首のない影が戸を叩く夜、真実が囁く
首なし訪問者
「なあ、首なしの話って知ってるか?」
薄暗い夕暮れ時、大学のサークル仲間である拓海がそう言いながら缶コーヒーを片手に笑った。
「ああ、夜中に首のない女が民家を訪ねてくるやつ?」
「いや、それとはちょっと違う。最近、秋田の山奥にある集落で、首なしの訪問者が出るって噂になってるんだ。戸を叩かれて、出てみると誰もいない。でも、防犯カメラには“首のない人間”が映ってたって」
「くだらねぇ都市伝説だな」
俺、航平は笑って受け流した。だが、拓海の表情はいつになく真剣だった。
「じつはさ、俺の祖父の家がその集落の近くにあるんだよ。今、誰も住んでないけど、最近妙な音が聞こえるって近所の人が言っててさ」
「まさか、お前…」
「行こうぜ、週末。一晩だけでも。証拠、撮ってやろうぜ」
俺たちは好奇心に負けた。週末、レンタカーを借りて秋田の山奥へ向かった。道中は不気味なほど静かで、車のタイヤ音が森に吸い込まれるようだった。
目的の集落はすでに廃村に近く、拓海の祖父の家も草に覆われていた。
「うわ、ここ…本当に人が住んでたのか?」
「数十年前まではな。でも、何かが起きて人がいなくなったらしい」
俺たちは懐中電灯とカメラを準備して、古びた家に足を踏み入れた。畳は湿っていて、空気にはカビの匂いが漂っていた。電気は当然通っていない。
「とりあえず、一晩ここにいよう」
夜が更けてくると、風の音すら止んだ。時計が午前二時を示したとき、コン…コン…という微かな音が玄関から聞こえてきた。
「今の、ノック音だよな?」
拓海が囁いた。
「誰かが来るわけないだろ、こんな時間に…」
「ビデオ、回してるか?」
「回してる。見てくるのか?」
「行くしかないだろ」
俺たちは静かに玄関に向かった。ドアの前には誰もいない。だが、足元には奇妙な泥の足跡が続いていた。
「…誰かいた?」
「いや…」
そのとき、ふいに背後から風もないのに障子がバン!と音を立てて閉じた。俺たちは顔を見合わせ、部屋に駆け戻った。
「カメラ…何か映ってたらいいけどな」
しかし、再生してみるとそこには確かに“首のない人影”が玄関の前に立っていた。
「う、うそだろ…」
「マジでいる…!これ、ニュースに出せるかも!」
その直後、画面にノイズが走り、カメラが落ちた。
「なんだよ、これ…」
部屋の窓に気配を感じて振り向くと、そこに“首のない訪問者”が立っていた。
肩から上がまるで削られたように消えていて、血の跡もなければ動きもない。ただ、じっと、俺たちを見ているかのように。
「に、逃げろ!」
俺たちは懐中電灯を持って裏口から飛び出した。拓海が先に出て、俺が続こうとしたとき、何かが足を掴んだ。
「いってぇ…!」
足元を見ると、床下からのぞく白い手が俺の足首を掴んでいた。
「拓海っ!助けてくれ!」
拓海が戻ってきて俺の手を引っ張る。白い手が離れ、俺は何とか脱出した。
「あれは…あの手は…人間のもんじゃなかった」
俺たちは車に乗り込んで逃げるように山を下った。
「これ、警察に言った方がいいかもな」
「証拠あるか?映像は途中でノイズ入ったし、全部は残ってないぞ」
そのとき、バックミラーに“首なしの女”が映った。助手席の窓の外、立っていた。
「うわああああっ!!」
俺は思わずハンドルを切ってしまい、車はガードレールを越えて斜面を転がった――
…………
目を覚ますと、病院だった。全身が痛み、包帯だらけの自分がベッドに寝ていた。看護師がやってきて言った。
「目が覚めたんですね。交通事故でした。奇跡的に命は助かりましたよ」
「拓海は!?一緒にいた友達は!?」
「…お一人で発見されましたよ。車の中には他に誰もいませんでした」
そんなはずはない。あのとき確かに、拓海は俺の手を掴んで引っ張ってくれた。助手席にいたはずだ。
数日後、警察が見せてくれた車載カメラの記録には、確かに俺しか映っていなかった。拓海の姿はどこにもない。
ただ――記録の中に、一瞬だけ玄関前に立つ“首のない訪問者”が映り込んでいた。
俺は退院後、拓海の実家に連絡を取った。だが、母親から返ってきた言葉に凍りついた。
「…拓海?その名前の子なら、五年前にあの集落の近くで行方不明になったのよ。事故か、何かに巻き込まれて…もう帰ってこなかったわ」
「…え?でも、俺、先週一緒に――」
電話の向こうで微かにノイズが走り、そのあと、はっきりとこう聞こえた。
「また…来るよ…」
そして電話は切れた。
俺のスマホには、未送信の動画ファイルがひとつ残っていた。開いてみると、拓海がカメラに向かってこう言っていた。
「もしこれを見てるなら、すぐ逃げろ。首なしの訪問者は、人の姿を借りて近づいてくる――」
画面の奥、暗がりからもうひとりの“俺”が、首のない姿で歩いてきた。
それ以降、俺の家のドアが、午前二時になると必ずノックされるようになった。
だが、開けてもそこには誰もいない。
――ただ、床に残る泥の足跡が、玄関から寝室へと続いている。
そして今夜も、ノックの音が聞こえる。
コン…コン…。
「航平…あけてよ…」
それは、あの夜死んだはずの拓海の声だった。
俺は震える手でドアノブを握った。だが、開ける寸前に鏡に映る自分の姿を見て凍りつく。
そこには、首のない“俺”が立っていた。
すべてが反転していた。俺は事故の夜、すでに死んでいたのか?
いや、もしかしたら、あの時点で俺は“首なしの訪問者”になっていたのかもしれない――
今ではもう、誰が誰なのか、自分が本当に“生きている”のか、それすらもわからなくなってしまった。
ただひとつだけ、確かに言える。
午前二時のノックは、今日もまた、次の“誰か”の命を迎えに来る。

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