封鎖病棟に響く母の叫びと消えた実習生

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病院の幽霊恐怖

病院の幽霊恐怖:封鎖された病棟の叫び

「あの病院、夜になると誰かのうめき声が聞こえるって知ってるか?」
そう言ったのは、看護学生の佐藤美咲だった。

場所は東京郊外にある「東雲総合病院」。古くからある病院で、近年は老朽化のため一部の病棟が封鎖されていた。

その日、美咲は同期の川村直人と一緒に夜勤実習を行っていた。

「美咲、その話、本当なの? 噂じゃなくて?」
「本当だよ。去年の秋にも、夜勤中に封鎖された第七病棟から誰かの足音が聞こえたって看護師長が言ってた」

直人は苦笑いを浮かべながらも、どこか落ち着かない様子だった。

深夜2時、病院の廊下には重たい静寂が漂っていた。ナースステーションで記録を書いていた美咲は、突然「カラン」という音に気づいた。ガラスの破片のような、硬いものが床に落ちたような音。

「聞こえた?」
「……ああ。第七病棟の方からだな」

その病棟はすでに使用されておらず、扉には封鎖のテープが貼られていた。だが、音は確かにその先から聞こえた。

「ちょっと見てくる」
美咲が立ち上がると、直人は慌てて彼女の腕を掴んだ。

「やめろって。勝手に立ち入ったら、指導医に怒られるぞ」
「でも、誰か入ってたら危ないじゃん。酔っ払いとか、侵入者とか……」

直人はしぶしぶながらも懐中電灯を手に取り、美咲と共に第七病棟の前まで歩いた。

扉には確かに「立入禁止」の札が掛かっている。だが、よく見るとテープは一部剥がれていた。

「開いてる……」

美咲がそっと扉を開けると、冷たい空気が流れ出た。まるで中から誰かがため息をついたかのように。

二人は静かに中に入った。廊下は真っ暗で、長年使われていないことがひと目でわかる埃と剥がれた壁紙が不気味だった。

「……おい、美咲。何か聞こえないか?」

直人の言葉に耳を澄ますと、遠くの病室から女のすすり泣く声が聞こえた。

「うう……かえして……かえして……」

声は次第に大きく、近くなる。

「帰して? 何を……」

二人は声のする方向へ歩いた。やがて、302号室の前で足が止まる。

「ここだ……」

ドアを開けると、部屋には誰もいない。だが、病室のベッドには布団が乱れた跡があり、誰かが最近まで寝ていたように見えた。

「おかしい……こんなところに人がいるわけ……」

美咲が言いかけた瞬間、ドアが「バンッ!」と激しく閉まった。

「何だ!?」

直人がドアを開けようとするが、開かない。

「閉じ込められた……」

そのとき、窓の外に、女が立っていた。長い黒髪、病衣を着たその姿は、肌が青白く、目だけが異様に黒い。

「かえして……あの子を……」

女は窓を叩きながら叫んだ。美咲が息を呑むと、突然彼女の脳裏に映像が流れ込んできた。

──数年前、同じ302号室で母親と娘が入院していた。娘は病弱で、母親は昼夜を問わず付き添っていたが、ある夜娘が容体を急変し亡くなった。母親はその事実を受け入れられず、翌朝首を吊って亡くなったという。

「まさか……この人がその……」

女の顔が窓に張り付き、「かえして! 娘を返してぇええええええ!!」と絶叫した。窓がバリバリと割れ始め、部屋に冷風が吹き込んだ。

「逃げるよ、直人!」

その瞬間、ドアが自然に開いた。二人は廊下へ飛び出し、後ろも振り返らずにナースステーションまで戻った。

息を切らしながらソファに倒れ込む二人の前に、病院の管理者である神田医師が現れた。

「……第七病棟に行ったのか」
「はい、でも……あの……窓に女が……」

神田は重くうなずき、語り始めた。

「その病棟では……娘を亡くした母親の霊が今もさまよっている。誰かを娘と間違え、連れて行こうとする。今までにも……実習生がひとり、突然退学したことがあった。理由は……誰にも言わずに……」

美咲と直人は顔を見合わせ、言葉を失った。

「だが君たちは運が良かった。母親の霊は、“思い出”に取り憑かれている。娘と似ていない者には興味を示さない。だが、君……」

神田は美咲をまっすぐに見た。

「……君の後ろ姿が、あの子にそっくりなんだ」

美咲の背筋が凍りついた。

その日以降、美咲は第七病棟の近くに近づかなくなった。だが、夜勤のたびに背中に誰かの視線を感じるという。

──そして一ヶ月後、美咲は突然実習を辞めた。理由を誰にも語らず、連絡もつかない。

数週間後、直人の元に一通の封筒が届いた。差出人は不明、だが中には写真が一枚入っていた。

それは病院の監視カメラの映像らしく、第七病棟の廊下に佇む美咲が写っていた。彼女の背後には、顔が崩れた女性の姿──あの幽霊が、まるで娘に寄り添う母のように、ぴったりとついていた。

直人は震えながら写真を破り捨てたが、その夜、彼の夢に美咲が現れた。

「かえして……」
そう呟く美咲の顔は、すでに“彼女”と同じ青白い皮膚と黒い瞳に変わっていた。

直人は翌朝、病院を辞めた。彼は今もどこか遠くの町で、病院には二度と近づかないと誓って生きている。

東雲総合病院の第七病棟は今も封鎖されたままだ。しかし、深夜になると302号室から誰かがすすり泣く声が聞こえる。

それは娘を失った母の叫びか、それとも母を求め続ける“もうひとりの娘”の声か──。

真実を知る者は、もうこの世にいない。

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