守り神の怒り
守り神の怒り
山間にひっそりと佇む小さな村、神峰(かみね)村。人口はわずか五十人ほどで、外部との交流も少なく、時代に取り残されたような空気が漂っていた。
村の中央には巨大なご神木があり、その根元には苔むした小さな社が建っていた。村人たちは代々その社を「守り神様の御座所」として崇め、毎年決まった日に供物と祈りを捧げていた。
だが近年、若者たちの間で信仰心は薄れ、神事を軽視する者も現れ始めていた。
「こんなもん、ただの迷信だよ」
そう言って笑ったのは、都会から引っ越してきた大学生の佐々木悠馬(ささき ゆうま)だった。彼は民俗学に興味があり、この村に古くから伝わる神話を卒業論文の題材にしようと考えていた。
「神様の怒り? そんなの、証拠がなきゃただの噂だろ」
悠馬はそう言いながら、村人たちの忠告を無視してご神木の根元にカメラを設置し、夜の社を撮影する計画を立てた。
村の長老である坂内(さかうち)老人は真剣な目で彼を諫めた。
「若いの……あの御座所に不用意に近づくな。怒りを買えば、祟りが起きるぞ」
「ええ、もちろん敬意は払ってます。けど、記録は必要なんです」
その晩、悠馬は一人で社へ向かった。カメラを三脚に設置し、赤外線モードで録画を開始した。夜は静寂に包まれ、虫の音さえも遠ざかった。社の前で手を合わせた悠馬は、ふと背後に視線を感じた。
振り返っても、そこには誰もいない。だが、空気が異様に冷たい。
翌朝、悠馬は録画データを確認した。最初の数時間は何も映っていなかった。だが、午前2時を過ぎたころ、画面にぼんやりと白い影が現れた。
「……なんだ、これ……」
その影はゆっくりと社の方へ歩み寄り、突然カメラの前で立ち止まった。画面が一瞬揺れ、ノイズが走ると、影は画面越しに悠馬を睨んでいるように見えた。
その日を境に、村で異変が起き始めた。山からの水が濁り、魚が浮き、家畜が次々と死んだ。
村人たちは口々に言った。
「神様の怒りじゃ……」
坂内老人は悠馬の家を訪れ、強い口調で言った。
「お前がやったことのせいだ。すぐに社へ行き、謝罪せい。さもなくば……」
だが悠馬はなおも信じなかった。
「あれはただの霧の反射です。そんなことで神の怒りなんて……」
その夜、悠馬は悪夢を見た。
暗闇の中、白い面をつけた何者かが彼をじっと見下ろしている。
「カエセ……モドセ……」
目覚めた悠馬の胸には、三本の爪痕が残されていた。
恐怖に駆られた彼はカメラを持って社へと向かった。夜明け前の森は異様に静かだった。鳥も鳴かず、風も吹かない。
社に到着し、手を合わせたその瞬間——。地面が突然揺れ、木々がざわめいた。悠馬は転倒し、社の前にひれ伏した。
「ナゼ、穢シタ……」
悠馬は泣きながら謝罪した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!知らなかったんです!信じてなかっただけなんです!」
風が吹き抜け、森のざわめきが静まり返った。村では再び平穏が戻り、家畜も元気を取り戻した。
坂内老人が見舞いに来て、そっと言った。
「守り神様は、人の心を見ておられる。信じること、それが何よりの供物じゃ」
数日後、悠馬は村の古文書を調べ始めた。そこにはこう記されていた。
「昔、神峰村に飢饉が起き、村人は生贄を差し出した。その魂を慰めるため守り神は現れ、社を建てさせた。それを穢せば、神は怒り、再び災いをもたらす」
さらに読み進めると、「穢した者は七日のうちに神に選ばれ、姿を消す」とあった。
「……俺は、選ばれたのか……?」
不安にかられた悠馬は村を出ようと決意した。しかし、バス停に向かう山道では、同じ場所を何度も通り過ぎていた。
「迷ってる……?」
GPSも狂い、携帯の電波も届かない。ふと前方に、白い着物を着た影が見えた。
「待って! そこの人!」
影は振り返らず、森の奥へと消えていった。悠馬が追いかけると、気づけば再び社の前に立っていた。
「……戻ってる?」
社の扉が開いていた。誰かが中から呼んでいる気がした。
「カエセ……モドセ……ワレノモノ……」
その声に導かれるように、悠馬は社の中へ足を踏み入れた——その姿を、誰も見た者はいない。
一週間後、村に都会から来た捜索隊が訪れたが、悠馬の姿はどこにもなかった。社の前には、彼のカメラだけが静かに置かれていた。
記録された最後の映像には、白い面をつけた神の姿が、ゆっくりとカメラに向かって近づく様子が映っていた。
村人たちはそれ以降、決して社に近づかなくなり、毎年の祭礼はより厳粛に執り行われるようになった。
そして、社の前には一枚の新しい木札が立てられた。
「信仰を忘れし者、姿を消す」
風が吹くたび、木札は軋み、神の怒りを静かに語り続けていた——。

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