封じられた死体が語りかける夜

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動く死体を見る

死体安置室の奥に潜む囁きの真実

「……また、聞こえた。」
そう呟いたのは、都内の古びた病院に勤める遺体管理人・村瀬(むらせ)だった。夜勤の担当が終わるころ、死体安置室の奥から、またしても聞こえてきたのだ。「助けて……」「寒い……」という、かすれた声。

村瀬には、誰にも言えない秘密があった。彼は子供のころから霊を見る力、つまり「第六感」を持っていた。だがそれは、彼にとって祝福ではなかった。

「またあの声か?……冗談じゃない」
村瀬は額の汗を拭いながら、冷蔵庫の扉を開けた。そこには、昨夜運び込まれた女性の遺体が静かに横たわっていた。白い布に覆われた彼女の顔が、ふと見える気がした瞬間——

「お前、聞こえるのね……?」

声が、直接脳内に響いた。村瀬は思わず後ずさり、背後の金属棚にぶつかった。

「違う、これは夢だ……幻覚だ」
村瀬は何度も目をこすったが、耳元には確かに女性の嗄れた声が残っていた。彼は慌てて部屋を飛び出した。

夜勤室に戻ると、同僚の看護師・高橋がコーヒーを淹れていた。

「おい、村瀬、大丈夫か? 顔、真っ青だぞ」
「ああ……ちょっと寝不足でな」

もちろん、真実は言えなかった。彼の力を信じてくれる人などいない。いや、信じたところで、恐れられるだけだ。

それでも、その夜から彼の生活は変わり始めた。

死体の声が、増えたのだ。

「苦しいよ……」「私、殺されたの……」
「息子に会いたい……」

聞き流そうとした。しかし、村瀬の心には不思議な罪悪感が渦巻いた。
——なぜ、死者の声が自分に届くのか。
——そして、なぜ、それが自分だけなのか。

そんなある晩、彼は忘れられない体験をすることとなる。

午後十一時、またしても冷蔵室の奥から女の声がした。

「ねえ、村瀬さん。あの子、まだ生きてるのよ……助けて」

ゾクリとした。
——名を呼ばれた。

彼は意を決して冷蔵庫の扉を開けた。すると、そこにあったはずの遺体が——

「いない……!?」

焦った彼が振り返ると、白い布をまとった女性が立っていた。

「あの……地下……ベッド……17番……」

声と同時に女性はふっとかき消えた。

村瀬は迷いながらも、地下の旧病棟へと足を運んだ。かつて手術棟だったその場所は、今は誰も使っていない。

埃にまみれた廊下、割れた蛍光灯。だが、確かにその奥に、17と書かれたプレートが見えた。

「……嘘だろ……」

そこで見つけたのは、鎖で閉じられたベッドの中にうずくまる少女だった。
顔色は悪いが、かすかに胸が上下している。

「生きてる……! 誰か!」

彼は慌てて病院に通報し、警察も介入する騒ぎとなった。
少女は行方不明になっていた患者だった。薬物治療の失敗で一時的に死亡と誤診され、処理待ちの冷蔵庫に送られたが、意識が戻った瞬間、誰かが「秘密にしろ」と口止めし、そのまま地下へ隠したという。

だが、それを命じた人物は——

「……あなたですよね、村瀬さん」

警察からの事情聴取で、医師の一人がそう言い放った。

「私は……そんなこと……」

否定したが、証拠はすべて村瀬の名前を指していた。

なぜか。

——そう、死者の声が聞こえる力は、時に“偽りの記憶”も植え付けるのだ。

誰かの怨念が、彼を使い、復讐の駒としたのだ。

それに気づいた時には、すでに遅かった。

村瀬は懲戒解雇され、精神鑑定の対象となった。彼は叫んだ。

「違う! 俺は助けたんだ! 声が聞こえたんだよ!」

だが誰も耳を傾けなかった。

彼は今、山奥の精神病棟にいる。

そして、夜になると、また耳元に声がささやく。

「ありがとう、村瀬さん。でも……今度は、あなたが“あちら”へ来て」

——白い布の女が、微笑みながら手を差し伸べていた。

その声は、ますますはっきりと、彼の頭を締めつけていく。

——そして彼は、ついに立ち上がった。

「わかった……行くよ……」

真夜中の病棟に、誰もいないはずの足音が響いた。

彼が向かう先には、再び冷たく閉ざされた“死体安置室”があった。

——だが今度、冷蔵庫の扉を開けるのは、彼自身だ。

「やっと、聞こえてくれたのね……」

女の声が、冷たく、しかし嬉しそうに囁いた。

翌朝、当直医が死体安置室で発見したのは、冷蔵庫の中で安らかに横たわる村瀬の姿だった。
死因は不明、外傷もなく、心臓も正常だったが、彼の表情は、なぜか穏やかで微笑んでいた。

彼の遺品からは、一冊のノートが見つかった。そこには無数の名前と、遺体番号、そして「声の記録」が詳細に綴られていた。

「私は焼かれたくない」
「彼に殺された」
「息子の名前は雄大」

医療ミス、不審死、行方不明者……彼の記録と一致する事件は数多く、数年後には警察が再捜査に動くきっかけとなった。

——だが、真実はまだ、霧の中にある。

ある夜、病院の新任職員・綾瀬が、死体安置室の片付け中に奇妙な違和感を覚えた。

「誰もいないよね……? あれ……」

棚の隅、冷蔵庫の奥に、白い布をかぶせられた小さな影があった。

「今日、こんな遺体あったっけ……?」

その布に触れた瞬間、耳元で男の声が聞こえた。

「君は、聞こえるのか……?」

——声の主は、冷たくなったはずの、村瀬だった。

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