霧に包まれた村で消えた仲間と私の行方
ゴーストビレッジで迷子になった
「あれ?……道、こっちだったっけ?」
夏の終わり、俺――中村悠斗(なかむら ゆうと)は大学のゼミ仲間4人とともに、長野県の山奥にある廃村探索に来ていた。目的は卒論で扱う「日本に残る未解決の怪異地帯」のフィールドワークだった。
案内人の村人が言っていた。「この“雉沢(きじさわ)”って廃村は昔、村全体が行方不明になった事件があるんだ」と。観光地化されず地図にも載っていない村。
「みんな先に行ってるな……」
気づけば俺は、一人だった。山道を少し外れて写真を撮っていたせいか、誰の声も聞こえない。
「おーい! 真理! 雄大! どこだよ!」
応答はない。代わりに、カサ……カサ……という落ち葉を踏む音が背後から微かに響いた。
振り返っても、誰もいない。
「……気のせい、だよな」
しかし、空気が妙だった。湿っていて重く、虫の鳴き声さえ聞こえない。スマホを取り出すと、当然のように圏外。
「とりあえず戻ろう。来た道を……」
その時だった。背後から、低く呻くような声が聞こえた。
「……かえれ……」
「えっ……?」
俺は身をすくめ、声のした方向を振り返る。しかし、誰もいない。ただ、道端に朽ちた鳥居が立っているだけだった。
「こんなの……あったか?」
不審に思いながらも鳥居をくぐったその瞬間、空気がガラリと変わった。突然、霧が立ち込め、視界が白く染まっていく。
「うわ、やばい……」
逃げ出そうとしたが、足元がぬかるみ、転んでしまう。膝をすりむいたが、痛みを感じない。それよりも、鳥居の向こうに見えたものに目を奪われた。
——そこにあったのは、村だった。
朽ちた茅葺き屋根の家々が並び、全ての窓がこちらを見ているかのように感じた。人気はない。
「……本当に廃村……なのか?」
だが、村の中央にある広場には人影があった。白い着物を着た老婆が、井戸の前で何かを唱えていた。
「……すみません!」
声をかけると、老婆はこちらを振り返った。顔はしわだらけで、片目が潰れていた。
「……おまえも、また来たのか……」
「え? あの……迷子になって……友達とはぐれて……」
老婆は首を振り、カラカラと笑った。
「迷子などではない。呼ばれたのだ……ここに」
「呼ばれたって……」
老婆は手にしていた古びた紙を俺に差し出した。そこには、こう書かれていた。
《ようこそ、“雉沢”へ。命は一つ。過去は消えぬ。》
意味が分からない。しかし、気味が悪くなった俺は、逃げ出すように村の外れへと走った。
その途中、何かに足をつかまれた。
「うわっ!!」
地面から手が伸びていた。白く干からびた手が俺の足首を掴んでいた。
「たすけ……て……のこされた……」
声が頭の中に響く。
「やめろっ!!」
全力で足を振りほどき、俺は転げながら村の外れの橋にたどり着いた。しかし、橋は途中で崩れていた。
「なんでだよ……! さっきは……」
ここに来たときは、橋はあった。確かに渡ってきたはずだ。
「時間が……ずれてる?」
その時、川の向こう岸に“真理”の姿を見た。
「真理っ!!おい、こっちに来てくれ!!」
しかし、真理はまっすぐこちらを見ているだけで、動かない。
「……お前は、こっちに来ちゃダメ」
「え……?」
「あたし、もう遅かったの。だから悠斗は、引き返して……」
真理の姿が、ゆっくりと透けていく。そして彼女の背後に、黒い影が立っていた。人の形をしているが、目も口もない。
「あれに……捕まると、戻れないよ……」
俺は叫んだ。「行くな!真理っ!!」
しかしその声も届かず、彼女は完全に消えた。
放心する俺の背後で、再び井戸の音が鳴った。振り向くと、老婆の姿はなく、井戸の中から無数の手が伸びていた。
「帰れぬ者たちが、ここに沈むのだ……」
聞こえるはずのない声が、脳内に響いた。
「俺は……帰る! 絶対に帰る!」
俺は再び村の中心へ戻り、鳥居を探した。しかし、どこを探しても見つからない。道が変わっている。景色がぐるぐると歪んでいく。
「……ははっ、出口なんか、ないんだろ……?」
そのときだった。どこかで聞いた声が響いた。
「悠斗! おい! こっちだ!!」
——雄大の声だ。
声を追って走り続けると、急に霧が晴れ、鳥居の前に出た。鳥居の向こうには、ゼミの仲間たちの姿があった。
「おい、なにしてんだよ!? 30分以上探してたんだぞ!」
「え……? そんなに経ってた……のか?」
「なに言ってんだよ。たった5分くらいだったぞ?」
俺は振り返った。霧は完全に消えており、さっきまでの村もなかった。あるのはただの崖と森。
「……あの村は、なんだったんだ……?」
下山後、俺は村人に「雉沢」のことを再び尋ねた。すると、村人は真っ青な顔になってこう言った。
「雉沢はな、今は地図からも消されてる。あそこに行ったら最後……誰も帰ってこないはずなんだがな」
そして続けた。
「昔、その村の娘が、行方不明になった恋人を探して村中をさまよったんだ。最期に井戸に飛び込んでな……いまでも“誰か”を待ってるそうだよ」
数日後、真理の行方が分からないと警察に届け出たが、証拠も記録も残っておらず、名前すらデータベースから消えていた。
「……そんなバカな……確かに一緒にいたのに……!」
ゼミ仲間たちも、「真理なんて最初からいなかった」と言い出した。俺のスマホの写真にも、彼女だけが写っていない。
あの日、俺と一緒にいたはずの彼女は、もしかすると——
あの村に、最初から“帰れない者”として存在していたのかもしれない。
今でも夜になると、夢の中であの井戸が現れる。真理の声が聞こえる。
「——のこされたの、あたしだけなのよ」
そして、次に行くのは、きっと……俺の番だ。

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