見えない訪問者
見えない訪問者
静かな山間の町、長野県の小さな村に、古びた一軒家があった。
大学を卒業したばかりの高橋遼(たかはしりょう)は、都会の喧騒を離れ、この家で新たな生活を始めることにした。
「ここなら、ゆっくり自分の時間を持てる……。」
遼はそう思い、期待に胸を膨らませていた。
引っ越し初日、村の住人である老人、松本(まつもと)さんが挨拶に来た。
「若いのに、ここに住むなんて物好きだねぇ。」
松本さんは微笑んだが、その目はどこか寂しそうだった。
「昔、この家には……いや、気にすることはない。」
意味深な言葉を残し、松本さんは帰っていった。
その夜。
遼は新しい生活に胸を躍らせ、リビングでコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
——コン、コン、コン。
突然、玄関のドアをノックする音が響いた。
「え?誰だ……?」
こんな夜遅くに訪問者など珍しい。
不審に思いながらも、遼は玄関に向かった。
ドアスコープを覗くが、誰もいない。
「……気のせいか?」
そう思ってリビングに戻ろうとした瞬間——
また、コン、コン、コン。
今度はもっと強く、速く。
遼は怖くなり、ドアを開けずに部屋へ戻った。
翌朝、村の店で松本さんに会った遼は、昨夜の出来事を話した。
「見えない訪問者かもしれん……。」
松本さんは顔をしかめ、低い声で言った。
「見えない訪問者……?」
「ああ。昔からこの家には、夜な夜な誰かが訪ねてくると言われていてな。
開けたら最後、連れていかれるそうだ。」
遼は笑い飛ばそうとしたが、松本さんの真剣な表情に、言葉を飲み込んだ。
その夜も、遼は注意深く過ごした。
しかし、深夜零時を過ぎた頃——
——コン、コン、コン。
「やめろ……やめてくれ……!」
遼が叫ぶと、ノックはぴたりと止まった。
翌朝、恐る恐るドアを開けると、玄関前には泥の足跡が続いていた。
「……誰か、本当にいたのか。」
その日以来、遼の周囲では奇妙な現象が起こり始めた。
閉めたはずの窓が開き、
冷蔵庫の中の食べ物が腐り、
鏡には見知らぬ顔が映る。
そして、何より恐ろしかったのは——
夜になると必ず聞こえる「足音」。
誰もいないはずの廊下を、ゆっくり、ゆっくりと歩く音が、毎晩遼の部屋に近づいてきた。
ある晩、友人の中村(なかむら)を呼び、泊まってもらうことにした。
「マジでそんなことあるかよ。」
中村は笑っていたが、夜中、足音を聞いた途端、顔色が変わった。
「おい、聞こえたか……?」
「あ、ああ……。」
足音はすぐ外に止まり、ドアノブがカチャカチャと動く音がした。
「絶対、開けるなよ!」
中村が叫んだ。
遼は必死に耐え、夜明けを待った。
朝になり、二人はすぐさま村の神社へ向かった。
神主の田辺(たなべ)に事情を話すと、田辺は深刻な表情で頷いた。
「それは『見えない訪問者』に違いない。」
「どうすれば……助かりますか……?」
田辺は小さな護符を渡し、
「これを玄関に貼りなさい。絶対に、訪問者がノックしても応じてはならない。
声をかけられても、何があっても……絶対に開けてはいけない。」
と厳しく言った。
遼は言われた通り、護符をドアに貼った。
その夜も、例のノックがやってきた。
——コン、コン、コン。
「遼……開けてくれ……。」
外からは、中村の声が聞こえた。
「おい、遼、俺だよ!開けろよ!」
遼は混乱した。
確かに中村の声だった。
だが、中村は今、遠く離れた町にいるはずだった。
「開けない……開けない……!」
遼は耳を塞ぎ、布団をかぶった。
「遼、寒いよ……寂しいよ……。一緒にいようよ……。」
囁きはやがてすすり泣きに変わり、そして夜明けとともに消えた。
朝、恐る恐る玄関を開けると、護符は真っ黒に焼け焦げていた。
村人たちは言った。
「助かったのは、お前が開けなかったからだ。」
それ以来、遼は玄関に新しい護符を貼り続け、
どんな音や声にも決して応じないことにしている。
ある晩、またしてもノックの音が響いた。
——コン、コン、コン。
今回は何か、今までとは違う雰囲気があった。
その音はまるで、急かされているかのように速く、頻繁に聞こえてきた。
遼は冷や汗をかきながら、守り続けている護符を握りしめた。
「今夜こそは……。」
ドアノブがカチャカチャと音を立て、そして——
「遼、開けてくれ……。」
その声は、まるで中村のものとは別の、異常に低く、冷たいものだった。
遼は心の中で叫んだ。
「違う!違うんだ!」
その夜、遼は目を覚まし、部屋の中に見知らぬ影が映っているのを感じた。
影は静かに、遼の後ろに立っていた。
彼の息を感じるその存在が、どんどん近づいてくる——。
遼は絶叫した。
その後、遼は二度とその家に戻ることはなかった。
村の人々によると、家はその後、誰も住むことなく放置されているという。
そして今でも、誰かがその家に近づくと——
夜中に、必ず「見えない訪問者」の足音が響き渡るのだ。

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