顔のない女

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顔のない女

顔のない女

東京郊外にある古びたアパート、「さくら荘」。築五十年以上経ち、今では家賃の安さに惹かれた学生や低所得者ばかりが住んでいる。その中に、一人の大学生・西村葵(にしむら あおい)が越してきた。

「この部屋か……。ちょっとカビ臭いけど、我慢できるかな」
新生活に胸を躍らせていた葵だったが、引っ越して数日後、妙な気配を感じるようになる。

ある晩、夜中の二時。静まり返った部屋の中、どこからともなく足音が聞こえた。

「……誰か、廊下を歩いてる?」
そっとドアに耳を当てると、かすかに裸足のような音が通り過ぎていった。覗き穴から外を覗くが、誰もいない。

翌朝、隣人の老女・田村さんに話すと、彼女は眉をひそめた。

「あんた……変なもん、見てないかい?」
「変なものって?」
「……顔のない女のことさ」

田村さんによると、さくら荘には十年前から「顔のない女」が出るという噂があるという。顔が白くのっぺらぼうで、夜な夜な廊下を歩き回っているらしい。

「まさかぁ、そんな都市伝説みたいな話……」
半信半疑の葵だったが、夜になるとやはり気配を感じる。

数日後の深夜、葵がふと目を覚ますと、部屋の隅に誰かが立っていた。

「……誰?」
恐る恐る声をかけると、その影が一歩近づいた。部屋の月明かりで浮かび上がったその顔は――顔がなかった。

「っ……!」
口も目も鼻もない、白い肌だけがそこにあった。葵は叫び声を上げ、慌てて電気を点けると、女の姿はもういなかった。

翌日、葵は大学の友人・山崎に相談した。

「お前、それ本当に見たのか?」
「本当だって! 部屋の隅に、顔のない女が……!」

山崎は興味半分、心配半分で「さくら荘」を訪れ、その夜、二人で泊まることにした。

午前二時、再び足音が聞こえる。二人は息を潜め、ドアの隙間から外を覗く。

「……誰もいない、けど……あれ、部屋の前に何か落ちてない?」
そっと外へ出ると、そこには古びた鏡が置かれていた。

「鏡……? 誰がこんなものを……」

山崎が鏡を手に取った瞬間、周囲の空気が変わった。

「……あれ、これ、なにか……写って……る……」

鏡の中に、葵と山崎の後ろに立つ、顔のない女の姿が映っていた。

「うわああああっ!!」

二人は鏡を床に叩きつけ、慌てて部屋に戻ったが、女の姿はすでに見えなかった。

次の日、田村さんに鏡のことを話すと、彼女は青ざめた表情を浮かべた。

「それは“封じ鏡”かもしれないね……昔、このアパートで火事があって、若い女の人が焼け死んだんだよ。顔が判別できないほどに……」

その女は恨みを残し、成仏できずに彷徨っていたらしい。彼女の霊を封じたのがその鏡だったという。

「でも、なんで今さら……」
「封印が弱まったのかもしれない。最近、このアパートも取り壊しの話が出てるしね」

それから数日間、葵は鏡を処分する方法を調べた。供養すべきか、埋めるべきか。しかし、夜ごと顔のない女は夢に現れ、じっと見下ろしてくるのだった。

ある晩、夢の中で女が口を開いた。顔がないはずなのに、どこからか声が響いた。

「……かえして……わたしの……かおを……」

目覚めた葵は、あることに気づいた。火事で焼けただれた女は、自分の顔を失ったままこの世に縛られているのだ。そして、自分の顔を誰かに重ねては、その顔を奪おうとしている――

「……もしかして、鏡の中に、あの人の“顔”が封じられていたのでは……?」

葵は意を決して、その夜、再び壊れた鏡の破片を集めて祠のある裏山へ向かった。

「これで……終わらせよう」

山奥の小さな祠の前で、線香を焚き、女の魂に手を合わせた。

「あなたの顔、もう返すよ……安らかに、眠ってください」

その瞬間、祠の奥から一陣の風が吹き抜け、鏡の破片が淡く光った。

女の姿は、それ以降現れることはなかった。

――だが、葵が引っ越す直前、部屋の壁に、誰かが手でなぞったような痕が残っていた。

「……かおを……ありがとう……」

その文字は、数日後にはかき消されるように消えていた。

「さようなら、顔のない女さん……」
葵は最後に一礼し、「さくら荘」を後にしたのだった。

しかし、それから半年後。
都内の別のアパートで、新たな入居者が深夜の足音に悩まされていた。

「夜中になると、誰かが廊下を裸足で歩いてる気がするんです……」

管理人にそう訴えた女性の部屋に、ある日ポストに差し込まれた封筒が届いた。中には、割れた鏡の破片と共に、古びた紙が一枚。

「わたしのかおを、まだ、さがしているの」

新たな地でも、「顔のない女」の彷徨は続いているのだった。

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