魔物の契約

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魔物の契約

魔物の契約:村に隠された禁忌の儀式

山奥にひっそりと佇む村「黒神村」。地図にも載らず、訪れる者もほとんどいないこの村には、代々語り継がれる禁忌の伝承があった。

「魔物と契約を結んだ者は、永遠の命と引き換えにすべてを失う」

それはただの昔話だと、誰もがそう思っていた。しかし、村に一人の少女が戻ってきたことで、封じられていた呪いが再び目を覚ました――。

「おかえり、凛(りん)ちゃん」
迎えに出てきた祖母の咲(さき)は、痩せ細った体で笑った。
「久しぶりだね、おばあちゃん。村の空気、懐かしい」

凛は東京での生活に疲れ、心を癒すために幼少期を過ごしたこの村へ戻ってきた。だが、村には異様な空気が漂っていた。人気のない道、閉ざされた神社、夜に響く動物とも人間ともつかないうめき声。

「ねえ、おばあちゃん。この村に“契約の祭壇”ってあるの?」
夕食中、ふと凛が尋ねると、咲の箸がピタリと止まった。
「誰に聞いたの?」
「昔、子供の頃に村の子から聞いたの。山の奥にある祠で、何かを捧げると願いが叶うって」

咲は目を細め、静かに言った。
「その話は忘れなさい。あれは呪われた場所よ」

だが凛の心には、奇妙な好奇心が芽生えていた。都会では感じられなかった“何か”が、村にはある。

その夜、凛は夢を見た。黒い霧の中、赤い目を持つ巨大な影が彼女を見下ろしていた。
『おまえの願いは、何だ?』
低く響く声が、頭の奥でこだました。
『願えば叶う。その代償は、おまえの魂だ』

目覚めると、凛の手には見覚えのない古びた紙片が握られていた。そこには、血のような赤でこう書かれていた。
「夜、社の扉を叩け。契約は成立する」

翌日、凛は村の奥にある社へ向かった。誰にも気づかれぬよう、夜の帳が下りるのを待って山道を進んだ。

社は朽ち果て、今にも崩れそうだった。だが、木々の間から見えるそれは、まるで彼女を待っていたかのように静かに佇んでいた。

凛が扉を叩いた瞬間、空気が変わった。風が止み、木々のざわめきが消えた。

「誰ぞ……我を呼びし者は……」
扉の奥から、ざらついた声が響いた。

凛は震える声で答えた。
「私の願いを、叶えて……」

扉が軋みながら開き、闇の中から腕が伸びた。赤黒く、人のものではないその腕は、凛の手を優しく掴んだ。
「ならば代償を……おまえの“未来”をいただこう」

凛が社から戻ると、村の様子が一変していた。
誰も彼女のことを覚えていない。咲さえも、見知らぬ人のような目で彼女を見つめていた。

「あなた、どちら様?」
「おばあちゃん、私よ! 凛だよ!」
「凛……? そんな子は知らないよ」

鏡を見ると、自分の姿が映っていなかった。
凛はすでに“存在しない者”となっていた。

夜になると、村の社から笑い声が響くようになった。
それは、契約を交わした魔物の声――人の欲望と恐怖を喰らい、何百年もこの村に潜み続けてきた存在だった。

村人たちは口を閉ざし、誰もその社に近づこうとしない。
だが、時折、山道を登る影が見える。

新たな契約者を探しに来る者たち。
あるいは、望んで呪いを受け入れる者たち。

ある晩、村の若者・直人(なおと)は、凛の話を偶然耳にした。彼女がこの世から“消えた”理由を知る数少ない者だった。

「凛……本当に契約したのか? 魔物と?」
直人は興味と恐怖に突き動かされ、社を訪れる決意を固めた。彼には叶えたい願いがあった。病に倒れた妹を助けたいという、切実な願いだった。

夜、社にたどり着いた直人は扉を叩いた。
「願いがある。妹を救いたい。どうか……」

闇の奥から、またあの声が響く。
『代償を払う覚悟はあるか?』
「ある。命でも、何でも……」

すると、再び腕が伸び、直人の胸に触れた瞬間、彼の視界は白く染まった。次に目を覚ましたとき、妹は元気に村を走り回っていた。

だが、直人の存在は村から消えていた。
妹の記憶からも、家族の記憶からも。
ただ、社の近くに咲く一輪の赤い花だけが、彼の痕跡だった。

その花は「契約の印」と呼ばれ、村人の間で密かに恐れられている。

――村に伝わる禁忌の話、それはまだ終わらない。
今宵もまた、社の前には新たな影が立っている。
願いを持ち、代償を払う覚悟を胸に。

だが一度“魔物の契約”を交わせば、代償を拒むことはできない。
それがたとえ、愛する人の記憶であっても。未来、名前、存在そのものであっても。

『さあ、次は誰が願う? そして、何を差し出す?』

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