誰もいない廊下に響く夜の足音の謎

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古い家の音

古い家の音

「おばあちゃんの家って、こんなに古かったっけ?」
春菜は靴を脱ぎながら、廊下に響くきしむ音に眉をひそめた。

「築百年以上だもんね。仕方ないよ」
隣で荷物を運ぶ姉の真紀が肩をすくめる。

久しぶりに訪れた祖母の家は、田舎の山間にひっそりと建っていた。周囲には他に家もなく、風の音と鳥の鳴き声しか聞こえない。

「でも、なんか変じゃない?誰もいないのに…家の中、誰かいる気がする」
春菜は壁を見つめながら言った。確かに、玄関を開けた瞬間から、家の奥で何かが動いたような気配がした。

「気のせいだよ。人が長く住んでないと、家が鳴るだけって聞いたことある」
そうは言うものの、真紀も少し不安げだった。

祖母は半年前に亡くなった。この家を売る前に、遺品整理のために二人はここを訪れていたのだ。

昼間は、埃っぽい部屋を掃除し、アルバムや着物、家具などを段ボールに詰めて過ごした。問題は夜だった。

「ねぇ、さっき…2階から足音聞こえなかった?」
布団の中で春菜が声を潜めて聞く。

「うん…私も聞こえた。でも、誰もいないよね?」
2階には上がっていないし、扉はすべて閉まっていた。

「確認しに行く?」
「行かないでよ…やめよう。朝まで我慢しよう」

しかし、音は続いた。
きぃ…きぃ…と、古い床板を踏むような音。
それが、彼女たちの真上をゆっくりと歩き回っている。

「誰かいるよ、絶対…!」
春菜は震えながら布団に潜り込んだ。真紀も声を出せず、ただ息を殺す。

やがて、音が止んだ。
だが、それと同時に、ふいに階段の軋む音が始まった。

ぎぃ…ぎぃ…

「降りてきてる…!」

声を出すこともできないほどの恐怖が二人を襲った。
音は一段ずつ、確実に近づいてきていた。
そして…玄関の前で止まる。

「……誰?」

春菜が小さな声で呟くと、襖の向こうで何かがカタリと動いた。まるで、誰かがそこに立っているように。

しん…とした静寂の中、不意に
「……ひらけ」
と、女のかすれた声が聞こえた。

「聞こえた…?今の…!」
「うん…なんで“ひらけ”って…」

その瞬間、襖がガラッと開いた。だが、そこには誰もいなかった。

「いや…いや、帰ろう、もう無理…!」
二人は荷物も持たず、パジャマのまま外へ飛び出した。

外の空気は冷たく、星空が広がっていた。しかし、家の中からはまだ…音が聞こえていた。

かつ、かつ、かつ…足音は、家の中を歩き続けている。

「……あの家、おばあちゃんだけじゃなかったんだよ、きっと」
春菜の声が震える。

「思い出した…昔、おばあちゃんが言ってた。“この家には、音が住んでいる”って」
「音が…住んでる…?」

「夜になると、誰かが歩いてる。でも見ちゃだめ、見たら…連れていかれるって」

真紀は黙ったまま、暗い家を見つめていた。

翌朝、近くの寺の住職に事情を話すと、彼は神妙な顔で頷いた。

「この家は、江戸時代の旧家でな。火事で一家全員が亡くなったんじゃ。その後に建て直されたが…魂は残ったままなんじゃよ」

「じゃあ、昨夜の音って…」
「あれは、この家に染みついた“記憶”の音じゃ。誰かが来ると、それを繰り返す。見てしまえば…巻き込まれる」

「おばあちゃん、知ってたのに住んでたの?」
「あの方は強いお心をお持ちだった。だから、家の音とも共存できた。だが、今は違う。もう止められる者はいない」

家は売られることも解体されることもなかった。誰も手をつけず、そのまま森の中に沈んでいった。

それから数週間後、春菜のもとに一通の封筒が届いた。差出人不明、消印のないそれを開けると、中には古びた写真が一枚だけ入っていた。

そこには…二階の窓からこちらを見つめる、着物姿の女が写っていた。

春菜はその日から、夜になると、必ずあの音を思い出す。きぃ…きぃ…どこからともなく、誰かが歩いてくるような音。それは、彼女の部屋の前で…止まる。

それから数日、春菜は眠れない夜を過ごしていた。
真夜中、部屋の壁が鳴る。天井がきしむ。
「……ここにも来たの?」
春菜は布団の中で震えながら囁いた。

すると突然、部屋のドアノブがゆっくりと回る音が聞こえた。
カチャ…

彼女は叫びたいのに声が出なかった。
ドアは開かない。だが、その向こうに“誰か”が立っている気配がする。

――ひらけ――

耳元でささやかれた声に、彼女は反射的にドアへ駆け寄った。
だが、手を伸ばす寸前、背後から誰かに腕をつかまれた。

「だめっ!」

そこにいたのは…亡き祖母の姿だった。
「見てはだめ。家の音は記憶と一緒に動いてる。開けたら、あなたも記憶に閉じ込められる」

祖母はそう言うと、春菜の額に手を当てた。
次の瞬間、彼女は眠るように意識を失った。

朝、春菜は床の上で目を覚ました。ドアはしっかり閉まっており、誰の気配もなかった。

夢…だったのだろうか?
しかし、布団の脇には見慣れない草履の跡が残っていた。
そして、その上には…祖母が生前よく使っていた数珠が静かに置かれていた。

その日、春菜はもう一度祖母の家へ向かった。
誰にも告げず、ひとりで。

家は以前と変わらぬまま、山中にひっそりと建っていた。
彼女はふすまを開け、静かに語りかけた。

「おばあちゃん、私は怖くない。あの“音”の正体を…知りたいの」

すると、どこからともなく風が吹き、ふすまがひとりでに閉まった。
その後、きぃ…きぃ…という音が、再び家の中に響き渡った。

そして春菜は、家の奥へと、音の記憶の中へと、ゆっくり足を踏み入れていった。

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