八月三十一日の夜に現れる鬼の行列

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百鬼夜行の行進

百鬼夜行の行進

山間の村「柊谷(ひいらぎだに)」は、古くからの風習と禁忌に囲まれた小さな集落だった。標高の高い場所にあるため、霧が常に立ち込め、外界との接触も少ない。夏が終わり秋風が吹き始める頃、村では決して破ってはならない掟があるという。それは、「八月三十一日の夜、外に出てはならぬ」というものだった。

主人公・高木悠真(たかぎゆうま)は、東京の大学に通う大学生で、祖母の葬儀のため十数年ぶりにこの村を訪れた。幼い頃の記憶はぼんやりしており、祖母の家や村人たちもどこかよそよそしく感じた。

「悠真、おばあちゃんの部屋には入っちゃだめよ」
母の厳しい声に、悠真はうなずいたが、心のどこかにひっかかりを感じていた。

その夜、外は異様なほど静まり返っていた。蝉の声も風の音も消え、時間が止まったようだった。祖母の部屋から、わずかに音がするのを聞いた悠真は、好奇心に駆られて襖をそっと開けた。

—そこには、誰もいないはずの畳の上に、奇妙な絵巻が広げられていた。

「……百鬼夜行図?」
声を漏らした瞬間、部屋の明かりが一瞬揺れた。絵巻に描かれた鬼や妖怪たちが、不気味に笑っているように見えた。

そのとき、背後から声がした。
「見てしまったのね……」
振り返ると、老婆が立っていた。しかしそれは祖母ではない。顔はどこか崩れたように歪み、口元から黒い液体が垂れていた。

「戻れなくなるわよ、この夜に……」
悠真は叫びそうになったが、身体が動かない。老婆の手が近づいてくるその瞬間、目の前の景色が歪み、まるで夢の中に落ちるように意識を失った。

――目を覚ますと、見知らぬ通りに立っていた。周囲は夜の闇に包まれているが、どこか異様な色をしている。町家風の建物が並び、道の先には灯籠の列。そこを、異形のものたちが練り歩いていた。

「……百鬼夜行の行進……?」
悠真は、自分があの絵巻の中に吸い込まれたのだと悟った。鬼、妖怪、化け猫、口裂け女に大百足——時代も姿も異なる怪異たちが列を成し、静かに進んでいく。

そして、その行進の中心には、白装束を着た少女が歩いていた。髪は長く、顔は面で隠されているが、どこか見覚えがある。

「……ユウマ……」
少女が小さくつぶやいた。悠真はその声に戦慄を覚える。

「誰……だ?」
「わたしは……君の妹。もう忘れたの?」

悠真の記憶の奥に、封じ込めていた幼い少女の笑顔がよみがえった。
「……結(ゆい)……」

結は、幼い頃に村の川で行方不明になった妹だった。家族は「事故だった」と言ったが、真実は語られなかった。

「私は、この夜に連れてこられたの。生贄として」
結の声は、怒りと悲しみに満ちていた。

「八月三十一日、柊谷では百鬼夜行の通り道になる。この村では、毎年誰か一人を差し出して、その行進を通す契約を結んでいたの」

悠真は震えた。
「まさか、祖母が……いや、村全体が……?」

「今年の供物は、あなた」

そう言った瞬間、行進が停止し、すべての妖たちが一斉に悠真に顔を向けた。無数の目が光り、にやりと笑う口が開かれる。

逃げなければ。そう思った瞬間、足元から黒い手が伸び、悠真の足を掴んだ。叫び声を上げる間もなく、彼は地面の裂け目に引きずり込まれていった——

……気がつくと、祖母の部屋に倒れていた。朝日が差し込んでいる。あれは夢だったのか、現実だったのか。絵巻はもうどこにもなかった。

「……夢、だったのか……?」

リビングに戻ると、母が黙って仏壇の前に座っていた。手には古びた写真。そこに写っていたのは、幼い悠真と結、そして祖母が並んで笑っている姿だった。

「母さん……結のこと、聞かせてくれ」

母はゆっくりと口を開いた。
「結は、あなたの身代わりになったの。昔、あなたが病気になったとき、祖母が言ったの。『この子は八月三十一日までもたぬ』と。でも——」

「じゃあ、結は……」

「行かせたのよ。百鬼夜行に」

悠真の中で何かが壊れた。自分が助かる代わりに、妹が連れていかれた。

その夜、再び夢の中で行進が現れた。今度は悠真が白装束を着せられ、行列の先頭に立っていた。

隣には結がいた。
「ようこそ、百鬼夜行へ」

彼女の笑顔は、どこか安らかで——だが、もう人のものではなかった。

目を覚ましたとき、彼の腕には見慣れぬ文字が刻まれていた。まるで火傷のように、赤く「供物」と書かれていた。

それから数日、悠真の周りでは不可解な出来事が続いた。鏡の中で自分以外の顔が映る、誰もいないはずの廊下で足音がする。

そして、東京へ戻る前夜、村の老神主が家を訪れた。
「見たのですね……あの行進を」

「……見ただけじゃない。俺はその中にいた」

神主は小さくため息をつき、黒い箱を差し出した。
「この中には、“戻る術”がある。ただし、代償は大きい」

箱の中には、封じ札と一振りの短刀が入っていた。

「誰か他の者に“供物の印”を移せば、あなたは救われる」
「つまり、誰かを……犠牲にしろと?」
「選びなさい。命と魂、どちらを守るか」

夜更け、悠真は祖母の仏壇の前に座ったまま動けずにいた。
結の写真が彼を見つめるように微笑んでいる。

「……ごめん、結。でも、俺は……」

その声とともに、彼は短刀を自分の腕に突き立てた。血が滴り、供物の印が赤く光る。次の瞬間——

彼は、再び百鬼夜行の中にいた。

違ったのは、今度は彼が先導していたこと。後ろには、無数の村人たちの顔があった。母、祖母、神主……そして最後尾にいたのは、もう一人の自分。

彼はようやく理解した。この村には「救い」などなかったのだ。

ただ、毎年一人、また一人と——行列に加わっていくだけ。

それが、「百鬼夜行の行進」の本質だった。

そして今年も、八月三十一日が近づいている。深い山霧の中から、灯籠の列が静かに現れる。

夜の山道を通る者よ、決して振り返ってはならない。そこに立っているのは、人ではないのだから——。

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