血塗られた浮世絵に潜む呪いの微笑み
浮世絵の呪い──血塗られた微笑みの真相
「それは絶対に持ち帰ってはいけないよ」
古美術商の老人がそう警告したにもかかわらず、大学生の篠原隼人(しのはらはやと)は微笑を浮かべながら答えた。
「大丈夫ですよ。これは卒論の資料なんで。ちゃんと扱います」
そう言って、彼は埃をかぶった木箱に収められた一枚の浮世絵を手にした。
その浮世絵は、どこか歪んだ女の顔が描かれていた。目が異様に大きく、口元には不自然な笑み。背景には火の手が上がる江戸の街並み。そして女の背後には、ぼんやりとした無数の影。
「この浮世絵を描いた絵師、名前も記録に残ってないんですよ」
「名前が消されたんだ。呪われたからな」
老人はそう呟き、棚の奥に目をそらした。
その夜、隼人は浮世絵を自宅のアパートに持ち帰り、机の上に置いた。
「さあ、君の正体を探らせてもらうよ」
電気を消し、布団に入ると、不思議な静寂が部屋に満ちた。
──パチン。
──カリカリカリ…。
「ネズミか?」
起き上がって電気をつけると、浮世絵が床に落ちていた。しかも、絵の女の顔が、こっちを見ている気がする。
次の日、大学の図書館で隼人は古文書を漁った。
ある書物にその女と酷似した話が載っていた。
「江戸末期、遊女“お滝”。火事で焼けた吉原の楼主を呪い、死してなお笑ったままの姿で発見された」
その夜、部屋に焦げた匂いが充満した。
机の上の浮世絵は黒ずみ、紙の端が焼けていた。
──ゴトッ。
──カラカラ…。
「……もどして……」
誰かの囁きが、壁の中から聞こえた。
女の顔は、日に日に歪み、笑みが広がっていた。
ある日、隼人は夢で、江戸の火災の光景を見た。
炎の中で女が立ち、焦げた肌でこちらを見ている。
「返して…わたしの…怨みを…」
彼は精神的に追い詰められ、研究室でも様子がおかしくなっていく。
「お前、最近眠れてるか?」
友人の佐藤が心配するが、隼人はうつろな目で答えた。
「あの絵の中に、俺がいる気がするんだ…」
浮世絵を見るたび、そこに自分の姿が映っているような錯覚。いや、それは錯覚ではなく、日に日に絵の端に誰かの影が増えている。
恐怖に駆られた隼人は、再び古美術商を訪れた。
「この絵、捨てたいんです。もう限界です…」
老人はため息をつきながら答えた。
「あんたがそれを家に入れた時点で、もう呪いは根を張った。絵を手放しても、あの女はついてくるよ」
その瞬間、店の奥から強い風が吹き抜け、棚の掛け軸が倒れた。
「戻れ……戻せ……」
壁の鏡に映る自分の背後に、女の影が笑っていた。
翌朝、隼人は京都の古寺を訪れ、住職に絵を見せた。
住職は目を細め、厳かに言った。
「これは“写し取られた霊”。肉体は焼けても、絵に魂が封じられたのだ」
「焼いたら終わるんですか?」
「否、焼くことで封じ込める。ただし、儀式が必要じゃ」
山奥の寺で夜、塩と酒を用意し、浮世絵を焚火にくべた。
すると女の悲鳴が闇に響いた。
「ああああああっ!」
赤黒い煙が立ちのぼり、絵は灰になった。
だが、それで終わりではなかった。
一週間後、大学の研究室に封筒が届く。差出人不明。
中には、あの女の浮世絵。そして、明らかに“篠原隼人”と書かれた名前が描かれていた。
しかも、彼の姿は、女の隣で微笑んでいた──。
翌日、隼人は行方不明となった。部屋には人の気配も、争った跡もない。ただ、机の上に置かれていたのは、一枚の新しい浮世絵。
その絵には、炎に包まれる楼閣の中、笑いながら佇む男女の姿があった。
一人は女、そしてもう一人は──確かに、隼人だった。
彼の姿は、完全に絵の中に取り込まれていたのだ。
数年後、その浮世絵は再び骨董市に現れた。
古美術品を収集する若い女性が興味を持ち、手に取った。
「不思議な雰囲気…これ、いくらですか?」
老人は、かすかに口角を上げて答えた。
「それはね、お代は要らない。ただし、持ち帰ったら最後ですよ」
──そうして、新たな“所有者”が現れた瞬間、浮世絵の中の女がまた微かに笑った。今度は、その隣に、もう一人──髪を結った青年が、ゆっくりと微笑を浮かべていた。

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