廃墟の残響
廃墟の残響
「ねえ、本当に行くの? あの廃墟、呪われてるって有名じゃない?」
美咲は不安げな声で言った。
「行くって決めたんだよ。今さらビビってどうすんの?」
隼人は懐中電灯を握りしめながら、薄暗い山道を歩き続けた。
舞台は長野県の山奥、すでに30年以上前に廃業した温泉旅館「楓荘」の跡地。地元では『決して一人で近づいてはならない場所』として知られ、何人もの肝試し客が行方不明になったと噂されていた。
隼人、美咲、翔太、麻衣の4人は、大学のオカルト研究サークルの仲間だった。都市伝説の真相を確かめるため、彼らはこの夜、廃墟を訪れた。
「あった……あれが楓荘だ。」
翔太が指差した先に、瓦屋根が崩れかけた古びた建物が闇の中に浮かび上がった。
月明かりに照らされたその姿は、まるで長い間誰にも見られることなく、時間に取り残された亡霊のようだった。
「中に入るよ。ライトはちゃんと点けて。」
隼人が言うと、4人はゆっくりと建物の中へ足を踏み入れた。
踏みしめる床板の音が、静寂の中に不気味に響く。
「……うわ、ここ、変な匂いする。」
麻衣が鼻を覆った。「カビ? それとも何か腐ってる?」
「地下に何かあるかもな。分かれて調べよう。」
隼人はそう提案したが、美咲がすぐに反対した。
「やだ! 絶対に一人は無理!」
結局、2人ずつに分かれて調査することになった。隼人と美咲、翔太と麻衣のペアである。
隼人たちは2階へ、翔太たちは地下へと向かった。
——
「この旅館、昔一家心中があったって話、知ってる?」
美咲が階段を上がりながら、ぽつりと呟いた。
「聞いたことあるな。経営が傾いて、宿の主人が家族ごと……って。」
2階の廊下は、壁紙がはがれ落ち、木材が腐っているところもあった。
「あの部屋、開いてる。」
一つの部屋の襖が半開きになっていた。
「入ってみよう。」
部屋に足を踏み入れた瞬間——
ギィィィィィ……
背後で襖が勝手に閉まった。
「えっ!? 今、誰か閉めた?」
美咲の声が震えていた。
「いや、風かも……。」
隼人が襖を開けようとするが、びくともしない。
「なんで? 鍵とかないのに!」
その時だった。天井からぽたり……ぽたりと液体が落ちる音。見上げると、茶色く変色した染みの中心から、黒い液体が滴っていた。
「うわっ、これ……血……?」
その瞬間、部屋中に低い女のすすり泣く声が響いた。
「……かえして……」
「誰かいるの!? ふざけないで!」
隼人が懐中電灯を振ると、部屋の隅に白い着物姿の女がうずくまっていた。顔は見えない。
「……おかえり……」
女が顔を上げた。
その顔には目も口もなく、ただ、裂けたような黒い穴が空いていた。
——ギャアアアアアア!!
美咲の悲鳴が響き、二人はドアを必死に叩いた。
その瞬間、襖が音もなくスッと開いた。
「早く出よう!」
二人は廊下に飛び出し、階段を駆け下りた。
——
地下では翔太と麻衣が古びたボイラー室を調べていた。
「なあ、この壁、妙に新しくないか?」
翔太がコンクリートの一部を叩いた。音が反響する。
「隠し部屋か何か……?」
そのとき、壁の一部がゆっくりと開いた。中は真っ暗。
懐中電灯の光で奥へと進むと、そこには数十枚の遺影が飾られていた。古びた白黒写真。だが、奇妙なのは、全員の顔が塗り潰されていたことだった。
「これ……気味悪い……」
麻衣が怯えながら後ずさったその時、背後で扉が閉まった。
「閉じ込められた!?」
壁から低く呻くような声が響く。
「……次は……お前たちか……」
翔太が振り返ると、遺影の一つが突然、床に落ちた。
「逃げろ麻衣!!」
二人は扉を叩き、叫び続けた。
——
隼人と美咲が1階に戻り、地下へ向かった。扉を開け、翔太と麻衣を助け出すと、4人は全力で旅館を飛び出した。
——
翌朝、彼らは地元の図書館で楓荘の過去を調べた。
新聞の古い記事には、旅館の経営者・田島重雄が精神を病み、家族を風呂場で溺死させた後、自らも切腹して果てたと記されていた。
「でも、遺体は見つからなかったんだ……。ただ、床に大量の血痕があって。」
美咲が資料を見ながら呟く。
「それに、顔を隠した遺影……なぜ、あんなものが……?」
翔太は手帳にメモを取りながらも、震えが止まらなかった。
——
それから数日後、麻衣が大学を欠席するようになった。心因性の失語症と診断され、声が出せなくなっていた。
翔太は夜ごと夢に、顔のない女が現れると語った。
「……おかえり……ずっと待ってた……」
隼人のスマホには、旅館で撮った覚えのない動画が残されていた。誰もいないはずの部屋で、何かが襖の奥からこちらを覗いている——そんな映像だった。
そして、美咲は……姿を消した。
彼女の部屋には、一枚の遺影が置かれていた。顔の部分だけが黒く塗り潰されていたという。
今も楓荘の廃墟は、あの山奥に静かに佇んでいる。誰にも発見されないまま、時間の中に閉じ込められ、そして……新たな犠牲者を待っている。
——あなたが、次かもしれない。

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