深い森の迷路

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深い森の迷路

深い森の迷路

「ねえ、知ってる? あの村の裏山には、入ったら出られない“森の迷路”があるんだって」

夏休みに祖母の住む長野県の小さな村に遊びに来た高校生の綾乃(あやの)は、同い年の村の少年、誠也(せいや)からそう聞かされた。

「迷路って……ただの山道じゃないの?」
「違うんだよ。昔から“深い森”って呼ばれてて、入った人はみんな、帰ってこなかったって」

綾乃は半信半疑だった。だが、夜になると村の老人たちが「また森が呼んでる」とつぶやき、道祖神の前で何かを祈る姿を見てから、ただの噂ではないと感じ始めていた。

翌朝、誠也が興奮気味に言った。

「実はさ、昨日、村の子が一人あの森に入ったらしいんだ。でもまだ戻ってないんだって」

綾乃はぞっとした。

「……警察とか呼んだの?」
「呼んだけど、もう何人も行方不明になってるからって、山には入ってくれない。『地図に載ってない道だから危険すぎる』ってさ」

その夜、綾乃は祖母の仏間で一冊の古い日記を見つけた。そこにはこう書かれていた。

『あの森に入ると、音が消える。道は同じように見えて、気がつけば同じ場所をぐるぐる回っている。木の根が生き物のように動き出す。迷った人間の恐怖を、森は吸って成長する——』

ページには黒い染みがついており、最後には「もし森に入るなら、決して振り返ってはいけない」と赤字で記されていた。

次の日、綾乃は誠也と共に森の入口まで行くことにした。

「やめようよ……なんか本当にヤバそうだよ」
「でも、あの子がまだ戻ってない。もし道がわかれば、助けられるかもしれない」

二人は懐中電灯とロープを持ち、入口に立った。鳥居のように木が重なり合い、奥は真っ暗だった。

「……行くよ」

一歩踏み入れた瞬間、空気が変わった。風が止み、虫の音も消えた。まるで、世界が一瞬で閉ざされたかのようだった。

「しん……としてる……」

道は何本にも分かれており、どれも同じように見えた。

「左の道にロープを結んで、進もう」

慎重に歩き続けるが、進んでも進んでも、同じ倒木が目の前に現れる。

「おかしい……こんなはず……」

すると突然、誠也が叫んだ。

「綾乃、後ろ!」

綾乃が振り返ろうとした瞬間、誠也が彼女の肩を掴んで止めた。

「ダメだ! 振り返るなって、あの日記に書いてあっただろ!」

背後からは、ザザ……ザザ……という何かが這いずる音。だが、見てはいけない。

「こっちに……来てる……」

綾乃の背中に冷たい息のようなものを感じた。足が震え、動けない。

「行くぞ! 走れ!」

誠也が手を引いて駆け出す。足元の木の根がぐにゃぐにゃと動き、まるで逃げるのを邪魔するかのようだった。

「光を! ライトをもっと!」

懐中電灯を強く照らすと、一瞬だけ木々の間に、人のような影が見えた。

片腕がなく、顔も崩れ、口を大きく開けたまま笑っていた——

「今の、誰……?」
「……森に飲まれた人かもしれない」

ようやくロープの端まで戻ったとき、二人はへたり込んだ。

「……ロープがなかったら、きっと出られなかった」

綾乃は深く息をつき、震える手で日記を握りしめた。

その後、村の神社で森の話を聞くと、神主は静かに語った。

「あの森は、戦後に村人が人柱として捧げた場所。飢饉を止めるためにね。以来、森は人の魂を喰らい、迷路のように姿を変える」

「……そんなことが、今でも?」
「人の怨念は、時を越えて生き続けるんだよ」

綾乃と誠也は、二度とその森に近づかなかった。だが、村では今も時折、深い森の中から誰かの笑い声が聞こえるという。

「出られないよ……ずっとここで待ってる……」

その声を聞いた者は、必ず、夢の中で同じ場所を歩き続けるのだという。迷い、彷徨い、出口のない緑の中を、何度も、何度も——。

それから数日後、行方不明になっていた少年の遺留品が、森の入口近くで見つかった。ランドセルと、小さな赤い帽子。

「これ、間違いない……彼のだ」

誠也の声は震えていた。だが、それ以上に異様だったのは、その帽子の中に折り畳まれていた紙切れだった。

『“また来てくれてうれしい。次は君だね”』

子供のような筆跡でそう書かれていた。綾乃は背筋が凍るのを感じた。

その夜から、綾乃は毎晩同じ夢を見るようになった。苔むした木々、うねる道、誰もいないはずの森の奥で、何かが待っている。

夢の中で声が聞こえる。
「見つけた……見つけた……次は、君の番だよ」

逃げても逃げても道は変わらず、背後からぬるりとした気配が迫る。

ある日、綾乃は気づいた。夢で通っている道と、日記に描かれていた地図が一致している。

「これって……夢じゃなくて、引き込まれてる……?」

彼女は恐怖に震えながら、神社の神主を訪れた。

「夢の中でもう一度迷ってる? それは“森の呪い”だ。助かりたいなら、あの森に再び入るしかない」

「また入れって……? 無理です! そんなの……」

「だが放っておけば、魂は完全に引きずり込まれる。現実と夢の境界が消え、永遠に彷徨うことになる」

綾乃は決断を迫られた。森に再び入るか、それとも夢の中で永遠に迷うか——

数日後、綾乃は一人で森に入った。ロープも懐中電灯も持たず、今度は“声の主”と向き合うために。

深く深く進むと、木々の中にぽっかりと開いた空間が現れた。そこには、あの少年が立っていた。

「……君は?」
「僕は、森の迷子。誰にも見つけてもらえなかったから、今はこの森と一緒にいるんだ」

少年の体は半透明で、地面に触れていなかった。

「もう寂しくないよ。君も一緒にいてくれるなら……」

その瞬間、綾乃の背後から別の影が現れた。

「来るな……!」

綾乃は目を閉じ、強く叫んだ。「私は生きてる! ここにいるべきじゃない!」

その叫びとともに、森の風景がひび割れるように崩れた。気づけば彼女は、森の入口に倒れていた。

あれから夢は見なくなった。

だが、森の中からは今も、迷子の声が聞こえているという。

「まだ……誰か、来てくれるのを待ってるんだ……」

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