謎の足跡
謎の足跡:雪の中に消えた村人の行方
それは、長野県のとある雪深い山村「鬼狩村(おにがりむら)」で起きた出来事だった。
冬の真っ只中、村は一面の銀世界に包まれていた。人の足跡すらすぐに雪に埋もれるほどの吹雪の中で、一人の村人が忽然と姿を消した。
――足跡だけを残して。
この奇怪な事件に興味を抱いたのは、東京の地方新聞社に勤める若き記者、田島恭平(たじま きょうへい)だった。彼は取材のために鬼狩村を訪れた。
「雪に残された足跡が、途中で途切れていた? 遭難じゃないんですか?」
恭平が尋ねると、案内人の老人・村山清三(むらやま せいぞう)は、険しい表情で首を振った。
「いや、違うんじゃ……あれは“あの音”のあとに起きたんじゃよ」
「“あの音”?」
清三は辺りを見回し、小さな声で言った。
「夜中に聞こえるんだ。ギイ、ギイ、と軋むような……重い足音。だけど、誰も見たことがない。翌朝になると、必ず誰かの足跡だけが残ってて、その人はもう二度と……」
恭平は背筋がぞくりとした。
それは単なる自然災害や遭難ではなく、何か異質な“存在”を村人たちが恐れていることを示していた。
彼はその夜、消えた村人の家を訪れた。
家の中には生活の気配が残っており、暖炉の火すら消えたばかりだった。窓の外には、雪の中に続く足跡がはっきりと残っていた。
「この足跡……外に向かってる。でも、途中で途切れてる?」
恭平は足跡をたどり、村の外れにある林へと向かった。雪は深く、足元を取られながらも慎重に進む。
しかし確かに、途中で足跡はふっと消えていた。まるで空へ消えたかのように。
「これは……おかしい……」
その時だった。
ギイ……ギイ……。
林の奥から、重く軋むような足音が響いてきた。
「……誰かいるのか!」
恭平は声を上げたが、返事はなかった。
だが、足音は確実に近づいてくる。
彼は慌てて懐中電灯を向けた。光の先に何かが、雪の中を歩いていた。
人の形をしているが、明らかに異様に大きく、重い何かだった。
「……化け物……」
恭平はその場から逃げ出し、村へと戻った。
翌朝、彼が恐る恐る再び林を訪れると、彼自身の足跡のすぐ隣に、もう一組の巨大な足跡が残されていた。
まるで、彼の後ろをぴったりと追っていたかのように……。
村に戻った恭平は、村の古文書が保管されている寺を訪れた。住職の秋山和尚は、静かに語った。
「……それは“足跡鬼(そくせきおに)”の仕業でしょう」
「足跡鬼……?」
「昔からこの村には、夜になると足跡だけを残して人を連れ去る鬼の伝承があります。雪に残った足跡を追えば、その者もまた、消える運命にあると」
「そんなものが……本当に存在するんですか?」
秋山和尚は苦笑した。
「信じるか信じないかは別ですが……今年に入って三人目です。足跡だけを残して消えたのは」
その晩、恭平は村の旅館に泊まった。眠れぬまま窓の外を見ると、雪は一層強くなっていた。
だが、ふと窓の下に何かが見えた。
足跡――誰かが、彼の部屋の窓の真下まで来ていた。
心臓が跳ねる。部屋の鍵を再確認し、懐中電灯を手にベッドに戻る。
すると――ギイ……ギイ……。
「来た……!」
音は確実に廊下から聞こえていた。
扉の前で止まり、そして……ゆっくりと、ノブが回される。
「誰だ!」
恭平が叫んだが、扉は開かなかった。
ただ、下の隙間から、真っ黒な指のようなものがぬっと入り込んできた。
その瞬間、窓が割れた。吹き込む冷風と共に、部屋の中に“何か”が現れた。
目は赤く、背丈は2メートル以上。全身が雪で濡れ、顔は人間とも獣ともつかぬ異形。
「お前が……足跡を……追ったな……」
それは低く唸るような声で呟いた。
恭平は恐怖に凍りついたまま、かろうじて声を絞り出した。
「……なぜ……人を連れて行く……?」
「おまえらが……忘れたからだ……わしらのことを……祭りも、祈りも、供物も、やめた……」
その言葉に、恭平はすべてを悟った。
かつて村では“足跡鬼”を鎮める祭りが行われていた。しかし、時代と共に忘れ去られたのだ。
その代償が、今、村に降りかかっている――。
「……もう、連れて行かないでくれ……」
恭平が懇願すると、鬼はしばらく黙っていた。やがて低い声で言った。
「ならば……村に伝えよ。わしらを、再び思い出せと……」
そして、ふっと霧のように姿を消した。
翌朝、恭平は雪の中に自分の足跡と、あの鬼の巨大な足跡が並んでいるのを見た。
東京に戻った恭平は、記事を書き上げた。
「雪の村、謎の足跡。そこにいたのは、忘れられた存在だった。人は、信仰を失うと共に、何か大切なものも手放してしまうのかもしれない」
しかし、それが新聞に載ることはなかった。
彼の原稿は編集部に届いた数時間後、白紙になっていたという。
それでも恭平は今も言う。
「雪の中の足跡には、決して触れるな。あれは、過去からの呼び声だ」
そして今日も、鬼狩村では雪が降る。
誰かの足跡が、またひとつ増える音と共に――。

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