封印を破った者に訪れる使者の呪縛
悪魔の使者女
夜の山道を車で走っていた田中和也(たなかかずや)は、カーナビが突然フリーズしたことに気づいた。
「なんだよ、ここで止まるかよ……」
人気のない林道で、画面は真っ黒。携帯も圏外。
仕方なく車を止め、周囲を見渡すと、一本の鳥居が見えた。赤く錆びたその鳥居は、まるで和也を誘うかのように立っていた。
「まさか……こんな場所に神社?」
興味本位で鳥居をくぐると、空気が一変した。木々のざわめきが止み、風すら吹かない。異様な静けさだった。
進むうちに、小さな祠が見えた。その前に立つ女が、こちらをじっと見ていた。
白い着物、長い黒髪。顔は陰になって見えない。
「すみません、道を——」
声をかけた瞬間、女の首がぐるりと音を立てて回った。
「おまえ……選ばれたのね」
和也は背筋が凍った。逃げようと後ずさった瞬間、地面に足がもつれて倒れた。目を閉じた刹那、女の声が頭に直接響いた。
『逃げられないよ、田中和也。あなたは、悪魔の使者を目覚めさせた』
——気がつくと、和也は自宅のベッドにいた。夢だったのかと胸を撫で下ろした。
だが、枕元には、あの女の髪の毛が一本、黒く濡れて落ちていた。
それからというもの、和也の周囲では奇妙な出来事が続いた。
会社の同僚が突然失踪し、次の日には別の同僚が事故死。
「和也……最近、なんかおかしくないか?」
後輩の佐伯が声をかけてきた。
「あの女の夢……まだ見るんだ。毎晩、同じ祠の前で立っててさ……」
佐伯は真剣な表情で言った。
「……これ、調べたんだけど、その山、昔“御使神社”って呼ばれててさ、悪魔を封じた神社だったらしい」
「悪魔……?」
「封印を解いた者は“使者女”の目に留まり、現世で代償を払わされるんだって」
和也は震えた。あの女は、ただの霊ではない。悪魔の使い——「使者女」だったのだ。
それからも、毎晩女の夢を見た。次第に夢と現実の境界が曖昧になっていった。
夢の中で彼女が言った。
「おまえも……捧げなければならないの。血と魂を」
現実では、佐伯が突如行方不明になった。その日の夜、和也は夢の中で佐伯の首を持って立つ使者女を見た。
「見て。これが代償よ」
恐怖に耐えきれず、和也は再び山へ向かった。夜中の林道を歩き、あの鳥居をくぐる。
祠の前で彼は叫んだ。
「お願いだ!全部返してくれ!」
すると、あの女が現れた。今度は顔がはっきりと見えた。
それは、かつて失踪した和也の姉、真理子だった。
「……姉さん?まさか……」
「和也、ようこそ。私も……あの夜、ここに来た。そして、選ばれたの」
「やめろよ!おれを巻き込むな!」
真理子の顔がぐにゃりと歪み、悪魔のような笑みを浮かべた。
「あなたももう、こちら側。逃げられないの」
彼女の背後から、無数の白い着物の女たちが現れた。皆、顔がない。手には何かを握っていた。
それは、心臓。赤黒く脈打つそれを、差し出すように近づいてくる。
和也は気を失った——
——次に目を覚ましたとき、彼は病院のベッドにいた。
「……意識が戻ったか!」
医師の声がした。どうやら林道で倒れていたところを発見されたらしい。
「あの、姉は……?」
「お姉さん?君は一人だったよ」
だが、退院の日。車に戻ると助手席に何かが置かれていた。
白い着物の布切れと、黒い髪の束。
そして、小さな紙片に書かれていた文字。
『次は、あなたが“選ぶ”番』
その日以来、和也は行方不明となった——。
そして今、その山道では、新たな目撃談が噂されている。
夜の祠に立つ女。白い着物。長い黒髪。顔は見えない。だが、微かに男の声で呟くのだという。
「おまえを……選んだ」
***
数年後、東京の大学に通う女子学生・中村真由(なかむらまゆ)は、卒業論文の題材として「日本の未解決失踪事件と伝承信仰」を調べていた。
「御使神社……?封印……悪魔の使者女……?」
興味を抱いた真由は、和也の失踪事件を追い、問題の山へ向かった。
同行したのは友人の亮太と絵里。
「こんな山奥に神社なんて……気味悪いな」
やがて、例の鳥居を見つけた。空気が重くなる。足を踏み入れた瞬間、風が止んだ。
「……これが祠?何もないじゃん」
と、絵里が言ったその瞬間、空気が割れるような音と共に女の笑い声が響いた。
「ふふふふふ……ようこそ、新たな“選ばれし者”たち」
木々の間から現れたのは、白い着物の女——顔は見えず、足も地面から浮いていた。
亮太が叫んだ。
「逃げろ真由!」
彼が振り返ると、絵里がいなかった。跡形もなく消えていた。
「やめて……私たちはただ調べに来ただけ……!」
女の声が頭に響く。
『知ること、それこそが罪。知った者は選ばれる』
次の瞬間、真由の手に冷たい何かが握らされた。
それは、血まみれの紙片だった。
そこに書かれていた言葉——
『今度は、あなたが“渡す”番』
目を見開いた真由の瞳に、女の姿が映った。
その顔は、自分自身だった——。

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