赤い服の少女

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赤い服の少女

赤い服の少女

「あの道、通らない方がいいよ」
地元の人間は皆そう言う。
秋田県の山奥にある小さな村、黒森(くろもり)村には、誰もが口を噤む古道がある。
名前もないその山道は、今では地図にも載っていない。だが、夜になると、そこには“赤い服の少女”が現れるという。

東京から移住してきたばかりの大学生、遥(はるか)は、その噂を聞いて笑った。
「そんなの、ただの田舎の怪談でしょ?」
「やめときなよ、遥ちゃん。あの話、昔から本当にあったんだから」
村の商店で働く亜美(あみ)がそう忠告するが、遥は興味本位で古道を探し始めた。

ある夕暮れ、山の中を歩いていた遥は、古びた鳥居を見つけた。
「これかな…噂の道?」
鳥居の先には細い獣道のような小道が続いていた。
日が落ちる前に戻ろうと決めて、遥はその道を進んだ。
空気はひどく冷たく、辺りは静まり返っていた。鳥の声も風の音もなく、まるで時間が止まっているようだった。

10分ほど歩いた頃、前方に何かが動いた。
「…誰かいる?」
遥が声をかけると、草むらの向こうから、赤い服を着た少女がひょっこりと現れた。
肩までの黒髪、真っ赤なワンピース、そして、異様なほど白い肌。
少女は何も言わず、遥をじっと見つめていた。

「こんなところに、子供…?」
遥が近づこうとした瞬間、少女はくるりと背を向け、森の奥へと駆けていった。
「待って!」
直感的に、遥は少女を追いかけた。だが、どれだけ走っても、少女との距離は縮まらない。
気づけば、周囲は完全に闇に包まれていた。

遥は足を止めた。息を切らし、辺りを見回す。だが、道は消えていた。
「…戻れない?」
背後から、くすくすと笑う声が聞こえた。

「だれ……?」
振り返ると、少女がいた。ほんの数歩の距離に立って、顔を伏せていた。
その瞳は真っ黒で、光をまったく持っていなかった。
「かえれないよ、もう」
少女の唇はそう動いた。

遥は叫び声を上げ、無我夢中でその場を駆け出した。どこに向かっているのかも分からず、ただ暗闇を走った。
やがて、木々の隙間から月明かりが差し込む場所に出た。

そこには古びた石碑が立っていた。
“昭和二十年、斉藤美和、享年七”
遥の背筋が凍った。

「美和…あの少女?」
その瞬間、背後から冷たい風が吹きつけ、赤い服の少女の笑い声が耳元で響いた。
「わたし、ここで死んだの」

遥は振り向いた。少女は石碑の上に立ち、まるで宙に浮かぶようにこちらを見下ろしていた。
「さびしかったの。だれも、わたしのこと、思い出してくれないから…」

「もう、帰らせて。お願い」
遥は涙をこぼしながら懇願した。少女は少しの間黙り込んだが、やがてぽつりと言った。
「…じゃあ、わたしのこと、村のみんなに伝えて。忘れないでって」
「…うん、約束する」

次に目を開けた時、遥は村の鳥居の前に倒れていた。
その手には、赤いリボンが結ばれていた。

遥は村の公民館で少女の名前を調べた。戦後に失踪した少女として、美和の名前は確かに記録されていた。
「この子はね、食糧が足りなくなって山に捨てられたって噂なの…親がね」
亜美が小さな声で言った。

遥は約束を守るため、村の掲示板に少女の話を記した。人々は最初、眉をひそめたが、やがて一人、また一人と花を石碑に手向け始めた。

それ以来、赤い服の少女の目撃情報はぱったりと途絶えた。
だが、それは終わりではなかった。

ある日、遥のもとに一通の手紙が届いた。
差出人は不明だったが、中にはこう書かれていた。
「ありがとう。だけど、まだ一人、見つけてないの」

その晩、遥の夢の中に少女が現れた。
「わたしのお母さん…まだここにいるの」
「えっ?」
「あの時、捨てたのはお母さんだった。だけど、苦しんで、死んで、まだあの森にいるの」
「…どうしたらいいの?」

少女は指をさした。
「鳥居の奥、石碑の裏にね、もう一つ墓があるの。そこを見て」

遥は翌朝、再び山に入った。鳥居の裏手、草に埋もれた石を掘り起こすと、苔むした墓標が現れた。
“斉藤佳江、享年三十五”

遥は手を合わせた。
「あなたは、間違えたけれど、きっと後悔してた。だから、もう、行ってあげて」

その瞬間、強い風が吹き抜け、空気が和らいだように感じられた。
鳥居の影から、赤い服の少女と、やつれた顔の女が手をつないで姿を現した。

「ありがとう、遥さん」
少女の声は、今までで一番穏やかだった。
二人の姿は、次第に光に包まれて消えていった。

それ以来、あの道を通っても、赤い服の少女はもう現れなくなった。
ただ、風の音に混じって、遠くで「ありがとう」とささやく声が聞こえるという人もいる。

――そして今日も、村の石碑の前には、新しい花が絶えず手向けられている。

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