたけど、なんか...変な感じがする」
そう呟きながら、由佳は村の老人・斎藤から借りた築百年以上の古民家に入った。埃の匂いと湿った畳の香りが鼻を突く。
家の奥には、一間だけ妙に整えられた和室があった。床の間には古びた日本人形が置かれており、その隣には赤い座布団が丁寧に敷かれていた。
「ここだけ、誰かが毎日掃除してるみたい…」
その夜、由佳は民家で一人、懐中電灯の明かりを頼りに古い資料を読んでいた。午前2時を回った頃、ふと隣の部屋から何かの音が聞こえた。
― カラカラカラ…
障子が風もないのに揺れている。
由佳は恐る恐る隣室を覗くと、赤い座布団の上に小さな足跡が残っていた。
「誰かいるの…?」
その瞬間、背後から子供の笑い声が聞こえた。
「ふふっ…」
振り向いても誰もいない。しかし畳には確かに小さな足跡が続いている。
翌朝、由佳は村の斎藤老人にその出来事を話した。
「ああ、それは座敷童子(ざしきわらし)かもしれん」
「ざしきわらし?」
「昔からこの家には子供の霊が住んでると言われておってな。悪さはしないが、微笑まれたら...気をつけるんじゃ」
「どういう意味ですか?」
「笑うのは、別れの合図だ。そいつが笑うとき、誰かが死ぬ…」
笑いながら死を告げる――そんな話はただの迷信だと自分に言い聞かせたが、その夜、由佳は再び赤い座布団のある部屋で足音を聞いた。
「…いるの?」
部屋に入ると、そこに小さな女の子が座っていた。白い着物に赤い帯、顔はぼんやりとしていたが、無邪気に微笑んでいる。
「あたし、ここにずっといたの」
「あなたは…名前は?」
「名前、忘れた。でも、もうすぐ一緒にいける」
― 一緒に、どこへ?
女の子は笑みを浮かべたまま消えた。由佳の頭には「一緒にいける」という言葉が離れなかった。
翌朝、村で一人の老人が亡くなったという報せを受けた。斎藤の隣に住んでいた老婆だ。
「やはり…微笑んだのか」
由佳は怖くなり、宿泊をやめてホテルに泊まろうと村を出ようとするが、道は大雨で土砂崩れにより封鎖されていた。
― 出られない…
その晩、由佳は眠れずにいた。時計の針はまた2時を指していた。畳を歩く足音が響き、再び赤い座布団の部屋へと誘われる。
そこには、今度は二人の子供がいた。どちらも笑顔を浮かべている。
「あたしたちと、あそぼうよ」
由佳は逃げようとするが、足が動かない。部屋の空気が重く、冷たい。
― だめだ、このままじゃ……
「なぜ、私なの?」
「だって、ひとりぼっちだから」
子供の言葉が胸を突く。確かに、由佳は家族とも離れ、恋人もいない。研究に没頭するあまり、人との繋がりを絶っていた。
ふと視界がぼやけた瞬間、目の前に少女の顔が迫っていた。
「あなたも、こっちにおいでよ」
― 気を失った。
目を覚ました由佳は、朝の光の中で布団にいた。あの出来事は夢だったのだろうか?しかし足元には、小さな足跡が続いていた。
数日後、土砂崩れが解消され、由佳は村を後にした。東京に戻ってから、彼女は座敷童子に関する論文を書き上げ、評価を受けた。
しかし、それから彼女の周囲では奇妙な死が相次いだ。論文を読んだ教授、資料提供者、編集者…皆、突然死を遂げていた。
― 笑われたのは、私じゃなかった。
ある晩、由佳の部屋に置かれた赤いクッションの上に、一輪の白い花と共に小さな足跡があった。
「また来てくれたのね…」
由佳は微笑んだ。そしてその頬には、座敷童子と同じような、無邪気な微笑が浮かんでいた。
その日から、由佳の姿を見た者はいない。彼女の部屋だけが、誰もいないのに毎日掃除されていたという。
― 今でも赤い座布団の上で、彼女は子供たちと笑っているのだろう。微笑みの中に隠された死の気配と共に――。
…しかし、物語はここで終わらなかった。
半年後、とあるオカルト系のYouTuber・葵(あおい)が、由佳の失踪事件に興味を持ち、動画のネタにするために霧生村を訪れた。
「皆さん、今回の心霊スポット探訪は、失踪した大学生・高城由佳が最後に滞在していた古民家に行ってきます!」
動画は軽いノリで始まったが、徐々に異変が起きた。カメラに映る座敷には、誰もいないはずの少女の影がちらつき、マイクには子供の笑い声が記録されていた。
― ふふふ、ふふっ…
動画のコメント欄には「3分28秒で何か映ってる」「子供が一瞬こっち見てる」といった書き込みが殺到。
それから数日後、葵もまた消息を絶った。彼女の最後の言葉は、ライブ配信中に発した一言だった。
「あ、あの子…笑って…」
その後、YouTubeアカウントは削除され、本人の連絡先もすべて無効となった。
由佳の論文は大学のアーカイブからも削除され、座敷童子に関する記録はすべて不明となった。まるで、誰かが「なかったこと」にしようとしているかのように。
そして今夜も、霧生村のあの古民家では、小さな笑い声が静かに響いているという――
「ふふっ…あたし、ひとりじゃないもん…」

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