不死者の呪い
不死者の呪い
それは、山間の小さな村「黒木村」で語り継がれる、誰もが口を噤む呪われた話である。
大学で民俗学を専攻していた佐伯涼は、卒業論文のために日本各地の怪談を調査していた。ある日、古びた図書館で「不死者の呪い」と題された古文書を発見する。そこには、黒木村で語られる「決して死なない者」の伝承が記されていた。
涼は強く惹かれ、現地調査のため一人で黒木村を訪れることにした。
——
「すみません、こちらに“不死者の伝承”についてご存じの方はいらっしゃいますか?」
村の入口近くにある茶店で、涼は店主の老婆に声をかけた。老婆は一瞬、目を細めて黙り込んだ後、低く呟いた。
「……あんた、何を知りたくてここに来たんじゃ。あれは触れちゃいけんもんじゃ」
「卒論のために伝承を集めてまして。ただの伝説だと思ってますし、危険なことはしません」
老婆はしばらく考えたのち、小さな声で語り始めた。
「……昔、この村に“赤松宗一”という男がいた。村一番の若者で、戦の時代に何度も死にかけたが、なぜか絶対に死なんかったそうじゃ」
「不死の男……ですか」
「そうじゃ。村人は最初こそ神の加護と信じてたが、歳をとらんその姿に恐れを抱くようになった。やがて宗一は村から追放された」
「それで、彼は?」
「森の奥の廃社で一人、何百年も生き続けとるという話じゃ……今も、夜になると彼の呻き声が聞こえると……」
興味を抑えきれない涼は、老婆の忠告も聞かずにその「廃社」へと足を踏み入れた。
——
夕暮れの森は薄暗く、木々の間を霧が漂っていた。
「……こんな所に本当に社なんて……」
苔むした鳥居をくぐると、そこに確かに古びた社があった。屋根は崩れ、内部は荒れ果てていた。だが、どこかただならぬ気配が漂っている。
その時——
「誰だ……」
かすれた声が社の奥から響いた。
「誰が……また、俺を見に来た……」
涼は驚いて振り返ると、そこには血の気のない白い顔の男が立っていた。髪は乱れ、目は虚ろだった。
「あなたは……赤松宗一……ですか?」
「俺は……死にたい……だが、死ねん……なぜだ……なぜ、終わらんのだ……」
宗一の目からは黒い涙が流れていた。
「お前も……知りたいのか? この呪いの本質を……」
そう言って、彼は涼の手を掴んだ。冷たくて、生きた人間の感触ではなかった。
「やめてください! 僕はただ……!」
宗一は涼の目を見つめたまま、深く呻いた。
「お前も……“知った”からには……もう戻れん……」
その瞬間、辺りの空気が凍りつくように変わった。社の奥から、何体もの人影が這い出してくる。目がない。口だけが大きく開き、呻き声を上げている。
「彼らも……皆、“知ってしまった者”……」
涼は恐怖で体が動かなくなった。無数の手が彼に伸び、冷たい指先が肌に触れる。
「やめて……!」
——そして、涼の意識は暗転した。
——
数日後。
村の警察が、森の中で発見された廃社跡を調査していた。
「またか……今年に入って三人目だ。行方不明になった学生」
社の前には、涼のものと思われる録音機が転がっていた。再生すると、掠れた声が録音されていた。
「……宗一……助けて……僕は、まだ……死にたく……ない……」
警察官は顔をしかめて機器を止めた。だが、その背後から静かに、一つの影が彼に忍び寄っていた。
——
黒木村では今も、「夜の社には近づくな」と言い伝えられている。なぜならそこには、不死を呪う者の哀しき魂が、永遠に彷徨っているからだ。
——不死者の呪い。それは、死ねない苦しみを抱えた者の怨念が、触れた者全てを巻き込む、終わらぬ悲劇であった。
しかし、それだけでは終わらなかった。
涼の消息が報道された数週間後、彼の所属する大学の民俗学ゼミでは一人の教授が異変に気づく。涼の卒論データが保管されたノートPCに、見覚えのないファイルが残されていた。タイトルは「呪:不死の記録」。
ファイルを開いた瞬間、部屋の電気が一斉に消えたという。
「誰か……いるのか……?」
教授は震える声で呟いた。暗闇の中で、パソコンの画面だけがぼんやりと光っていた。そこに浮かび上がったのは、涼の最後の映像。だが、その顔は明らかに人間のものではなかった。目は黒く染まり、皮膚はひび割れ、口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
「教授……僕も、わかりました……死ねないってことが、どれほど苦しいか……」
その声を最後に、教授の姿もまた、大学から消えた。
今や、そのゼミの部屋には誰も近づかない。「夜になると、誰かが囁く」と噂されているからだ。
この呪いは、知った者、見た者、触れた者に伝播する。黒木村の森から広がり、今も静かに、しかし確実に日本各地に広がりつつある。
だからもし、あなたが「不死者の呪い」という言葉をどこかで耳にしたなら——
決して、深く調べてはいけない。
それは、あなたの人生の終わりではなく、「終わらぬ苦しみの始まり」になるのだから。

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