過去からの訪問者
過去からの訪問者――封じられた記憶が呼び覚ます恐怖
山間の小さな村、長野県のとある集落に古びた屋敷があった。百年以上前に建てられたその屋敷には「時を超えた訪問者」が現れるという、奇妙な噂が囁かれていた。
大学生の高橋葵(たかはし あおい)は、卒業論文のために日本の失われた民俗文化を取材しており、その村を訪れることとなった。彼女は村の資料館の管理人から、古文書に残された「過去からの訪問者」という話を聞かされた。
「この屋敷にはな、不思議な言い伝えがあるんじゃ。深夜、屋敷の障子がひとりでに開き、昔の時代の者が現れる。誰も、なぜ現れるのかを知らん。ただ……目を合わせてはならんのじゃ」
興味をそそられた葵は、村人の忠告を無視し、夜にその屋敷へと足を踏み入れた。
屋敷の中は、かつて人が住んでいた形跡を残しており、埃と黴の匂いが漂っていた。天井から吊るされた提灯に灯をともすと、かすかな光が闇を照らし出した。
――ギイィ……
ふと、廊下の奥から古びた障子が音を立てて開いた。誰もいないはずの場所から、足音が近づいてくる。
「……誰かいるの?」
葵が声をかけると、薄暗い廊下の奥に、ぼんやりと人影が浮かび上がる。そこに立っていたのは、江戸時代風の着物を着た女性だった。顔は白く、目は虚ろ。まるで生きているとは思えない。
「……戻して……時を……戻して……」
女の口がゆっくりと開き、かすれた声が屋敷内に響いた。
「な、なに……?」
葵は後ずさりしたが、足がすくんで動けない。その間にも女は一歩ずつ近づいてくる。足音は異様に重く、床をきしませた。
「……この屋敷は……わたしのもの……おまえは誰……なぜここに……」
女の顔が近づくにつれ、その目に異様な光が宿る。恐怖に駆られた葵は、持っていた懐中電灯を振り回しながら逃げ出した。
「やめて!来ないで!」
必死に屋敷の出口に向かうが、廊下がどこまでも続き、出口に辿り着けない。まるで屋敷が異空間に変わったかのようだった。
閉ざされた時の中で
走り続ける中、葵は一つの部屋に逃げ込んだ。そこは昔の女中部屋のようで、古びた鏡が置かれていた。その鏡に映った自分の後ろに――女の影が映っていた。
「……逃がさない……おまえが……わたしを……」
女は何かを訴えている。しかし、言葉が歪み、聞き取れない。葵は恐怖と混乱の中、鏡に手を触れた瞬間、視界が一変した。
――気がつくと、葵は江戸時代の屋敷にいた。目の前に同じ女が生きている姿で立っていた。
「ここは……過去……?」
女は泣いていた。彼女の名は「楓(かえで)」という。彼女は身分の低い者としてこの屋敷に仕えていたが、ある日、屋敷の主によって無実の罪を着せられ、命を絶たれたのだという。
「誰にも、何も伝えられなかった……わたしは……この屋敷に縛られて……永遠に……」
葵はその悲しみを感じ取り、涙を流しながら言った。
「あなたの無念、私が伝えます。だから……もう、休んで……」
記憶を辿る
その瞬間、屋敷の中が光に包まれ、楓の姿が徐々に消えていく。
「ありがとう……わたし、ようやく……」
葵は気がつくと、現代の屋敷の外に倒れていた。朝日が差し込む中、村の人々が駆け寄ってきた。
「無事だったか!よかった……」
葵は震えながら言った。
「あの屋敷に、過去からの訪問者が……楓さんの思いが、まだ……」
村人たちは静かに頷いた。
「あの屋敷は、もう封鎖される。彼女も、もう眠れるじゃろう……」
新たなる恐怖
帰京後、葵は楓の話をもとに論文を書き上げた。しかし、ある夜、自宅で聞こえてきた。
――トントン……
扉を叩く音。そして、背筋が凍るような囁き。
「……約束……果たして……くれるの……?」
葵の足元には、あの古びた鏡が置かれていた。村から持ち帰った覚えはない。鏡には微かに、楓の姿が映っていた。
彼女は気づく――楓の無念は癒えたが、過去はまだ終わっていない。屋敷に封じられた記憶、それは訪れた者に問いかけ続ける。
あなたがもし、その屋敷に足を踏み入れるなら、決して鏡を覗いてはならない――。

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