妹の声が響く焼け跡の屋敷で見た真実

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古い屋敷の霊

古い屋敷の霊

東京から電車で数時間離れた山間の村に、ひとつの古びた屋敷がひっそりと建っている。その屋敷は、地元では「死者の家」と呼ばれ、誰も近づこうとはしなかった。

——それでも、僕はそこへ行かざるを得なかった。

「お前、本気で行くつもりか?」
親友の圭介が眉をひそめて言った。

「うん。祖母が遺した日記に、あの屋敷のことが書かれていたんだ。昔、家族が住んでたらしい」

「だからって、わざわざ行くことないだろ。あそこは、昔から『夜になると笑い声が聞こえる』とか『人影が窓に映る』とか噂が絶えないんだぞ」

圭介の言葉に少し不安を感じたが、それでも引き返す気はなかった。

僕の名前は斎藤誠。祖母が亡くなり、遺品整理をしていた際に古い日記帳を見つけたのがきっかけだった。日記には「屋敷で起きた悲劇」について断片的に書かれていたが、詳細は記されていなかった。ただ、「もう一度あの家に戻らなければならない」と繰り返し書かれていたのだ。

——その意味を、確かめたかった。

屋敷に到着したのは午後三時頃だった。蔦に覆われた門をくぐると、そこには時の止まったような空間が広がっていた。

玄関を開けると、埃っぽい匂いとともに冷たい空気が流れてきた。

「……こんにちは、失礼します」
誰もいないのに、思わず声をかけてしまう。床はギシギシと音を立て、壁には家族写真が色褪せたまま掛けられていた。

居間に入ると、そこには丸いちゃぶ台と座布団があり、まるで人がまだ暮らしているような雰囲気だった。

「——お帰りなさい」

突如、背後から女の声が聞こえた。

「っ……誰だ!?」

振り向くと、そこには和服姿の女が立っていた。顔は髪に隠れて見えない。

「おばあちゃん……?」

どこかで見た面影があった。しかし、その女は返事をせず、すっと奥の部屋へと消えていった。

僕は無意識にその後を追った。

奥の部屋には、大きな屏風があり、その裏から誰かのすすり泣く声が聞こえた。

「どうして、あの子を……私の大切な子を……」

声の主は、若い女性のようだった。僕は恐る恐る屏風を回り込んだが、そこには誰もいなかった。

——何かがおかしい。この屋敷には、まだ“何か”が残っている。

夜が近づくにつれ、屋敷の中の空気がどんどん重くなっていくのが分かった。

ガタン——

突然、二階から物音がした。誰もいないはずの屋敷で、確かに足音がしたのだ。

恐怖を押し殺して階段を上がると、廊下の先の部屋がわずかに開いていた。

「……いるんだろ?」

僕が声をかけると、その部屋の中から「クスクス……」と子供の笑い声が聞こえた。

——ドアを開けると、そこには小さな女の子が座っていた。

「お兄ちゃん、遊びに来てくれたの?」

その子は無邪気に笑ったが、目はどこか虚ろで、肌は青白く透けているように見えた。

「君……誰?」

「私は、律子。この家でずっと待ってたの」

律子という名に、僕の記憶が反応した。

——日記の中に、「律子が帰ってこない」と書かれていたのを思い出した。

「君は……僕の……」

「お兄ちゃんは、私のこと、忘れてたの?」

律子の笑顔が一瞬で崩れ、部屋の空気が凍りつく。

「あの日、お兄ちゃんが連れてってくれるって言ったのに……私、取り残されたまま、ずっとここにいたの」

「違う、俺は……そんなこと……覚えてない……」

「うそ。お兄ちゃんは逃げた。屋敷が火事になったとき、私だけ置いていったの」

——火事?

その瞬間、記憶の断片が脳裏に蘇る。

——昔、家族でこの屋敷に住んでいた頃。夜中に火事が起き、皆が逃げ惑う中、僕は妹を置いて先に逃げてしまった……?

「僕は……君を……見捨てたのか……?」

「やっと思い出してくれたんだね」

律子の体がゆっくりと宙に浮かび、周囲の空間が歪み始めた。

「もう、許してあげる。だから、一緒に来て」

——その言葉とともに、屋敷の天井が崩れ落ちた。

気がつくと、僕は屋敷の外で倒れていた。

「……生きてる……のか?」

見上げると、屋敷は音もなく静かに燃えていた。

翌日、地元の役場で調べた結果、この屋敷は三十年前に火災で焼け落ち、住人の少女一人が亡くなっていたことが分かった。

名前は「斎藤律子」。

僕は、あの夜に全てを思い出した。律子は、僕の妹だった。事故のショックで記憶を封じ込めていたのだ。

律子は、ずっと僕が来るのを待っていた。あの屋敷で。

そして、ようやく——

彼女の時間は、止まったまま終わったのだ。

***

数日後、僕はもう一度屋敷の跡地を訪れた。黒く焼け焦げた基礎だけが残っていたが、その中心に、小さな鈴が落ちていた。

「これは……律子がいつも首にかけてた鈴……」

その鈴を拾い上げると、風もないのにどこからか微かな声が聞こえた。

「お兄ちゃん、ありがとう……」

僕は泣いた。胸の奥に張り付いていた罪悪感が、少しずつ溶けていくのを感じた。

律子を忘れていたのではなかった。あまりにも辛くて、心が記憶に鍵をかけていたのだ。

しかし、もう大丈夫だ。彼女の魂は解放され、そして——僕の心もまた、ようやく前に進む準備ができた。

——それでも、夜になると、あの屋敷の跡地には今も微かな笑い声が聞こえるという。

律子が本当に成仏したのか、それともまだどこかで僕を見ているのかは、分からない。

けれど一つだけ確かなのは、この古い屋敷には今もなお、深い悲しみと愛が残っているということだ。

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