山奥の村
山奥の村
「絶対に、日が暮れる前に村を出ろ」
そう言われていたにもかかわらず、大学生の佐々木祐介(ささき・ゆうすけ)は、山奥にある「御影村(みかげむら)」の入り口に立っていた。
——廃村と呼ばれ、地図からも消えたその村は、かつて山の神を祀っていたが、ある災厄をきっかけに、村人全員が姿を消したという噂がある。
「本当にあるんだな、こんな場所……」
祐介はカメラを構え、苔むした鳥居を撮影した。廃墟マニアの彼にとって、都市伝説の現場は絶好の題材だった。
鳥居をくぐった瞬間、背後で風もないのに木々がざわめいた。
「……気のせい、か」
村の中心部まで歩くと、古びた家屋が並んでいた。ひと気はまったくないが、誰かが最近までいたような生活感がわずかに残る。
——コン……コン……
どこからか木を打つ音が響いてきた。
「誰かいるのか?」
声をかけても返事はない。だが音は確かに、廃神社の方から聞こえる。
祐介は迷った末、音のする方へ足を向けた。そこには苔と蔦に覆われた神社があった。鳥居の先に、崩れかけた社殿が立っている。
——ギィ……
祐介が戸を開けると、神社の中にひとりの老婆が座っていた。白装束をまとい、目を閉じてじっとしている。
「す、すみません! 誰かいるとは……思わなくて」
老婆はゆっくりと目を開け、祐介を見た。
「お前、戻ってきたんか……」
「え? いや、初めて来たんですけど……」
老婆の目が鋭く光った。
「お前、あの時の子じゃ……いや、違う……だが、似ておる」
祐介は混乱した。
「あの……どうしてこんなところに……?」
老婆は手を震わせながら、神棚を指さした。そこには破れた御札と、黒ずんだ人形が祀られていた。
「この村は……山の神を封じておった。だが、封印が弱まってしもうた。毎年一人、“生贄”が必要じゃった……」
祐介は背筋が凍るのを感じた。
「まさか……それで村人が全員……?」
老婆は頷いた。
「逃げようとした者は、山に喰われた。黙って従った者は、今もこの村で眠っておる……」
突然、社殿の奥から何かが這うような音がした。祐介が振り返ると、暗闇から黒い影がにじみ出てきた。
「逃げろ……日が暮れる前に出るんじゃ……!」
老婆の叫びを背に、祐介は社殿を飛び出した。影は彼を追い、地面を這うように迫ってくる。
「うわああああっ!!」
彼は村を駆け抜け、鳥居をくぐって転がるように外へ出た。途端に、背後の村が霧に包まれ、音も光も消えていった。
——まるで、存在そのものがなかったかのように。
翌日、警察に通報しても、御影村の記録はどこにもなかった。航空写真にも、山にはただの森が広がっているだけ。
「……確かに、行ったんだ」
祐介は自分のカメラを確認した。そこには、老婆の姿も、神社も、黒い影も写っていなかった。
だが、最後の一枚。
山の木々を背景に、ひとつだけ異様な写真があった。
木の間からこちらを見つめる老婆の顔。そして、その背後に浮かぶ、人間ではない巨大な黒い影。
その日以来、祐介は夜になると夢にうなされるようになった。
夢の中で、あの老婆がこう囁く。
「次は、お前がここに住む番じゃ……」
数日後、大学のオカルト研究会に所属する祐介は、再び御影村を調べることを決めた。自分の体験が幻覚や夢でないと証明するために。
——そして一週間後。
祐介の部屋から、彼の姿が消えた。机の上には、カメラと一冊のノートが残されていた。
《御影村の神は、神ではない。あれは“形を持たぬもの”だ。封じられていたのは、信仰ではなく恐怖。俺は、封印を破ってしまった。戻る。もしこれを読む者がいたら、決して、あの山に入ってはならない》
それ以降、山に近づいた登山者の間で、ある奇妙な話が広まった。
——夕暮れ時、山中で白装束の青年が立っているのを見た。彼は何も言わず、こちらをじっと見つめてくる。そして、手招きをしてくるのだ。
「あの場所に、まだ誰かがいる——いや、“何か”がいる」
山奥の村は、今も静かに生贄を待ち続けている。霧が濃くなった時、あなたの背後に誰かが立っていても、決して振り返ってはいけない。

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