封印された時刻が呼び起こす怨霊の記憶
壊れた時計の呪い
東京都西部の静かな町にある古びた骨董品店「時の蔵」。その店には一つだけ売られていない時計がある。黒く煤けた振り子時計で、いつ見ても針が午前2時16分で止まっていた。
「これは売り物じゃありません」
と、店主の老人は必ずそう言う。その理由を尋ねても、笑ってごまかすだけだった。
ある日、大学生の由佳(ゆか)は民俗学の卒業論文のため、この店を訪れた。
「すみません、壊れた時計についてお話を聞けますか?」
由佳がそう尋ねると、店主の目が一瞬だけ鋭く光った。
「…あの時計は、呪われてるんだ」
由佳は思わず笑ってしまった。「えっ、呪いですか?都市伝説みたいですね」
「そう思うかもしれないが、本当の話だよ」
老人は語り始めた。戦後間もない昭和30年代、この町で一家心中事件があった。父親が妻と子供を斧で殺し、自らも首を吊ったという。現場にはその時計があり、ちょうど2時16分に止まっていたのだという。
「それ以来、その時計を手にした人々は、同じ時刻に異変を経験する。夢の中で何者かに追われ、現実でも奇怪な出来事が起きる」
由佳は半信半疑ながらも、強い興味を抱いた。そして禁を破り、こっそりその時計の写真を撮ってしまった。
その夜——
「カチッ……カチッ……」
と、部屋のどこかから音がする。目を開けると、目覚まし時計が壊れていた。
「え、なんで?」
由佳は時計を手に取った。針は、2時16分を指していた。
その瞬間、背後から冷たい風が吹きつけ、部屋の温度が急激に下がった。電気が一瞬チカつき、窓の外には——人影が立っていた。
「……誰?」
恐る恐る窓を開けて外を見ると、そこには誰もいなかった。しかし、ガラスには手の跡が残っていた。
翌日、由佳は大学で親友の直子にこの出来事を話した。
「それって、本当に呪いなんじゃない? 写真消したほうがいいよ」
「うん……でも、それだけじゃない気がする。あの時計、何か呼んでる感じがするの」
その夜、由佳は再び悪夢を見た。血だらけの部屋、鳴り止まない時計の音、そして一人の少女の姿。
「返して……」
少女はそう囁いた。
目が覚めると、枕元にスマホが落ちていた。画面には、由佳が撮った時計の写真が勝手に拡大されていた。
動悸が収まらず、由佳は骨董品店へと急いだ。
「お願いです、写真を撮ったせいで何かが……!」
店主はため息をついた。「だから言っただろう。あれは呪われていると」
「どうすればいいんですか?このままじゃ……」
老人は一冊の古びたノートを取り出した。それは呪われた時計にまつわる記録だった。
「同じ夢を見た者は皆、三日以内に姿を消した。共通するのは、全員が“返して”という声を聞いていたこと」
「返すって……何を?」
老人は震える声で言った。「命、だよ。彼女は命を返してほしいんだ。自分と一緒に死ねなかった兄の命を」
そう、心中事件で生き残った長男がいたのだ。彼は精神を病み、何年も行方不明だった。
「由佳さん、あなたの家系、どこかでこの事件と関係があるんじゃないか?」
「……うちの祖父がこの町出身です。名前は……榊原一郎」
店主の表情が凍った。「それだ……彼が長男だ」
衝撃の事実に由佳は膝から崩れ落ちた。自分は呪われた家系の末裔だったのだ。
その夜、由佳は再び夢を見る。時計が鳴る音、2時16分に止まる針、そして少女の姿。
「あなた……兄の娘なの?」
「そうかもしれない」
「じゃあ……代わりに、来て……」
由佳は首を横に振った。「あなたの苦しみはわかる。でも、私は生きたい。あなたの魂を解放する方法はないの?」
少女はしばらく黙っていたが、やがて一言呟いた。
「時計を……壊して」
目を覚ました由佳は、すぐに骨董品店へ向かい、店主にすべてを話した。
「あの時計を壊せば、呪いは終わるかもしれない……」
店主は渋々承諾し、店の奥から時計を運び出した。由佳は金槌を手にし、振り子時計のガラスを砕いた。
ガチャン!
その瞬間、店内の電気がすべて消え、耳鳴りが鳴り響いた。時計の内部からは黒い影が立ち上がり、しばらく空中に浮かんでいたが、やがて静かに霧のように消えていった。
——だが、すべてが終わったわけではなかった。
翌週、由佳の周囲で異変が起こり始めた。ゼミの友人が交通事故に遭い、教授が急病で倒れ、大学の図書室では不可解な火災が発生した。
「由佳、最近おかしいよ……まるで何かに取り憑かれてるみたい」
直子の言葉に、由佳は心当たりがあった。「時計は壊した。でも、魂は……解放されてないのかも」
由佳は再び夢を見る。今度は少女ではなく、大人の女が現れた。青白い顔、髪を濡らしたままの姿、目には怒りが宿っていた。
「あの子は、ただの導き手……私は母。時計の呪いの根は、もっと深いところにあるのよ」
目を覚ました由佳は震えていた。
「まだ終わってない……」
骨董品店に戻ると、店主の姿はなかった。店内はもぬけの殻で、壁には血のような赤い文字が書かれていた。
「命を返せ」
その瞬間、由佳のスマホに一枚の画像が送られてきた。送り主不明。画像には、自分の部屋が写っていた。——そこには、あの壊したはずの時計があった。
針は……2時16分を指していた。
恐怖に駆られながら、由佳は部屋へ急いだ。ドアを開けた瞬間、冷たい空気が吹き抜け、電灯がすべて消えた。闇の中で、誰かの囁き声が聞こえる。
「次は……あなたの番よ」
その夜を最後に、由佳の姿は消えた。
彼女の部屋には、誰も触っていないはずの時計が静かに佇んでいた。
午前2時16分。時は、止まり続けていた。

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