記憶喪失
記憶喪失
「……ここは?」
夜の路地裏。街灯がちらちらと点滅し、暗闇の中にぼんやりと照らされた男が立っていた。彼の名は藤田直人(ふじたなおと)。しかし、彼には何も思い出せなかった。
記憶がない。
自分が誰なのか、なぜここにいるのか、全く分からない。ただ、一つだけ鮮明に残っている映像があった。
それは、赤黒い影がこちらを見つめている光景。
それが何を意味するのかは分からない。しかし、確かなのは——何かとてつもなく恐ろしいものを忘れているということだった。
「……とにかく、誰かに聞こう。」
直人はふらつきながら歩き出した。見覚えのない道、見知らぬ街並み。妙に静かで、人の気配がしない。
どこか、おかしい。
そんな時——
「藤田さん……?」
突然、背後から声がした。
驚いて振り向くと、一人の若い女性が立っていた。彼女は心配そうにこちらを見つめている。
「藤田直人さん……ですよね?」
「えっ……俺の名前を……?」
「よかった……!探してたんです!」
女性は安堵したように微笑んだ。しかし、直人は戸惑った。
「あの……すみません。俺はあなたを……知らないんですが……」
「え……?」
女性の表情が凍りついた。
「何を言ってるんですか?私たちは……あんなに一緒に……」
「待って……俺、本当に何も覚えてないんだ!」
直人が必死に説明すると、女性は唇を震わせながら言った。
「……やっぱり、そうなったんですね……」
「え?」
「藤田さん、あなたは……絶対に思い出しちゃいけないんです!」
彼女の言葉に、背筋が凍った。
「どういうことだ?」
しかし、女性は答えなかった。ただ、震える手で彼の肩を掴み、必死に懇願した。
「お願いです……このまま、何も思い出さずに……逃げてください!」
「……何から?」
その瞬間——
「あぁ……思い出してしまうのですね……?」
耳元で、不気味な囁きがした。
直人の背後に、影が立っていた。
黒い靄のようなそれは、どこか懐かしく、しかし言い知れぬ恐怖を呼び起こすものだった。
「ま、待て……お前は……誰だ……?」
影は微笑んだ。
「お前が忘れたものだよ……直人。」
名前を呼ばれた瞬間——
記憶が、一気に蘇った。
——彼は、何かを隠していた。
——彼は、恐ろしい秘密を抱えていた。
——そして、彼はある存在を裏切った。
「……あ、ああ……!!」
直人は頭を抱え、激痛に襲われた。女性が悲鳴を上げる。
「ダメ!!思い出したら……!!」
「うわあああああ!!!」
視界が歪み、闇が広がっていく。
——そして、すべてが真っ暗になった。
……。
……。
「……ここは?」
気がつくと、直人はまた同じ場所に立っていた。
記憶が、なかった。
「……俺は、誰だ?」
そして、また背後から声がする。
「藤田さん……?」
彼は知らなかった。
彼は、永遠にこの記憶喪失を繰り返していることを。
そして、その度に「影」に飲み込まれ、また最初に戻ることを——。

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