深夜のノック
深夜のノック:東京郊外に潜む闇
梅雨明け直後の蒸し暑い夜、大学生の佐伯悠馬(さえき ゆうま)は、東京郊外のアパートに一人暮らしをしていた。バイト帰りで疲れ切っていた彼は、シャワーを浴びてベッドに倒れ込むように眠りについた。
時計の針が深夜二時を指した頃、「コン、コン……」という微かなノック音で彼は目を覚ました。
「……こんな時間に誰だ?」
ドアの覗き穴から外を見るが、誰もいない。気のせいかと思い、再び布団に潜る。すると、また──
「コン、コン……」
今度は少し強めの音だった。悠馬は苛立ちを覚えながら玄関を開けたが、そこには誰もいなかった。
「悪戯か? 近所の子供がやってるのかもしれないな」
そう呟き、ドアを閉める。だが、背を向けた瞬間、耳元で囁くような声が聞こえた。
「……開けて……」
背筋が凍る。慌てて振り返るが、やはり誰もいない。気味の悪さを感じつつも、疲れのせいだと自分に言い聞かせて再び眠りについた。
しかし、それが“始まり”だった。
深夜の繰り返されるノック
翌日から、同じ時間に同じようなノックが続いた。しかも徐々に音が大きく、回数も増えていった。
コン、コン、コン、コン……
気になった悠馬は、管理人に相談した。しかし、他の住人からは苦情も報告もないという。
「この部屋……以前にも同じような相談があってね。前の住人も“ノックがする”って言っていたんだよ。結局、引っ越してしまったけど」
管理人のその言葉に、悠馬は背筋を冷たくした。夜中のノックは、彼だけが聞いているのではないのか。
その晩、彼はスマホを玄関に設置し、動画を録画することにした。
そして深夜二時。
コン、コン、コン……
翌朝、録画を確認すると、ドアがわずかに揺れている様子は映っていたが、人影はなかった。だが、ドアの前に、一瞬だけ“白い手”が画面に現れていた。
「なんだこれ……」
ゾッとする感覚が全身を包む。悠馬はその日、大学を休んだ。
老婆の忠告と「二時の者」
近所の古本屋でホラー本を眺めていた悠馬に、一人の老婆が声をかけてきた。
「お前さん、“二時の者”に呼ばれたね」
「え?」
「深夜二時にノックがあるんだろ? 開けちゃいけないよ。絶対にね」
「どうして……知ってるんですか?」
「昔からこの辺には、“二時の者”って呼ばれる霊が出るんだよ。姿を見せずにノックを繰り返し、開けた者の“中”に入るって言われてる」
「“中に入る”?……憑依ってことですか?」
老婆は答えず、ただポケットから一枚の紙を渡した。そこには手書きで「午前二時、三度目のノックに応じるな」とだけ書かれていた。
三度目のノック
その夜、悠馬は眠れなかった。ノックが来る時間が近づくにつれ、鼓動が早くなる。
二時ちょうど──
コン……
最初のノック。
コン、コン……
二度目のノック。
そして──
コン、コン、コン……
強く、執拗な三度目のノック。ドアの向こうで何かが“待っている”のがわかった。
悠馬は耳を塞ぎ、ひたすらやり過ごそうとした。だが、ノックは止まない。まるで意志を持つように、彼の精神を削っていく。
「やめろ……やめてくれ……!」
その瞬間、ノック音が止んだ。代わりにドアの下の隙間から、黒い液体が滲み出してきた。
それはじわじわと床を這い、悠馬の足元まで広がる。慌てて後退するが、部屋の四隅から同じ液体が染み出してきた。
「もう……遅い」
誰かの声が頭の中に響く。
閉じ込められた部屋
スマホもWi-Fiも、突然つながらなくなった。外に出ようとドアを開けようとした瞬間、扉の内側に無数の手形が浮かび上がった。
「出られない……」
気を失いそうになった悠馬は、ふと思い出して、老婆からもらった紙を取り出した。その裏には、さらにこう書かれていた。
「四度目のノックが来る前に、鏡に“本当の名前”を呼べ」
鏡。彼は洗面所に走り、鏡の前で必死に思い出す。だが、「本当の名前」とは何なのか?
そのとき、部屋中に響くノック音。
ドンドンドンドン!
もはや“ノック”ではない。殴打のような轟音。悠馬の中で、何かが壊れた。
「わかったよ……お前の名前は“ツキヨミ”だろ! ここから出ていけ!!」
鏡が割れ、黒い液体が一気に洗面台へと吸い込まれていく。部屋の異様な気配が徐々に消えていった。
終わりなき影
その翌朝、悠馬はすぐにアパートを引き払い、実家に戻った。だが、彼の腕には、小さな黒い手形が残っていた。
老婆の姿は二度と見なかった。そして、彼の部屋には、次の住人が数日後に入ったという。
その夜、新しい住人のもとにも──
コン……コン……
“あのノック”が、再び始まったのだった。
あなたの部屋にも、夜中のノックが聞こえたら──三度目には、決して開けないでほしい。

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