廃校の思い出
廃校の思い出
「ねえ、覚えてる?あの廃校のこと。」
大学時代の同級生、恵美がふと口にした言葉に、私は一瞬時が止まったような感覚を覚えた。
「……やめてよ、あの話はもう忘れたかったのに。」
私は思わず目を伏せた。
十年前、私たちは夏の肝試しのつもりで、とある山奥の廃校に足を踏み入れた。
その学校は、戦後間もない時期に建てられ、少子化の影響で二十年ほど前に廃校となったと聞いた。木造二階建て、古びた教室、割れた窓ガラス、そして黒板には最後の授業の痕跡がまだ残っていた。
「涼子、写真撮ろう!」
当時、好奇心旺盛だった恵美がスマホを掲げてはしゃいでいた。
「やめた方がいいって、こういう場所には、何かいるっていうし…」
私は背筋に冷たいものを感じながらも、流されるままに教室の中へと足を踏み入れた。
教室には、まだ木製の机と椅子が整然と並べられていた。その中に、一つだけ、妙にきれいな机があった。埃もかぶっておらず、まるで誰かが今さっきまでそこに座っていたかのように見えた。
「ここ、変じゃない?」
恵美がその机を指差した。
「……やっぱり出ようよ。嫌な感じがする。」
そう言った矢先、突然、廊下から「カツン…カツン…」という足音が聞こえてきた。
二人とも声を出せずに、教室の奥へと隠れた。足音はゆっくりと近づいてくる。
「見に行こうか…?」
恵美がささやいた。私は全力で首を振ったが、彼女は興奮したようにそっと教室の扉を開け、外を覗いた。
「誰もいないよ…って、あれ?」
彼女の表情が凍りついた。私も恐る恐る覗くと、廊下の突き当たりに、髪の長い女の姿が立っていた。白いセーラー服に黒髪、顔は見えなかったが、その姿は明らかにこの世のものではなかった。
「逃げよう!」
私たちは一目散に廃校を飛び出した。
それからというもの、恵美はしばしば悪夢を見るようになったという。夢の中で、あの女が彼女の部屋に現れ、「返して…」と呟くのだという。
「返してって、何を?」
「わからない…でも、あの時、あの机の中にあった日記…私、持って帰っちゃったの。」
恵美はおそるおそるカバンから、黄色く変色した古いノートを取り出した。
表紙には、『昭和四十九年 三年二組 鈴木涼子』と書かれていた。
「名前、同じだ…私と。」
私は背筋が凍った。
ノートの中には、普通の中学生のような日記が綴られていた。しかし、ページをめくるごとに、文体は歪み、不気味な内容へと変わっていった。
『あの子がいなくなった。私のせいじゃない。先生は何も見てないって言った。みんな嘘つき。みんな罰を受ければいい。』
「この子…誰かを…?」
恵美が震える手で日記を閉じたその瞬間、部屋の電気が一瞬消えた。
「キャッ!」
私たちは思わず抱き合った。
「返そう。今すぐ、あの場所に。」
数日後、私たちは再び廃校を訪れた。日記を手に、あの教室へと向かった。廊下は以前よりも暗く、空気は重く淀んでいた。
机の上にそっと日記を置いた瞬間、背後で「ありがとう…」という声が聞こえた。振り返ると、白いセーラー服の女が立っていた。顔はぼんやりとしか見えなかったが、確かに微笑んでいた。
その瞬間、教室の窓が開き、風が吹き込んだ。埃が舞い上がり、日記のページが一枚一枚めくれていく。最後のページには、こう書かれていた。
『私はここにいます。ずっと、待っていました。』
すると女の姿は、風とともにかき消えた。
それ以来、恵美の悪夢は止まった。私たちはもう二度と、その学校へは近づかなかった。
「あれは…誰だったんだろうね。」
「きっと、ずっと忘れられたまま、誰かに気づいてほしかったんだと思う。」
思い出したくもない、でも忘れることもできない…それが、私たちの廃校の思い出だった。
――数年後、私はふとしたきっかけで地方新聞の古い記事を目にした。
『昭和49年、〇〇市立中学校で女子生徒が失踪。最終目撃場所は三年二組教室。事件は迷宮入り。』
写真が添えられていた。その中の一人が、日記に書かれていた名前と一致した。
「鈴木…涼子…」
私は思わず息を呑んだ。
だが、よく見ると、別の名前も目に入った。もう一人の生徒、失踪した少女と仲が良かったという友人の名だ。
『斎藤 恵美』
私は目を疑った。彼女は、今、私の目の前にいるあの恵美と同じ名前だった。
「ねえ、恵美って…」
「え?どうかした?」
恵美は笑った。あの日のことなんてもう、まるで夢のようだとでも言うように。
だが、その笑顔の奥に、何か違和感を覚えた。ふと、彼女の後ろに、一瞬だけ白いセーラー服の女の影が見えた気がした。
あの廃校には、まだ何かが残っているのかもしれない。
過去と現在が交差し、記憶と真実が曖昧になるその場所で、語られなかった物語が、今も静かに眠っている――。

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