川の底の秘密

Table of Contents
川の底の秘密

川の底の秘密

夏休みのある日、大学生の村上悠斗(ゆうと)は、友人の高橋涼(りょう)に誘われて、山間の小さな村にある「星影川(ほしかげがわ)」へと足を運んだ。川遊びとバーベキューを兼ねた小旅行。

「この川さ、昔から“底に何かがいる”って噂あるんだよ」
涼が笑いながらそう言った。

「何それ、いかにも田舎の怪談って感じだな」
悠斗も冗談半分に返すが、その時、近くで川を眺めていた地元の老婆が、ぴたりとこちらを向いた。

「星影川には……近づかんほうがええ。底には“あの女”が眠っとるからな」

悠斗と涼は顔を見合わせ、苦笑いした。
「昔話だろ? どうせ“溺れて死んだ娘の霊”とか、そんな話だよ」

だがその夜、泊まった民宿の古びた部屋で、悠斗は奇妙な夢を見た。

——満月の夜、川の中に白い着物の女が立っている。髪は長く、顔は見えない。
女は何も言わず、じっと悠斗を見つめていた。

翌朝、涼が言った。
「なあ、昨日の夜中、川辺に誰かいたよな? 白い服の女……」

悠斗の背筋に冷たいものが走った。
「お前も見たのか?」

気味の悪い沈黙が流れた。

その日の午後、村の古文書を扱う郷土資料館に足を運んだ二人は、「星影川水難事故」の古い記録を見つけた。

——昭和十三年、村の若い女性・桜子が川に身を投げて死亡。
——桜子の死後、川辺で女のすすり泣く声が聞こえるようになった。
——以来、毎年同じ日に若者が川で姿を消す。

「これ……偶然か?」
涼が言葉を失っていた。

その夜。再び悠斗は夢を見る。
川の底、暗く静かな水中に吸い込まれていく感覚。
女が手を伸ばし、「おまえ……見たのね……」と囁いた。

翌朝、涼が忽然と姿を消した。川辺にあったのは、彼のサンダルだけ。

警察が出動したが、川の水位は浅く、事故とは考えにくい。

「お前が最後に彼を見たのか?」
刑事の質問に、悠斗は何も答えられなかった。

——自分は知っている。
——川の底には、何かがいる。

罪悪感に駆られた悠斗は、再び老婆を訪ねた。
「“あの女”って、誰なんですか……?」

老婆は重く口を開いた。
「桜子はの……村の地主の息子と恋仲じゃった。じゃが、身分の違いで引き裂かれ……ある日、男の婚礼の日に、川に身を沈めたんじゃ」

「それ以来、毎年桜子は“代わりの命”を川に呼び込むようになったんじゃよ。あんたら、呼ばれたんじゃ」

「じゃあ、涼はもう……」

老婆はうなずいた。
「水底に引かれたものは、戻らん」

悠斗は何とかして友を取り戻したかった。
「桜子の霊を鎮めるには……どうすれば?」

老婆は静かに紙に文字を書いた。
「桜子の骨は、まだ川の底にある。葬られていない。彼女の想いも、終わっとらん」

夜、悠斗は一人、星影川へ向かった。
川辺には、不気味なほど静かな空気が漂っていた。

懐中電灯を片手に川に入り、底を探る。
冷たい泥の中に、何か硬いものが触れた。小さな骨壺のような陶器。

その瞬間、辺りの空気が変わった。
水面から、あの白い女が浮かび上がってきた。

「返して……私の時間を……あの人を……」

悠斗は震えながらも、骨壺を胸に抱えた。
「桜子さん……もう、終わりにしましょう。涼を返してほしい……」

女はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと沈んでいった。

——翌朝。
川辺に、涼が倒れていた。意識は朦朧としていたが、生きていた。

「……夢を見た。女が言ってた。“あの人はもういない、でも君たちは未来を生きろ”って……」

悠斗は涙をこらえながら、桜子の骨壺を村の寺に運び、手を合わせた。

その後、星影川では事故が一切起きなくなったという。
だが、村人の間では今もこう囁かれている。

「桜子様の魂は、まだ川の底にいる。彼女を忘れた時……また、誰かが呼ばれるかもしれん……」

その数週間後、悠斗は再び村を訪れた。慰霊碑に花を手向けたあと、川辺に立ち、静かに目を閉じた。

——風が流れる音、川のせせらぎ、そして……

「……ありがとう」

誰かが、そう囁いた気がした。悠斗は微笑み、手を合わせた。

だが、その背後の水面では、ほんの一瞬、小さな泡が浮かんでは消えていったという——。

コメントを投稿