奇妙な電話
奇妙な電話
東京郊外の静かな町、練馬区の外れに住む大学生・佐藤優斗(さとう ゆうと)は、ごく普通の一人暮らしを送っていた。夜は課題に追われ、昼は大学へ通う、そんな単調な日々だった。だが、その平凡な日常は、ある「一本の電話」をきっかけに、静かに崩れ始めた。
それは、梅雨入りした6月のじめじめした夜だった。窓の外では雨が静かに降り続け、アパートの周囲はしんと静まり返っていた。時刻は午後11時を回っていた。
優斗はいつものようにノートパソコンに向かい、レポートを仕上げていた。その時——
プルルルルル……プルルルルル……
けたたましく鳴り響く携帯の着信音に、優斗は眉をひそめた。画面を見ると、非通知設定の番号だった。
「こんな時間に誰だよ……」
躊躇しながらも、優斗は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
返事はなかった。
「……もしもし?」
しばらく沈黙が続いた後、聞こえてきたのは小さな、かすれた女の声だった。
『……たすけて……』
一瞬で鳥肌が立った。
「えっ……誰ですか?」
しかし、通話はそこで切れた。
ただの悪戯電話だろう、と自分に言い聞かせながらも、優斗はなぜか胸騒ぎがした。
次の日も同じ時間、同じ非通知番号から電話がかかってきた。
プルルルルル……
優斗は今度はすぐに出た。
「……誰だ、何が目的なんだ?」
『……さむい……くらい……こわい……』
女性の声はかすれていて、泣いているようだった。
「あなたは誰なんだ!どこにいるんだよ!」
だが、再び無言のまま、通話は切れた。
何かがおかしい——そう思った優斗は、その日の夜から、通話内容を録音することにした。
そして三日目、電話はまたかかってきた。録音をセットしてから、通話に出る。
『……いたい……あしが……ぬけない……』
「君はどこにいるんだ?助けが必要なら警察を——」
『やめて……みつかる……あの人が……』
通話は再び、ぷつん、と途切れた。
録音を再生すると、微かに背景に水が滴るような音と、遠くで何かを引きずるような音が混じっていた。
「……どこか水場にいるのか?」
優斗は思い立ち、録音を持って大学のオカルト研究会に所属する友人、神谷凛(かみや りん)に相談した。
録音を聞いた神谷は、真顔になり、こう言った。
「これ……昔話と似てる。練馬区の西にある廃工場、知ってる?戦前からある建物なんだけど、そこで女性が監禁されて亡くなったって話があるの。声の感じ、水音……あそこ、今は雨水が溜まってる地下室があるらしいわ」
優斗はゾッとしたが、真相を確かめるべく、神谷とともにその廃工場へ向かった。
夜10時、ふたりは懐中電灯を手に、工場の錆びた門をくぐる。建物内は湿気と黴の匂いに満ち、まるで時間が止まっていた。
地下へ続く階段を見つけたとき、優斗の携帯が震えた。
非通知……電話が、今、この瞬間に……
通話に出る。
『……ちかい……すぐそこ……みえる……』
「なにが見えるんだ!?」
『あなたの……うしろ……』
反射的に振り向くと、そこには……誰もいなかった。だが、階段の奥から、びちゃ……びちゃ……という足音が近づいてくる。
「神谷、逃げるぞ!」
ふたりは必死に階段を駆け上がり、工場の外へと逃げ出した。後ろからは水音とともに、女のすすり泣く声が追いかけてくるようだった。
ようやく外の明かりの下に出たとき、すべての音がピタリと止んだ。
「……あの声……まだ工場にいるのかな」
神谷は震えながら言った。
それ以来、電話はかかってこなくなった。しかし、優斗は毎晩、夢に見るのだった。あの地下室、水に浸かる女性、そしてその目が、助けを求めるようにじっと自分を見つめていることを——
数週間後、優斗は警察に通報し、廃工場の地下室が調査されることになった。
結果は——
コンクリートの下から、白骨化した女性の遺体が発見されたのだった。
身元は不明。しかし、通話の内容と状況が一致していたため、警察も「心霊現象によって遺体が発見された」とは言えぬまま、「偶然の通報により発見」と報道された。
だが、優斗にはわかっていた。あの電話は、彼女が助けを求めてかけてきた、最後の希望だったのだと。
そしてその日からも、夜11時になると、優斗の携帯には非通知設定の着信が、
——プルルルルル……
再び、鳴り始めたのだった。
◆
半年後——
優斗は大学を休学し、精神的な治療を受けるようになっていた。周囲には、「過労のせいだ」と説明していたが、本当の理由を知っている者は、神谷を含めごく少数だった。
そして神谷もまた、あの夜以来、異変を感じていた。鏡を見るたび、背後に濡れた髪の女性の影が見える。誰もいないはずの部屋から、すすり泣きが聞こえる。
ある晩、神谷の携帯にも、非通知の電話がかかってきた。
『……あなたも……みてたでしょ……』
「……まさか……優斗だけじゃなかったの?」
電話は切れたが、耳元には湿った吐息のような感触が残っていた。
数日後、神谷は独自に廃工場について調査を始めた。古い新聞記事、行方不明者のリスト、戦後の未解決事件——
そして、昭和22年、ある女性・中島咲(なかじま さき)が工場の従業員に誘拐され、監禁されたまま行方不明になったという記事を発見した。写真は古く不鮮明だったが、その瞳に見覚えがあった。
夢の中で、自分たちを見つめていた、あの目だった。
「彼女はまだ、助けを求めている……終わっていない」
神谷はそう感じ、ある決意を固めた。
彼女の名前を、記録に残す。
声を聞いたこと、電話の内容、すべてを書き記し、記憶を風化させないために。
そうしなければ、次に「電話が鳴る」のは、別の誰かのもとになるのだから……。

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