立入禁止の扉を越えた先の終わらない地下通路
地下街の迷宮
「ねえ、知ってる?池袋の地下街には、誰も知らない“もう一つの通路”があるんだって」
会社帰りに立ち寄った居酒屋で、同僚の吉岡が酔った勢いで話し始めた。
「それって都市伝説でしょ?迷子になった人が戻ってこないとかいうやつ」
俺、杉山亮介は笑って受け流した。だが、吉岡は真剣な表情で続けた。
「違うんだよ。俺の友達の妹が実際に入って、戻ってこなかったんだ。
地下街の奥に、“立入禁止”の扉があってさ。その先に行くと、時計が止まり、出口が見つからなくなるって……」
酒のせいか、その話が妙に頭に残った。
そして数日後、俺はなぜか、その地下街に足を運んでいた。
休日の池袋駅。買い物客や観光客でごった返す通路の奥、
吉岡が言っていた“立入禁止”の貼り紙を見つけた。
金属製の古びたドアは、錆びついていたが、鍵はかかっていない。
好奇心に負けた俺は、そっと扉を開けた。
ぎい……
中は薄暗く、古い蛍光灯が点滅していた。コンクリートの通路がどこまでも続いている。
一歩、また一歩と足を踏み入れると、背後の扉が静かに閉まった。
振り返ると――そこには扉がなかった。
「え……?」
俺はたしかにここから入ったはずだ。だが、壁には何もなく、ただのコンクリート。
焦りながらも前に進むしかなかった。
数分歩いた頃、突然、照明が全て消えた。
真っ暗な中、携帯のライトを頼りに歩く。
すると、床に何かが落ちていた。
白いリボン――それは、吉岡が見せてくれた友達の妹の写真でつけていたものと同じだった。
「まさか、本当にここに……」
ぞっとしながらも進むと、通路は急に広がり、奇妙な空間に出た。
迷路のような分かれ道。壁には赤い文字でこう書かれていた。
「帰り道を選ぶな。進め」
俺はとにかく出口を探そうと、一番右の通路を進んだ。
しかし、いくら歩いても同じような景色が続く。
壁の落書き、床のひび割れ、そして次第に強くなる異臭。
やがて、耳元で声が聞こえた。
「……もどれ……」
「誰だ!?」
振り向いても誰もいない。だが、確かに声は聞こえた。
「……まちがえた……道を……」
その声は、かすれた女性の声だった。
俺は震える足で、別の通路に向かった。
進んでも進んでも、道はねじれ、今自分が上にいるのか下にいるのかもわからない。
そして突然、目の前に人影が現れた。
白いワンピースの少女が、背を向けて立っていた。
「……助けて……」
少女が振り返る。だがその顔は、目も鼻も口もなく、真っ白なのっぺらぼうだった。
「ひっ……!」
俺は反射的に背を向けて逃げた。だが、どこに逃げても同じ景色、同じ通路。
振り向くと、少女はどこにもいなかった。
そのとき、足元に小さな手鏡が落ちているのを見つけた。裏には「美紀」と名前が彫られていた。
吉岡の友達の妹の名前だ。
その瞬間、頭の中に誰かの記憶が流れ込んできた。
――暗闇、泣き叫ぶ声、出口を求めて彷徨う少女。
誰かに腕を掴まれ、無理やり“奥”へと引きずられる映像――
「やめろおおおおおっ!!!」
俺は手鏡を壁に叩きつけた。鏡が砕けた瞬間、空間が揺れ、通路が崩れ始めた。
ひび割れる床を駆け抜けると、前方にうっすらと光が見えた。出口だ!
全力で走り抜けると、次の瞬間、俺は駅構内のベンチに倒れ込んでいた。
時計は、地下街に入ったときから一分も進んでいなかった。
ポケットには、砕けた手鏡の破片が残っていた。そこには、涙を浮かべて微笑む少女の顔が映っていた。
――それから一ヶ月後。吉岡と再び飲みに行ったとき、俺はすべてを話した。
吉岡は静かに頷いた後、机の下から古びた新聞の切り抜きを取り出した。
「これ、見ろよ。20年前に失踪した子供たちの記録だ。場所は池袋地下街」
記事には、複数の子供が“突然消えた”と書かれていた。そして全員、地下街で最後に目撃されていた。
「……じゃあ、あの少女たちも……」
「そう。未だに発見されていない。警察は事件性なしって処理したけどな」
俺は震えながら言った。
「あの通路は、今もある」
吉岡はしばらく黙っていたが、低い声で言った。
「亮介、お前だけじゃないんだ。あそこに入ったやつ、たまにいる。でも、無事に戻って来るやつは……」
言葉の続きを聞くことなく、俺は身を震わせた。
その夜、夢にまたあの少女が現れた。今度は声がはっきり聞こえた。
「ありがとう……」
涙を流しながら微笑む彼女は、ふっと光の中へ消えていった。
朝、目を覚ますと、枕元に鏡の破片が残されていた。もう砕けているはずの鏡が、なぜここに――?
不思議な静寂の中、俺は確信した。
まだ、地下街の迷宮には、彷徨い続ける魂がいる。
そしてその一つを、俺はようやく解放できたのかもしれない。
だが同時に思う。
もし、次にまた“扉”を開ける者がいれば、その先には――
さらに深い闇が、待っているのかもしれない。

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