封じられた屋根裏から響く少女の声
屋根裏部屋からの泣き声
「あの部屋、借りた人、すぐ出ていくんですよ」
不動産屋の女性が苦笑いしながらそう言った。
東京から少し離れた山間の町。大学を休学中の直哉は、療養も兼ねて一人で静かな場所に引っ越そうとしていた。
紹介されたのは、築50年の古い一軒家。木造で、軋む音が至る所に響くが、広くて安い。
「人が住まなくなってからもう2年くらいで……まぁ、たまに音がするとか言ってましたけど、ネズミか風ですよ」
契約はスムーズに終わった。
だが、入居初日。夜になると、屋根裏から「ひっ、ひっ」とすすり泣くような声が聞こえた。
「……ネズミの鳴き声ってこんなだっけ?」
気味が悪いが、疲れもあってその日は眠りについた。
翌朝、天井を見上げると、四隅に黒い染みが浮かんでいた。
「雨漏り……じゃないよな」
気にしないようにしようと決めたその夜。再び泣き声が聞こえた。
今度ははっきりと、少女のような声で。
「う……うえぇ……ごめんなさい……」
「誰かいるのか……?」
怖さよりも好奇心が勝ち、直哉は脚立を使って屋根裏の小さな扉を開けた。
中は真っ暗で、懐中電灯を向けると埃まみれの箱がいくつか積まれていた。
「……誰もいない、か」
だが、その時。
背後から、子供の手のような小さな何かが、彼の足を掴んだ。
「うわっ!!」
勢いよく脚立から落ち、床に頭をぶつけた。
目を開けたときには、屋根裏の扉は閉まっていた。
「夢か……? いや、あれは確かに……」
数日後、地元のスーパーで買い物をしていた時、小さな女の子が直哉に話しかけてきた。
「お兄ちゃん、屋根裏に入ったでしょ?」
「え? なんで知ってるの?」
「あそこ、ダメだよ。あの子、怒ってるから……」
母親らしき女性が慌てて女の子を連れて行った。
「すみません! この子、最近ちょっと変なことばかり言ってて……」
夜。再び屋根裏から泣き声がした。
「ここから、出して……もう暗いの、やだ……」
直哉は恐る恐る扉を開け、中に入った。
暗闇の中で、埃をかぶった日記帳を見つけた。
それは、20年前にこの家に住んでいた少女のものだった。
『お父さんが、わたしを屋根裏に閉じ込めた』
『誰も助けてくれない』
『暗くて、こわい。ごめんなさい、もうしません』
ページの途中で、インクが滲み、読めなくなっていた。
その夜、直哉は夢を見た。
暗い屋根裏部屋で、小さな少女が丸くなって泣いている。
「出して……ここ、こわいよ……」
彼が手を伸ばそうとすると、少女が顔を上げた。
目がない。口が裂け、黒い液体が垂れていた。
「……かえして、わたしの居場所を……」
目が覚めると、天井には黒い手形が何十個も並んでいた。
翌朝、図書館で古い新聞を調べた直哉は、この家で起きたある事件を見つけた。
『1999年、父親による娘監禁事件。虐待の末、少女は餓死。父親はその後行方不明』
記事には、あの屋根裏部屋の写真があった。
夜。屋根裏からの泣き声が一層激しくなる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
直哉は日記帳を持ち、屋根裏に再び入った。
「もう、大丈夫だ。君のこと、ちゃんと伝えるから」
その瞬間、背後から誰かが現れた。
髪の長い男が、狂ったような目で睨んでいた。
「誰にも渡さない……あの子は、私のものだ!!」
――直哉の意識は、そこで途切れた。
翌朝、近隣住民の通報で警察が駆けつけたとき、家はもぬけの殻だった。
だが、屋根裏には日記帳と、血に染まった一枚の紙が残されていた。
『ありがとう。でも、まだ終わらないの。わたしと同じように泣く子が、また現れるまで……』
数日後、地元の寺の住職・本田が家を調査することになった。彼は何年も前から、この家に悪い“気”を感じていたという。
「この家には、供養されない魂が残っています。それも、非常に執念深い」
住職は家の四隅に護符を貼り、屋根裏で読経を始めた。しかしその瞬間、家全体が軋みをあげ、天井から少女の叫び声が響いた。
「いやだ!! ここ、わたしの部屋なの!! 出ていけぇ!!」
住職はその声に顔を歪めながら念を続けた。だが突然、彼の体が後方に投げ飛ばされ、柱に激突して気を失った。
翌日、住職は意識を取り戻すとこう言った。
「あの子は、自分が死んだことに気づいていない。あれは“泣いている”のではなく、“生きているふりをしている”んだ」
以来、家は完全に立ち入り禁止となった。
だが、月に一度、決まって誰かが屋根裏の扉を開けてしまう。好奇心か、偶然か、それとも呼ばれてしまったのか――
直哉の行方は、今もわかっていない。彼の部屋には、今でも小さな靴音とすすり泣きが夜な夜な響いているという。
そして最近、町の掲示板にこんな書き込みが増えてきた。
『あの家の前を通ると、女の子の声が聞こえる。「だれか、遊んで……」「ねえ、いっしょにいて」』
声は毎晩、少しずつ大きくなっている。
まるで、次の“住人”を探しているかのように――。
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