血塗られた着物が織りなす呪われた夜の恐怖
血染めの着物
八坂町の外れにある古びた屋敷は、地元の住民から「赤衣の館」と呼ばれていた。理由は簡単だ。夜な夜な、血で染まった赤い着物を着た女の幽霊が現れるという噂が絶えなかったからだ。
私は東京から大学の研究でこの町に訪れていた。民俗学を専攻する私は、地域の怪談や風習に興味を持っており、八坂町の「血染めの着物」の話に強く惹かれた。
ある晩、地元の古老である木下さんに会いに行った。
「あの館には近づかん方がええぞ、坊や。命を取られるぞ」
「でも、なぜ着物が血で染まっているんですか?」
木下さんはタバコに火をつけ、しばらく黙ったまま遠くを見つめていた。
「戦前、あの家には山岡家っていう豪農が住んどった。ある日、嫁入りした娘が、婚礼の夜に殺されたんや。犯人は……夫やったという話や。理由もようわからん。嫉妬か、呪いやったんか……。その娘が着ていたのが、あの赤い着物や」
私は鳥肌が立った。
「殺された娘の霊が、今もその着物を着て館をさまよってるってことですか?」
木下さんは頷いた。
「そうや。しかも、着物はな……血で真っ赤に染まってな……見る者の魂を引きずり込むらしい。いまだに戻ってこない奴もいる」
私は迷った。だが好奇心が勝った。その晩、私は懐中電灯を手に「赤衣の館」へと向かった。
屋敷は想像以上に荒れ果てていた。柱は朽ち、障子は破れ、あちこちにクモの巣が張っている。廊下を歩くたびに、床板がギシギシと音を立てた。
「……誰かいますか?」
返事はない。だが、ふと奥の部屋から微かな鼻歌が聞こえてきた。女の声だ。
私は恐る恐る襖を開けた。
――そこにいた。
月明かりに照らされるように、座敷の中央に一人の女が立っていた。背を向けているが、長い黒髪、そして……全身を包むような深紅の着物。
「……すみません」
声をかけると、女はゆっくりとこちらを振り向いた。
その顔は……顔ではなかった。
眼窩は真っ黒にくぼみ、口は耳まで裂け、そこから血が滴り落ちていた。
「返して……私の命を返して……」
叫び声と共に、女が突進してきた。私は叫びながら屋敷を飛び出した。足をもつれさせ、何度も転びながらも、どうにか町まで戻った。
だが、それで終わりではなかった。
翌朝、目を覚ますと、私の枕元には……あの赤い着物が置かれていたのだ。
「う、嘘だろ……」
触れた瞬間、頭の中に声が響いた。
「返して……返して……」
私は着物を手に再びあの屋敷に向かった。もう一度戻さなければ、何かが壊れてしまう、そんな直感があった。
屋敷に着いたとき、女はすでに待っていた。
「返しに来たのね……ありがとう……でも、あなた……」
「な、なんだ……?」
「もう……私と同じ……」
その瞬間、足元から黒い影が這い上がり、私の身体を包んだ。
――目を覚ましたとき、私は屋敷の座敷にいた。血で濡れた着物を身にまとい、座ったまま動けなかった。
「うそだ……俺は……俺は……」
ふと視界の端に、小さな鏡があった。映っていたのは……私の顔ではなかった。裂けた口、虚ろな目。
私は……あの女に、なっていた。
それからというもの、八坂町ではまた新たな噂が始まった。赤い着物の女は、前よりも活発に現れるようになったという。
「あれ、前の幽霊と顔が違わなかったか?」
「そうそう、なんか……男の顔にも見えたんだよ」
血染めの着物は、次の犠牲者を探し続けている。
そして今夜もまた――
誰かの後ろで、ひたり……ひたり……と、足音が近づいてくる。
―――
数日後、私は地元の図書館で更に調査を始めた。山岡家の過去について、新聞記事や古文書を読み漁った。
「山岡家の娘は、ただの嫉妬ではなく、もっと深い怨念に巻き込まれていたらしい」
司書の村田さんが低い声で教えてくれた。
「当時、山岡家には代々伝わる秘密があったそうです。娘は、その秘密を知ってしまい、それが原因で命を奪われたとか……」
「秘密って……何ですか?」
「それは『血の契り』と呼ばれる呪いの儀式のことです。家族の絆を超えて、血で結ばれた魂を永遠に繋げる呪い……その呪いに逆らう者は、血の犠牲になると言われているそうです」
私は震えた。
「つまり、あの着物はその呪いの象徴であり、呪い自体が具現化したもの……」
「そう。だから、着物を手放せば呪いは強くなる。着物を持つ者は呪いの一部となり、魂が引き込まれてしまう……」
その時、図書館の外から突然風が吹き荒れ、窓が激しく震えた。私は急いで荷物をまとめ、外へ出た。
その夜、再び赤い着物の女が夢に現れた。
「助けて……私を解放して……」
声は切実で、怨念だけでなく哀しみも帯びていた。
私は決意した。この呪いを解く方法を見つけるために。
次の日、八坂町の寺を訪ね、住職に話を聞いた。
「血の呪いは強力ですが、浄化の儀式も存在します。ですが、それには呪いの起源である場所で行わねばなりません」
「それはどこですか?」
「山岡家の屋敷の地下、封印された部屋にあります。そこに供物と経文を捧げ、魂を鎮めるのです」
恐怖と覚悟を胸に、私は夜、再び赤衣の館へと向かった。
地下室の扉は重く、錆びついていた。懐中電灯の光で内部を照らすと、古びた祭壇と血の染みた着物の破片が散乱していた。
住職の教えに従い、経文を唱え始めると、空気が急に冷たくなり、館全体が呻くような音を立てた。
突然、あの女の姿が浮かび上がった。
「ありがとう……」
涙を流しながら、赤い着物の女はゆっくりと消えていった。
翌朝、私は疲れ果てていたが、屋敷の重い空気が少し和らいでいることに気づいた。
その後、八坂町の人々は、赤衣の館に近づかなくなった。しかし、私は知っている。呪いは完全に消えたわけではないことを。
「血染めの着物」は新たな持ち主を探し続けている。私の身に起きたことは、その呪いのほんの始まりに過ぎなかったのだと……。

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