深夜の電話
深夜の電話──午前2時に鳴る忌まわしき呼び出し
「……まただ」
時計の針は午前2時を指していた。部屋の中には、静寂を切り裂くような古びた電話のベルが響いていた。
ここは東京郊外、築50年の古アパート。俺、真司(しんじ)はこの部屋に越してきてから、毎晩のようにこの「深夜の電話」に悩まされていた。
最初は気のせいかと思った。だが、電話は決まって午前2時ちょうどに鳴る。出ると、決まって無言。だが、その沈黙の奥に、確かに「何か」がいる気配がするのだ。
「おい、またかよ……気味悪いな」
俺は溜息をつき、受話器を取った。
「もしもし……」
沈黙。
「誰だよ……いたずらならやめろよ」
……その時だった。
『かえして……』
女のか細い声。ゾクリ、と背筋が凍った。
「……え? 何を……?」
『……かえして……あの部屋を……』
俺は慌てて受話器を置いた。息が荒くなる。こんなの、ただのいたずらじゃない。
翌日、俺は大家の田中さんにこの電話のことを話した。
「夜中に電話?……ああ、その電話、前の住人が置いていったんだよ。古いけど、まだ使えるからな」
「前の住人って、どんな人だったんですか?」
田中さんは急に顔を曇らせた。
「……いや、それは……まぁ、事情があって引っ越したってだけだよ」
ごまかしているのは明らかだった。俺はさらに調べることにした。この部屋に何があるのか──
数日後、町の古本屋で偶然手に入れた古い新聞記事が手掛かりになった。
『〇〇アパート203号室、若い女性が自室で変死。通報者なし、遺体発見まで数日。遺品として古い電話機が残される。』
203号室──まさに俺が住んでいる部屋だった。
「まさか……あの電話は……」
その夜も、電話は鳴った。午前2時ちょうど。俺はもう逃げられないと思った。
受話器を取り、声を絞り出した。
「……あなたは、誰なんですか……」
『……ここに……帰りたい……』
「……帰ってきてもいい。けど……俺はどうすればいい?」
『……うしろを……みて……』
鼓動が早まる。振り向くと、薄暗い窓の向こうに、女が立っていた。髪は長く乱れ、顔は……見えなかった。ただ、じっと俺を見ていた。
その瞬間、電話は切れ、部屋の電気が消えた。
真っ暗な部屋で、俺はただ、女の気配を感じながら立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
翌朝、目を覚ますと、電話は消えていた。どこを探しても見つからない。まるで最初から存在しなかったかのように。
だが、壁には爪で引っかいたような跡が残り、そこにはかすかにこう書かれていた。
『……かえしてくれて、ありがとう……』
その日から、電話は鳴らなくなった。
だが──今夜も窓の外から、誰かが俺を見ている気がする。
深夜の電話は終わったのか、それとも新たな悪夢が始まったのか──
◇ ◇ ◇
数週間後、俺は203号室を引き払う決意をした。
しかし、引越し作業中、クローゼットの奥から小さな箱を見つけた。中には、古びた日記帳と、あの電話の受話器だけが入っていた。
日記には、前の住人の名前と、彼女が体験した異常な出来事が綴られていた。
『毎晩、電話が鳴る。誰もいないのに……彼が帰ってくると信じて待っていた。でも、もう限界……この電話は呪われてる。どうか、誰か助けて……』
日記の最後のページには、血のような赤いインクでこう書かれていた。
『電話を、壊さないで。これが私の存在証明だから』
俺は受話器を見つめた。持ち帰るべきか──それとも処分すべきか。
悩んだ末、俺は箱を閉じ、近くの神社に持っていった。事情を話すと、神主は静かにうなずき、
「これは未練の塊ですね。供養しましょう」と言った。
その夜、最後の引越し作業を終えた俺は、ふと携帯電話の着信音で目を覚ました。
時刻は──午前2時。
表示された番号は「非通知」。震える手で電話を取ると、あの声が聞こえた。
『……ありがとう……でも、まだ、終わらない……』
その瞬間、電話は切れた。部屋の窓が勝手に開き、冷たい風が吹き込んできた。
――深夜の電話は、姿を変えて、また始まったのかもしれない。

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