赤い目の男と少女の絵に閉じ込められた魂
子供の描いた絵
「お母さん、この絵どうかな?」
夕方の光が差し込む居間で、幼い少女・美咲は一枚の紙を母・朋子に差し出した。
紙には、黒いクレヨンで描かれた人影と、血のように赤く塗られた背景が広がっていた。
「あら……ちょっと怖い絵ね、美咲。これは誰を描いたの?」
朋子は笑いながら聞いたが、どこか胸騒ぎを覚えた。
「あのね、夜のおじさんを描いたの」
「夜のおじさん?」
「うん。いつも寝る前に窓の外から見てるの。にこにこしてて、赤い目をしてるの」
その言葉を聞いた瞬間、朋子の背筋に冷たいものが走った。
夫を亡くしてから数ヶ月、美咲は精神的なストレスで空想の友達を作っているのだと思っていた。しかしその「夜のおじさん」という存在に、妙な現実味があった。
その夜、朋子はふと目を覚ました。
時計を見ると、午前2時。
隣の部屋の美咲の様子が気になり、そっと襖を開けると、少女は布団の上に座り、何かを見つめていた。
「美咲……どうしたの?」
「シー……夜のおじさん、来てるよ」
そう言って指差した先は、カーテンの隙間から見える暗闇。朋子がそっと窓に近づくと、確かにそこに――
人の顔があった。
真っ赤な目と、裂けたように大きな口。
ぞっとするような笑みを浮かべたその「何か」は、朋子と目が合うと、すっと消えた。
次の日、美咲は学校で絵を描く課題があった。
担任の佐々木先生は、彼女の絵を見て顔をしかめた。
「……美咲ちゃん、これは……」
その絵には、昨日朋子が見た“赤い目の男”が精緻に描かれていた。背後には何人もの子供たちが影のように並んでいる。
「この人ね、他の子の夢にも出るんだって」
「どういうこと?」
「昨日、夢の中でね、赤い目のおじさんが“仲間が増えた”って言ってたの」
佐々木先生は背筋を凍らせながらも、深くは追及しなかった。
その週末、町で不審な事件が起きた。
近隣の小学生が一人、家の前から忽然と姿を消した。
防犯カメラには何も映っておらず、まるで空気のように消えたのだという。
そのニュースを見た美咲は、テレビの前でぽつりと呟いた。
「……あの子、絵が上手だったから、夜のおじさんが気に入ったのかも」
朋子は、美咲のスケッチブックを開いて見た。
そこには、消えた子供の顔が、まるで生き写しのように描かれていた。
そして、その横にはまた「赤い目の男」。
朋子は恐怖を抑えながら、美咲に問いかけた。
「ねぇ……この“夜のおじさん”って、誰なの? いつから見えるの?」
「お父さんが死んだ夜からずっと。最初は窓の外にいるだけだったけど、最近は部屋の中まで入ってくるの」
「……何をするの?」
「耳元で絵を描けって言うの。上手に描けると、連れていかなくて済むんだって」
その日から、朋子は美咲の絵を全て処分した。
スケッチブックもクレヨンも、全てゴミ袋に入れ、神社でお祓いをしてもらった。
だが、その夜――
美咲は消えた。
窓は閉まっており、鍵もかかっていた。布団は温かく、ついさっきまでそこにいた形跡が残っていた。
警察も近隣をくまなく調べたが、手がかり一つ見つからなかった。
朋子は放心状態の中、美咲の部屋に残された一枚の紙を見つけた。
そこには、黒と赤で描かれた“男”と、手を繋いで微笑む美咲が描かれていた。
そして、その隅にはこう書かれていた――
「お母さん、ごめんね。これが最後の絵だよ。」
その後も、町では数人の子供が同様に姿を消し、奇妙な絵が遺されるという事件が相次いだ。
いずれの絵にも、“赤い目の男”が描かれていた。
その絵には、共通する点があった。
すべての絵には、ある記号のようなもの――赤い三角と、その下に三本の線が描かれていた。
そのマークは、古代呪術に使われた「召喚の印」に酷似していた。
ある日、朋子のもとに、一人の老女が訪ねてきた。
「……あなたのお子さん、美咲ちゃんのこと、新聞で見ました」
彼女は近くの山寺で修行を積んだ霊能者・花村と名乗った。
「“赤い目の男”……それは昔からこの地域に伝わる妖(あやかし)です。名前は“描霊(えがきりょう)”。絵を通じて現れ、絵に命を閉じ込める存在」
「そんな……じゃあ美咲は……絵の中に?」
老女はうなずいた。
「描霊は子供の感性を好みます。特に、喪失や孤独を抱えた子供に近づきます。おそらく、ご主人が亡くなった夜、美咲ちゃんはその隙を突かれたのです」
朋子は泣きながら懇願した。
「どうすれば美咲を助けられるの? 絵の中から出す方法はあるの?」
「あります。ただし、危険です。描霊の絵の世界に“入る”儀式を行い、子供の魂を見つけなければなりません」
翌日、老女とともに、朋子は神社の奥の祭壇に導かれた。
そこに美咲が最後に描いた絵が置かれ、蝋燭が周囲を照らす。
老女が唱えた呪文とともに、朋子の意識はふっと暗転した。
――目を覚ますと、そこはまるで紙の世界。
空も地面も全て、クレヨンのような質感で描かれていた。
「お母さん……?」
声の方を向くと、美咲が立っていた。
だが、その表情はどこかうつろで、口元には血のような赤い線が走っていた。
「ここは“夜のおじさん”の絵の中。わたし、ここでいっぱい描かされたの」
「大丈夫、美咲、すぐに帰ろう」
だがその瞬間、背後からずるずると音が響き、“赤い目の男”が現れた。
「連れて帰るのかい? まだ描き足りないんだよ」
朋子は絵筆を掴み、自ら“出口”を紙の壁に描いた。
老女から「想像と意志が絵の世界を変える」と言われていたのを思い出し、全身の力を込めた。
その瞬間、光が差し、美咲の手を引いてその出口に飛び込んだ。
――目を覚ますと、神社の祭壇に倒れていた。
隣には、美咲が涙を流しながら立っていた。
それ以降、美咲は二度と絵を描こうとしなかった。
赤いクレヨンを見るだけで震えるようになった。
だが、最後に残された一枚の絵にはこう書かれていた。
「あの人、まだ見てる。窓の外で、にこにこしてるよ」
――あなたの子供が、見知らぬ人を描き始めたとき。
それは、誰かが“外”から覗いている合図かもしれない。

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